ストレスに任せてドカ食いしたら、結果今朝の体調が悪くなって、もっとストレスが溜まりました。今日はクリーンなものを食おう・・・。中元です。
はっきり言うが、今日は超暇であった。授業もたった3つ、出社してから何時間も特にすることがないままに、日暮PCに向かひて、雑務をしているフリに興じていた。
これは平和な日だろうか?ある種理想的な仕事なのだろうか?そんなわけは無いだろう。僕は今日ほど、冷や汗をかきまくった日は無いほどに焦っている。
今日はそんなお話。
同じ日々の繰り返しは衰退の兆候だと思う。
ふと手を止めて耳を澄ますと、別室で授業を行う講師の声が聞こえる。外では、学校帰りの中学生が、奇声と歓声の間の何かを発している。
穏やかな日々。それそのものは別に否定しないが、やはり焦る。すごく悪いことをしている気分になる。
昨日と同じ今日、今日と同じ明日。その繰り返しが積み重なると、待ち受けているのは衰退。そんなもの、本を読んでも実例を思い浮かべてもわかる話だ。
暇であるとはつまり、利益を生めていないことと同義だ。高い人件費を頂戴しながら、
何の価値も創れていない時間は、もはや罪悪感の塊と言える。
冷静に考えれば、本来できることは山ほどある。広報活動もそう、新しいイベントを考えてその下準備を整えるのもそう。
焦る理由は単純で、僕は自分がまだまだ仕事を生み出すことができていないことを強く認識しているからだ。
校舎の清掃とかそういった小手先の話ではなく、価値を伴った何かを創ること。そしてそれに他者を巻き込んで、より精度の高いものにしていくこと。
尚、こう書けばカッコいいのだが、単に例えばランキング表を作ってワーキャーしたり、景品を付けた自習教室を開校したり、その程度の話なのでよろしくです。
ラクして稼ぎたい人にとっては正解という状況。
しかし、空き時間が多いことを正解と取る人も会社内には居る。そこまで疲れずに利益が生めるなら、それに越したことは無いではないか。そんな風に。
ここは価値観の衝突であり、例えばこの空き時間に仕事を依頼したら烈火の如く怒られたこともある。「空き時間は空き時間。潰すな!」という風に。
それもそれで正解だし、僕自身ある程度のバッファは作業の中に必須だと思う。そこは否定しない。しかし、業務時間のほとんどが暇なのは、どうだろうか?
ある人は正しいことのように考えている。僕はそれを、恐怖だと捉えている。この場合どちらの意見が通るかと言えば、悲しいかな、肩書が上の方というわけだ。
(ちなみにこの相違で揉めたのが、昨日記事にした話の発端だったりする)
とはいえ僕の考え方は、悪く言えば非常にブラック企業的であり、無駄な労働を他者に強いるという反論もあるだろう。
何度手綱を締められて、何度僕の提案を無駄な作業と受け取られたか。もちろん実際にそうだったそれもあるだろうが、全部が全部そうでもないだろう。
しかし、異なった価値観を融合させることは不可能に近いことは、歴史の勉強をしていれば秒で理解できる心理である。
組織というものはすごく難儀な集合体だよなと、誰目線なのかわからないことを、ぼーっと考えていた。
終わりに。
最近、こういった違和感をテーマに記事を書くことが多いので、少し振り返れば愚痴だらけになっているような印象を受けた。
だが、この感覚は、いずれ僕が組織を創るときに生きてくると考えているので、なるべく今の気分そのままを言語化するよう心掛けている。
「あの時の俺はこういうことに苦しんで、こうしたいという思いを殺したのか」という風に。あとになって考えれば、自分が間違えていたと冷静にわかるかもしれないし。
誰かの役に立てばいいという高尚なことも、あまり考えていない。未来の自分に向けた手紙という方が適切かもしれない。
あやしうこそものぐるほしけれ。ってことで今日はこの辺で。