目が回る忙しさに、ネガティブの底へ落ちる暇すらない中元です。健全、健全。
はい。昨日一昨日と僕もしっかり思考を闇の底に落としたのだが、今日は何か少し吹っ切れた感覚があり、そもそも目先のことがクソ忙しいのも相まって、健全である。
そんな中、すっごくたまたまなのだが、最近【物語】を読解する意味について、生徒に響く話ができた手応えがある。
ってことで久しぶりにネタ帳として、そこでやった話のあらすじをここに書いておこうと思う。では以下、僕がした話をどばばっと書いちゃうぞ。
そもそも僕らは【物語】を記憶する生き物である。
古の時代から読み継がれる本は何だろうか。言い換えれば、全人類において、圧倒的に知名度が高い書物は何だろうか。
諸説あるが、聖書がそれに該当するらしい。確かに、その話が通じる人は、世代も国も性別も超えて、世界中に存在する気がする。
しかし、膨大な数の人が共有してきた文章は、何も聖書に限定されないといえないだろうか。日本を例にとってみよう。
源氏物語、枕草子、そして日本神話。これらはすべて、一種の巨大な物語である。(実話・創作は関係なく、登場人物がいて、かつセリフがあるという意味で)
そして、僕らが記憶している長文は何かといわれれば、ほぼもれなく【物語】ではないだろうか。
新聞の記述やビジネス書の記載は覚えられないのに、好きな漫画や小説はいくらでも覚えられるのと似ている。
サピエンス全史にも書いてあったが、僕らの先祖は、虚構を創作し、それを共有することで、巨大な集団をつくり、地球の覇権を握ったのだ。
ここでいう虚構とは、つまり【物語】に他ならない。僕らは、【物語】を創って覚えてきた者たちの子孫なのだ。
だからこそ、【物語】を覚えやすいのも、それが多く残ってきたのも、ある種自然な流れということができるのである。
しかし、その【物語】から教えを取り出せねば、意味は無い。
しかし、【物語】を一字一句暗唱できたところで、何の意味もない。そこに込められたメッセージや、秘められた何かを、読み取る必要があるのだ。
長く残るストーリーを書いた人は、単なる趣味でそれを遺したわけでは、たぶん無い。伝えたい何かがあって、それを【物語】という形に仮託したのだと思う。
というより、【物語】は全てそういうもんだと思うので、ただエンタメとして読んで、楽しんで終わりでは、非常に勿体ないというか、本末転倒とさえ言えるだろう。
セリフ、言動、情景描写。これらはすべて、その裏に伝えたい何かが、表現したい何かが隠れている。
ただそれを読み取るには、ノリとか雰囲気とかカンだけでは、どうにもキツい。野球でヒットを打つには正しいフォームが必要なのと同じである。
最初は学校の先生がそれを噛み砕いて教えてくれる段階があるが、ゆくゆくはそれを自分でしなければいけない。それを鍛える機会こそが、受験なのではと考えている。
だから、読解を練習しましょう、ということなのです。たぶん。
ということで、僕らはおさるさんだった頃から【物語】を使って意思疎通をしてきた、物語ネイティブなのである。
しかし、なかなかどうにも、センスだけで隠されたメッセージを読み取ることは、どうにも難しいわけで。
だからこそ、義務教育や受験においては、「文章を味わう」という以上の意味が、【物語】読解には込められているわけで。
つまり、趣味でやればいいとかそういう類ではなく、圧縮された情報や教えを、そこから全く拾えなくなるというリスクがあるので、この技能を鍛えるのはマストである。
・・・みたいな話をしたら、中1・中2・中3と、結構「たしかに」というリアクションが生めたと感じる。実際にそうなのかまではちょっとわからないけど。
もし意義の説明に困っている方がいれば、参考にしていただけると嬉しい。
ってことで今日はこの辺で。