外から酔っ払いの奇声が聞こえる職場でこの記事を書いています。平和な世界。中元です。
突然だが、今日、僕にとってまた一つ、辛い出来事があった。色んな要望に対し、それに応えるべくある施策を実行したところ、烈火の如く上から怒られたのだ。
いつもだったらそういう声色で言われると委縮する僕だが、今回は我ながら、聞いている内に心の底がどんどんと冷えていったのをしっかりと実感してしまった。
それは今や、どす黒い不信感として、心の奥底に巣食っている有様である。明日の僕はその人に対し、どんな冷たい目を向けるのだろうか。
―ところで、学級崩壊といった深刻な問題を解説する本を読んでいると、非常によく登場する失敗談がある。
それは、教員の言行不一致という感じの話だ。そして今、それは確かに、心が離れる最大の原因になりえると、はっきりと理解している折でもある。
このネガティブな感情があるからこそ、書ける話がありそうだ。ということで推敲もそこそこに、今考えていることを書き殴ってみる。
「勝手なことはするな!責任は取れ!」
僕が受けた叱責の中身は、つまり「誰の許可も取らずに行ったそれは越権行為、赦されない」という感じであった。
越権行為というからには、その人の中にはある前提があることが垣間見える。それは、僕という人間にそこまでの権限を与えた覚えはない、というものだ。
だが僕は、一応肩書を貰っており、部署を預かる者として、要望に応えたという感じではある。しかし、その人に言わせれば、報告無き時点で容認できないそうだった。
―となれば、色々矛盾するエピソードは、ここに詳しく書けないが山ほど存在している。それこそ直近でも、だ。だから僕は、白状すれば全く納得していない。
言い返したいことは山ほどあったし、正直少しそうしたが、途中からめんどくさくなり、適当に「はい、はい」と伝えてその場を終わらせた。
何が越権で、何が裁量なのか。そこが益々曖昧になり、解釈次第でどのようにも持っていける状況。僕が大嫌いな混沌に、また近づいた感じがする。
半分ネタだと信じたいが、「勝手なことはするな!責任は取れ!」という二律背反を、今日のやり取りから強く感じ取っている。
今はもう、ただただめんどくさい。だから一瞬、「じゃあ大政奉還しますね」とでも言い放って、権限(笑)の全てを、お望み通り投げ返したいとさえ思った。
しかしそうすると、今働いてくれている講師たちが確実に割を食うことになる。それを思えば、今は踏みとどまるべきだと、すぐ冷静になった。
ちなみに、僕はたとえ結果困窮しようと、今の立場と状況にしがみ付いてでも、この校舎に身を置き続けるつもりはさらさらない。
来年前期。そこが独立のデッドラインになるだろうなと、改めて身を引き締める結果となった。
「あの子は良いが、お前はダメ。」
そういったケースは、実は学校でも起こり得る。それは被害者として食らうこともあるが、自分が加害者として生徒に行ってしまうこともかなり多い。
「いくらなんでも、そんなことはないだろう?」と思われただろうか?だが、その落とし穴は、恐らく想像の数十倍も多いことをキチンと認識した方が良い。
例えば、宿題を忘れた際の対応にもそれは現れる。宿題常習犯に課す罰則を、たまたま忘れただけの秀才に躊躇いもなく実行できるだろうか?これはかなり難しい。
そしてそこの対応に差をつけたとき、あなたの信頼度は失墜するとみていい。生徒はかなりシビアにそこを見ている。例え無意識だろうが、その傷は長年消えてくれない。
僕自身、あまりいい印象を持たなかった先生はゼロではない。その理由は何かと考えると、他の子は許される咎が、僕は許されなかったという不信に結構起因していたのだ。
もちろん僕自身、劣等生であったこと、授業を妨害する側だったことは自覚している。我儘なのも承知だ。傷を負おうが、それはお前のせいだと言われるのも納得だ。
しかし、伝えたいのはそこではない。矛盾した言動が生む不信感は、多くの人が考えるそれよりも、桁外れに強く長く重たいということである。
説明一つ、指示一つ、その一挙手一投足にジャッジが下されていると考えた方が良い。言ったからにはやる、できないなら言わない。
また一つ消えない不信感を負ったことで、僕自身、自分の言動には責任を持とうと改めて思った。
終わりに。
前半はただの愚痴だったが、今回は過去最速で、気持ちがフラットに戻った感覚がある。今はもう、ひたすらに全てがどうでもいい。
なんにも僕は期待していないからだ。そもそもこの一件も、「なんで怒られたのか」を分析する前に、「そういう人か」という感想が先に立つべきだったとさえ思う。
なんなら、手柄や裁量、肩書や責任なんてのに少しでも愛着のようなものを感じている自分にさえ、僕は失笑している。何を誰に期待しているの?
そもそもよく考えれば、僕が欲しいのはその成果を"狙って"生むのに必要なデータと経験値である。それによって数値が出たとして、そんな上澄み、確かにどうでもいい。
決めた。そこまで望まれるのであれば、僕はもう喜んで渡してしまおう。僕の提案も笑顔で差し上げよう。そして僕が働こう。手柄なんて薄っぺらいもの、もう要らない。
上の方が褒めそやかされれば何か変わるかというと、僕のストレスが激減する。もうそれでいいし、それがいいや。今年いっぱいの辛抱だもの。
そもそも認められることさえ諦めたからこそのあの選択である。巡り巡って、自己の本質にさえ気づけたと思える。そう思えば、あのお叱りは非常に有益だった。
だがそう吹っ切れるような人はたぶん少数派だ。学校の先生に受けた仕打ちを怨恨として抱き続けている友人も、実際ゼロではない。
言行一致。熟語にすれば非常に単純だしその通りの言葉なのだが、その言葉に含まれる教えは非常に深い。
ってことで今日はこの辺で。