精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【目標】や【目的】のない多忙は、マジで地獄である。 ―そしてやはり、あの想いは本物のようだ。

春季講習のスケジュールを組んでいると、自分で自分の墓穴を掘っている気分になります。中元です。

 

はい。ピークが終わったと思ってからの、もう1発の繁忙期が始まっている。そう、春季講習だ。これさえ終われば本当に山を超えたといえるはずなのだが・・・。

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なんというか、覚悟していた受験期よりも、それが終わって本来テンションを元に戻していいはずなのに、できない今の方がキツい

 

50m走を10本走った後、外周を5周追加されたような気分である。もうひと踏ん張りする体力とか、残してねぇよ!!

 

・・というストレスや疲労は、やはり組織的にも同じなようだ。明らかに、僕に対する仕事の振り方が雑になっていることからも、このことがよくわかる。

 

多忙がキツいのは言うまでもない。だが今は、さらに別の要因があって、それのせいでなおのことキツい。今日はそんな話である。

 

 

なんのために忙しいの?

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前にも書いたが、ここ1~2年、自分が捧げた時間や労力、出した結果に対し、それが報われているとは、色々あって全然考えていない

 

結果今は、むやみやたらに働くことがアホくさくなっているので、自分にできる範囲で仕事をセーブするようにしている。

 

しかし当然そんなことは明言していないので、結構雑に、「どっかでお願い」という具合で授業のリクエストが飛んでくる。

 

内容的には僕じゃなくても全然問題なくできるのだが、僕以外の人間を探すのがもはやめんどくさいだけなのだと思う。

 

他人のめんどくささを解消するために僕が忙しい。軽んじられている感覚が、どうしてもふつふつと沸いてくる。

 

しかもそれだけじゃなく、そうすることが僕の評価に何にも繋がっていないことが証明されたばっかりでもあるので、本当に嫌で嫌で仕方がないとさえ考えている。

 

どれだけ前向きに考えても、「まあ将来活きるかも」というふわっとしたポジティブさにしか着地できない。

 

―そう。今一番精神的にキツいのは、報われないことがわかっていながら、別に主体的でもない忙しさに身を投じていることである。

 

例えば、今が大変でも乗り切れば莫大な収益が上がるとか、目標を達成すれば美味しいご飯にいけるとか、そういう【目標】があれば、まだそれのために頑張れる。

 

しかし断言するが、多分今の忙しさを乗り切っても、「いや~、たいへんだったね~」という感想を皆が抱いて、はい終わりだと思う。

 

ひょっとしたら、僕が馬車馬の如く働くことで、他の誰かの評価が上がるのかもしれない。違う校舎の利益が増えるのかもしれない。

 

だがそれは、僕には全然見えてこない。雑用係が必要だってんなら、別に僕じゃなくてもいいじゃないか。そういう憤りすら、実は今、感じている。

 

・・・では、そんな中でもなぜ僕は、歯を食いしばってこの状況に耐えているのか?単にお人好しなのか?きっとそれもあるだろうが、やはりあの決意が支えになっている。

 

【独立】だ。リスクも手柄も全部背負う、ひりひりしたあの環境。誰かにこき使われて擦り切れるより、自分の意志で死ぬほど働く方が数倍マシ。

 

ここで数値を出し、コネを作り、きっちりと一つ一つを何かしらの布石に変える。そういう先のことを考えると、今の苦しさに多少なりともハリが出る。

 

【目標】や【目的】のない多忙は、マジで地獄だ。気持ちが支えきれない。厖大な量の勉強だって、受験や合格というゴールありきの努力ではないか。

 

特に取り留めのない記事ではあったが、やはり【独立】を考えると、不思議な力が漲ってくる。そんなことを再確認した時間であった。

 

独り立ちのため、今苦しむ。ただしきっちり休息は死守したうえで。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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