精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

金銭感覚を養いたければ、時給というフィルターを通して値段を見ましょう。

二日酔い→片頭痛のコンボで死にかけました。中元です。放言で会社内社会的に死んでる説もありますが、まぁいいや。

 

はい。こないだ、我ながらまぁまぁの大作である【お金】に関する話をブログにしたためた。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

それ以来、とにかく【交換ツール】という本質を強く意識するようにしている。使わねば活きてこないが、使い方を間違えても活きてこないのだ。

 

そんなとき、ふと昔本で読んだ教えが、脳裏に閃いた。親和性が高いと思ったので、日々の行動にそれをミックスしたら、なんと無駄遣いが激減したので驚いている。

 

その考えとは、【時給換算】である。このモノサシを使うことで、割安・割高といった感覚的なものが、はっきりと手触り感をもって知覚できると思うのだ。

 

ってことで今日は、補講という形で、こないだの記事のオプションめいたことを書いてみようと思う。

 

 

対価として労働を提供できるか?

 

お金を使う場面は、毎日いつでも存在する。自販機でジュースを買うときもそう。クレジットカードで決済をするときもそう。

 

その出入りに無頓着だと、大抵月末に結構パンチの効いた請求書が届き、目玉が飛び出ることになるのだ。普段の僕のように。

 

では、無頓着とはどういうことか?それは、値段に対し、何の感想も抱かないことだと僕はとりあえず考えている。

 

例えばコンビニに560円のラーメンがあったとして、「おいしそう」以外の情報を何も考えずにカゴへ放り込むのはダウトである。

 

そういった無自覚の浪費が重なれば、コツコツと満足度の低い交換が繰り返されることになるため、「今月使い過ぎた・・」というあの後悔が生まれるのだ。

 

そこで用いたいのが、この本に書いてあった考え方だ。

今は手元にないのでうろ覚えなのだが、確か「働いて手に入れたおカネを、のり弁で考える」みたいなくだりがある。

 

例えば原稿を何枚仕上げたら、のり弁がいくつ買えるか、という風に変換されるという話だった。このヒント、実はかなり有用である。

 

理由は簡単で、【値段】に対し、また別の目線が増えるからである。観点が増えれば増えるほど、正確な値を掴むことが容易になるのは想像に難くない。

 

一例を挙げる。どうでもいいので白状するが、僕の授業料は、計算すると60分辺り1600円という計算になるらしい。

 

当たり前のことを言うのだが、僕にとっては800円のものを買うには30分授業する必要があるし、3200円のものを買うには2時間の授業が必要になるのだ。

 

たったこれだけなのだが、モノを買うときに値段を見て、このことを考えると、自然と購入が減るので面白い。買うにしても、確実に【納得】はできる

 

コーヒーを160円で買うのは、授業6分に等しい。ならば割安、だから買おう。そんな風に。

 

逆に、ごま油で500円とは、ざっくり授業20分弱に等しい。少し割高に感じる。だから僕は、最安値のそればかり使っている。

 

こうやって、おカネとおカネの交換ではなく、労働とおカネの交換という図式に変換すれば、無条件でバコバコ買い物をするという行為は自然と減っていくのだ。

 

自動的に「この交換は、損か得か?」が掴みやすくなる。得である限り、額がいくら太くなろうともそこには満足と納得が生まれるからトントンだ。

 

やってみると、ゲームみたいで面白い。皆さんも今度、ふと手を止めて、自分の時給と交換するつもりで買い物をしてみてはどうでしょう。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

※先ほどの本は、カネに関する生々しすぎる体験談をもとに、胸に染み入る教えや教訓が書かれている。かなり考えさせれる名著なので、ぜひ読んでみてほしい。

 

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