久しぶりに海釣りをしたら、唇がカッサカサになりました。ビタミン欠乏の中元です。
はい。今回はちょっとメンタルのお話をば。入試結果の総括を改めて考えると、最後の最後に迷いが生じたり、努力の手が緩んだりした生徒程、涙を飲んだと気づいた。
これはどういうことかというと、例えば志望校を完全に提出しきったタイミングで「下げればよかった・・」とクヨクヨし始めた子は、そのまま残念な結果になってしまった。
また別の生徒は、部活動や生徒会の仕事に忙殺され、勉強に回す時間を思い切り削った結果、最後の最後にスランプが発動、そのまま入試に挑んで、撃沈されてしまった。
―最後に「拠り所」たるものは、一体なんなのか?彼ら彼女らは、何をしておけば、心が折れずに最後まで準備しきれたのか?
・・・これについては、もちろん人によって千差万別という話になるだろうが、僕は自分の中では「これだ」と考えている要素がはっきりとある。
それは「前進」している感だ。
今日はそれのお話である。
停滞はやる気を思い切りへし折る。
停滞は思っている以上に辛い。そして、やる気に対し、特に激しいダメージをもたらしてしまう。
少し自分の体験談を語る。僕は大学3年の頃、結構必死になってTOEICの勉強を重ねていた。3ヶ月間、自己ベストを出すため、かなりの時間をそこに割いた。
参考書を3冊買って、それを何回も繰り返し、人に説明できるレベルにまで解説を読み込んだ。大嫌いなリスニングもめげずに飽きずにかじりついた。
そして迎えた本番。確実に前回よりできたという手応えと、満足感を抱いたことを、まだはっきりと記憶している。
―それからしばらく経って、届いたスコアシートを見て、慄然としてしまった。
前回のスコアから、1点も伸びていなかったからだ。
「あれだけやって、こんだけ手ごたえがあったのに、俺はなんにも成長しなかったってことか?」
自分の中で、何かがガラガラと崩れ落ちる音がした。以来僕は、参考書を本棚の奥底にぶち込んで、二度とTOEICの勉強をしなくなってしまったのである。
・・これは極端な例だろうが、似たケースは確実に、生徒においても存在する。勉強してもしても、模試の判定が上がらない。通知表もよくならない。
そういう日々が続くと、メンタルがはっきりと蝕まれる。その状態でも最後まで続けられた人間が勝つとは言われるが、それはもう無理ゲーに近い。
『停滞』という二文字を突きつけられれば、驚くほどあっさりと心は折れる。今一度、認識したいところである。
昨日より成長していれば、なんだっていい。
では、その『停滞』を打破するには、一体どうすればいいのだろうか。
実はこれ、勉強に限らない分野でもいいので、昨日の自分より成長しているという感覚が1日のどっかにあれば、結構あっさり解決するのだ。
また自分の話をしてみる。僕は半分意識的に、結構色んなジャンルのことにいっつも取り組むようにしている。
例えば今現在は、「体力がないと、仕事も遊びも中途半端になるな~」と考えて、心肺機能と機動性を高めるトレーニングの計画を作っている最中だ。
かと思えば、ただブロックを並べて崩すだけのアプリゲームを毎日触ったり、洋書を読み続けたり、自炊では未知の料理を作ったり、本当に我ながら色んなことをしている。
結果、何が起こるのか?こんだけ手広くやっていたら、どれか1つくらい、「昨日より成長した!」と思えるものが発生するものだ。
それこそ今日も、胸椎のストレッチを行っていた際、「うぉ、昨日よりはるかに楽に、筋肉が伸びるし関節が回る!!」と気づいて、テンションが上がった。
・・・こういう小さな成長は、吹聴しようもんなら周りの人間から「しょーもなww」と言った風に否定される類のものだろう。それくらいささやかではある。
しかし、自分が自分にかける言葉なんだから、全くもってどうでもいいじゃないか。むしろ、ここくらい自分に優しくしてあげた方が、絶対に良い。
自分に対する感度を高めて、少しでも伸びを感じたら、自分を認める。それが『停滞』と、それに伴うメンタルの破壊を食い止めると思うのだが、いかがだろうか。
ってことで今日はこの辺で。