精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【お金】の正体とは、「わらしべ長者」である。

家のPCの寿命が近いような気がしてならない中元です。車検と合わせたら10万飛ぶのですが、それは・・・。

 

はい。最近、経済学部出身なのにも関わらず、うまく【お金】を生徒に説明できない歯がゆさに限界がきて、毎日その正体を探るべく勉強を続けている。

 

もちろん学術的なそれについては興味がないし理解もできないので、主にこの世界をうまく渡っている方が書いた実用書が、そのメインの教材だとは書いておく。

 

さて。そんな日々をしばらく過ごしてみると、最近ふと自分の中で、ある程度の輪郭が出きてきたように感じている。

 

そこで今日は、まだまだ授業を作るレベルには程遠いのだが、その輪郭を今の時点で言葉にして、自分の定着度を上げようと頑張ってみることにする。

 

以下、やたら長くなった本題である。

 

 

【お金】の役割をしっかり考えよう。

 

お金の正体については、ざっくり分けて大きく2つの解釈がある。それは、「便利な交換ツール」と、「信用を数値化したもの」である。だが、本質的には両方同じだ。

 

よくわからないので、簡単に説明しよう。太古の時代、人類同士で交流が始まると、人は物々交換によって、生活を豊かにするようになっていったそうだ。

 

例えば、靴を作るのが上手な人に、庭でとれたリンゴを10個持っていって、それで作成を依頼するのもそうだ。(こんな例があったかどうかは知らないが)

 

しかし物々交換には、ある致命的な弱点がある。それは、運べる量の制約、保存の上限、そしてそもそも当事者同士の好みといった風に、変動する要因が多すぎるのだ。

 

例えば僕はチーズが大嫌いなので、チーズを1億個積まれても、1分たりとも授業をする気はない。こういうケースだってあり得るのだ。

 

そこで登場したのが、性質が変化しにくく、かつ軽い、いわゆる装飾品と呼ばれるものを【貨幣】として利用するというアイデアである。

 

その最初期は、例えば貝殻だったり、銀でできたコインだったりしたという。(実際、漢字でもお金に関する語句には、よく「貝」が使われる。例:貯、贅、購、資、など)

 

日本史においても、和同開珎や銅銭といった言葉を聞いたことがあるのではと思う。これらが何をしていたのかというと、つまり取引の円滑化である。

 

やはり、【貨幣】の働きは至極単純で、簡単に交換を行う仲介者なのだ。ぶっちゃけ、これ以上でも、これ以下でもないのである。

 

しかし【金融】とか【為替取引】といった言葉が登場し始める頃(確か第二次世界大戦後)になると、交換ツールとしての機能は薄らぎ、お金そのものが価値を持つようになる。

 

みなさまも、外資とか買収とかFXといった言葉を聞くと、くらくらするほど巨額の金が動くというイメージがあるのではなかろうか。

 

また、年収1億なんて稼ごうもんなら、欲しいモノはなんでも変えて、いい女とも好きなだけ付き合えるという夢さえも現実になる。そう思えてならないだろう。

 

しかし、なぜ年収1億稼げればすごいのか、その理由を考えたことはあるだろうか?一旦行間を空けるので、思考を停止させず、少し考えてみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・思うに、【交換】という働きで、それは説明できる。言い換えれば、年収1億とはつまり、1億円分のお金と交換できる能力や信用を持っていることの担保である。

 

またそれだけたくさんのお金を持っているということは、同時に、その額と同じ分だけ、他の物を交換によって手に入れることができるということでもある。

 

「すごいスキルがある!」「とても信頼されている!」という言葉で表現するとピンと来ないからこそ、具体的な数値で表しているのでは、と感じている。

 

要するに、ドラゴンボールにおける戦闘力と同じようなものだ。その数値が高ければとても強いことが、戦わずともわかるのとよく似ている。

 

こんな風に考えれば考えるほど、【お金】は単に、何かと何かを分け隔てなく交換するためのツールなんだと気付かされる。

 

※・・・ちなみに日本はなぜ金稼ぎをすることを卑しいと思うようになったか、という歴史についても面白い話があるのだが、今回は本題からずれるので割愛する。

 

ーところで、似たストーリーとして、【交換】を繰り返して裕福になっていく有名な昔話があることに気付かれないだろうか

 

それこそが、タイトルに書いたわらしべ長者だ。続いては、その類似点と、この物語が教えてくれている【真実】について、書いていこうと思う。

 

わらしべ長者に学ぶ、【お金持ち】になるための本質的な考え方。

わらしべ長者をすごく乱暴に言うと、些細なものを少しずつ高価なものに交換していって、最終的には裕福になる、というものだ。

 

ちなみにこの寓話が作られたのは、平安末期~鎌倉前期のことらしく、その時代にはまだ、【お金】を使ったやり取りが一般してなかったと考えられている。

 

しかしその教訓が伝えるものは、単純明快に【経済】のシステムをあらわすものでもあると思えてならない。それはやはり、【交換】という文脈で語れるのだ。

 

最初に登場する子供にとっては、みずみずしいミカンより、藁に結ばれたアブの方が価値が高い。

 

しかし道端で出会う、喉が渇いた人にとっては、反物より、みずみずしいミカンの方が価値が高い。

 

それを繰り返していった結果、あの若者は豪邸さえ手に入れることになるのである(もっとも、オチには色々な種類があるらしいが)

 

さて。この流れを、実生活におけるお金持ちの言動に当てはめて考えてみよう。非常に有名な例だと、前ZOZOTOWN社長の前澤氏が、絵を123億円で購入した話がある。

bijutsutecho.com

 

単に金持ちの道楽と捉えた人も多かったし、もちろん僕も最初はそう思った。中には、「お金を粗末にしやがって!!」と考えた人もいたと思う。

 

だがやはり、【交換】という目線から考えると、話がかなり変わってくることに気付かされる。

 

123億円という【お金】が交換してくれたのは、実は【絵】そのものだけではないのだ。話題・知名度はもちろん、海外のセレブとの人脈も然り。

 

こういった定量化できないものは、本来購入できないものなのだが、このオークションを通して、見事にそれとも交換ができたとさえ考えられる。

 

なんなら、その絵にさらに希少価値が付けば、123億円という原価を超えることだって考えられる。そうなれば、割が良すぎる投資ではなかろうか?

 

もっとも、その真意なんかわからないのだが、【交換】こそが【お金】の本質だというのがよくわかる一例には違いない。

 

この辺のリテラシー、もっと幼いうちから勉強しておきたかったなと、今更ながら少し口惜しくさえ考えている。

 

「貯金に意味などない」という発言の意味がよくわかった。

 

【交換】のために作り出されたものが【お金】。それ以上でもそれ以下でもない。そのことを考えると、さらに物騒な未来が想像できてくることに気が付いた。

 

そもそも、なぜ【お金】は色んなものに交換できるのだろうか?有名な話だが、その理由は「皆がそう思っているから、そう信じているから」というただそれだけなのだ。

 

つまり、「1万円あれば、1万円分の何かと交換してくれる」という信頼を皆がお互いに見ず知らずの人であっても抱いているから、なのだ。

 

ある意味英語より世界中で通じて、どの宗教よりも世界中で信じられているただ一つの考え方かもしれない。(いわゆる最も巨大な共同幻想である)

 

・・・そう考えると、段々と、多くの人が異口同音に唱える「貯金に意味などない」という発言の真意がよくわかってきた。

 

同時に、「使ってもお金が入ってくる金持ちだからそんなこと言えんだろ!!」というのが的外れな批判だ、ということも

 

さて。そもそも、【お金】が価値を無くしたらどうなるか、そんな世界を想像してみたことはあるだろうか?実はそのモデルケースが、近い歴史に存在する。

 

非常に有名な例だが、いわゆるジンバブエハイパーインフレだ。ここでは、政治の失敗などを原因として、通貨の価値がなくなった時期がある。

allabout.co.jp

 

確かその当時のドキュメンタリーを子どもの頃に見た記憶があるのだが、そのショックのあと、ジンバブエは物々交換の世界に戻っていたのだ。

 

取材していた記者がジンバブエドルで払おうとしたところ、店員の女性が苦笑しながら、そんなもん、使えないわよ」と言っていたのが非常に印象的である。

 

そう。誰しもが価値を認めなくなったら、途端に【お金】は何にも交換不能の紙屑と化してしまうのだ。なんと不安定な「価値」なのだろう。

 

つまりお金をひたすらに溜め込んで預金通帳のゼロを増やし続けても、このリスクがいつまでも付きまとう、ということである。日本は色々担保されているが、だ。

 

そういえば【お金】の危うさについては、過去何度もその価値が揺さぶられる事件が起きてきた。リーマン・ショック然り、ビットコインの登場然り。

 

そうすると、新たな疑問が浮かんでくる。【お金】にはこういう側面が付きまとうのであれば、一体僕らは安心のために、何を集め続ければいいのだろうか?

 

―それについても、すでにヒントは書かれている。「【信用】をとにかく勝ち取れ」という教えだ。それさえあれば、生き残れる、と。

 

例えば家を追い出されても、友達というツテを頼れば、しばらくは住めるし、飯も食べられるかもしれない。このときは、【信用】が家やお金に変わっている

 

たとえお金をすべて失っても、信用さえ貯めていれば、こんな風に人を頼って生き抜くことが可能となる。それが上記の助言の意味なのだろう。

 

しかしそれが無ければ、確かに破産はそのまま社会的な死となるだろう。また、お金があっても信用が無ければ、果たして人生は味気あるものとなるのかどうか。

 

ではどうすれば、【信用】を貯められるのか?僕にもその明確な答えは出ていないのだが、その術が【貯金】じゃないことだけは、よくわかる

 

【お金】はどんどんと、より価値が高いものと【交換】するべき。それが結局、お金を持つことに依存するリスクを減らし、生き抜くのに必要なスキルを鍛えられる、と。

 

今のところはそう独り言ちている。もちろんこっから先は、僕自身も眉唾なところもあるため、まだまだ仮説と検証が必要なのだが。

 

だからこれ以上偉そうなことを語るのは、自分の資産がちゃんと増えてからにしようと思う。

 

終わりに。

 

ご察しの通り、書いているうちに話がどんどんと繋がり、ここまでの文字数に膨らんでしまった。しかし、噛み砕いていけば、【お金】の正体はシンプルなようだ。

 

【お金】はさっさと、自分の能力なりなんなりを増幅するアイテムや知識、人脈作りに投資して、さらに価値を生み、もっと大きいものに交換する。

 

結局のところ、このような話なんだと思う。宝くじに当たってビリオネアになった人のその後が大抵悲惨なのも、無関係ではないのだろう。

 

もちろん生徒に伝えるには、まだまだ精査と、僕自身の学習が必要だ。だが、今までの人生で一番、腑に落ちてきたとは考えている。

 

もしかしたら、寝ているうちに悟るかもな。【お金】。向き合っているようでそうじゃなかったもの。

 

皆様にとって、【お金】とはなんだろうか?今一度考えられてみてはどうだろう。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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