精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【超同業者向け】生徒にとって理想的な講師選定は、どこまでコントロール可能なのか?

明後日から、年末年始を除けば5か月振りの連休なのですが、実感が全くありません。中元です。

 

はい。今日は完全な同業者向けの話である。塾業界に身を置いていると、一体どれくらいの頻度でそもそも起きるのかわからないのだが・・。

 

昨日、ざっくり半年ぶりの事案なのだが、「ちょっとこの先生は合わないとおもう・・」という温度のメッセージが保護者から送られてきたのだ。

f:id:pochihiko_inunosuke:20220415115039p:plain

 

幸い、その講師は短期の単なる繋ぎとして代打を務めてくれていただけであり、交代も説明も特に必要なく、後任に渡せばよいだけ、という状態ではあった。

 

ーしかし自分でも不思議なのだが、僕はこういうケースに遭遇すると、非常に落ち込み、どこまでもクヨクヨ悩んでしまうのだ。

 

ぶっちゃけ僕自身が嫌われることって、それこそ去年激烈なクレームを食らっておきながらもケロっとしているように案外どうでもいいのだが・・・。

 

僕が選定した結果、そういう不信を生んだことで、幸せになった人間が誰もいないという状況を作ってしまったことに対し、強い申し訳なさを抱くのだ。

 

だが、こう考えると、新たな問いが生まれる。

 

担当者の一存、責任として深く反省し、検証し、今後同じ結果を生まないようシステムを整備するべきなのか?

 

それとも、コントロール不可能な他者の課題と定義して、気に病むことなく終わらせるべきなのか?

 

その辺りがわからなくなってくるのだ。一体、性質としてはどっちなのだろう?

 

言うなれば、ビジネス・接客なのか、友情・恋愛なのか、講師と生徒の関係は果たしてどっちの方に近いのかということである。

 

前者なら改善の余地しかないが、後者なら運が悪かったという結論になる。

 

今日はそれをしっかりとまずは僕が理解するため、自分で自分に問いかけて答えまくるという形式で記事を書こうと思う。

 

つまり非常に無秩序で散文的な記事になると思うのだが、もし同業者の方が読まれていたら、参考になるところがあるかもしれない。

 

では以下、本編である。

 

 

確実にこちらができることを怠った結果、変更希望が出た?

f:id:pochihiko_inunosuke:20220415120049p:plain

 

【大きな嘘の木の下で】という本によれば、本来の上司・責任者の仕事とは、託した相手が失敗しないようサポートすることも含まれるという。

 

ならば、程度はどうあれ「失敗」とすべき事案が発生した今、僕はその仕事を怠ったことになる。そういう目線で自分の行動を振り返ると、確かに不十分な点はある。

 

例えば、教材は渡したが、授業の進め方についてのレクチャーをしていない、などだ。勤続年数的に大丈夫かと思ったが、その考え方が浅薄だったらしい。

 

つまり、全部背負うには酷な話だが、僕が遠因となってしまったことは絶対に否めない。やはり、猛省して然るべき案件と考えるべきだろう。

 

今は申し訳なさがふつふつと募っているのだが、僕の仕事は落ち込むことではなく、それを踏まえて今後、どうよりよい引継ぎを行えるようになるかにかかっている。

 

その方法について思い巡らせて、考えて、そして今、とりあえずの教訓と、具体的行動を抽出することはできた。

 

以下、それを書いていく。

 

実際、この事案を減らそうと思ったら、何ができる?

f:id:pochihiko_inunosuke:20220415120127p:plain

 

突然だが、【システム化】という言葉がある。

 

今だから白状すると、僕はこの言葉のいわんとするところが、わかっているような、わかっていないような、非常にふわふわしているという具合だった。

 

だが今、その意味が急に自分の中で言語化できた。それはつまり、【ルール化】のことではないかと、仮置きの定義だが感じている

 

エラーの原因が押しなべて感情的なことに左右される作業から、その要素を取り除くために必要な考え方やルールを作り、絶対に守り、守らせること。

 

それが【システム化】の真の意味ではなかろうか。そう悟ったのは、今回の一件の遠因が、僕個人の「まぁいいか・・」にあると気づいたためである。

 

ならばもう、話は早い。ルールを作ればいいのだ。そしていかなる例外もとりあえずは設けず、そのステップを全て経たうえで、担当を持たせるのだ。

 

予習用の教材を必ず入手し、送る。その科目に精通した先輩方に、授業前のどこかで必ず研修を行ってもらう。生徒情報を抜けなく絶対に送る。

 

このチェック項目に、僕の感情は介在させない。どれだけ繁忙期だろうが、このルールは守る。そういうものを、改めて作ることに決めたのだ。

 

結局、気持ちが緩めばヒューマンエラーは爆増する。西野亮廣氏もブログに書いていたが、人間は元来弱い生き物である。意志の力で全てをこなせるわけがない

 

ならば、意志の力に頼らない方策を立てればいい。それの答えが、とりあえず今回の場合、【システム化】という風に行きついた。

 

もちろん今後、それを磨き上げるのは当然ながら、本当にそれが最善の答えなのか、日々追試していくことになる。

 

終わりはやはりないのだ。だが、教訓を得て、次に生かし続ければ、いずれそれなりのところには行けるだろう。前向きに考え続けることは、やめないようにしたいと思う。

 

まとめ。

 

ということで結論だが、ぶっちゃけ人間と人間の相性は、確かに神のみぞ知るというか、どうにもできない部分は結構多いのは間違いない。

 

しかし、「依頼する側の落ち度で、マッチングは失敗しがち」という事実からも、目を背けてはいけないと思うわけで。

 

今回、そのことを髄液ぐらいの深さまで、身に染みて感じた次第である。引継ぎも依頼も、くどすぎるくらい慎重になる方がちょうどいいのかもしれない。

 

まぁ、しばらくそれで走ってみます。ってことで今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村