自分が立てた計画が予想外の事象によって崩れると、途端にどうでもよくなるのが悪い癖の中元です。
突然だが、生徒に1人、かなり多動性・衝動性が強い子がいる。学年は小学3年生だが、正直幼稚園年長としか思えないほど、元気が有り余っているタイプだ。
やりたくないことはやらない。喋りたいときは喋る。良くも悪くも、ルールというものを全く理解していないのではと思えるほどの天真爛漫っぷりである。
そのため、いつか同室同時間帯の別の生徒からクレームが来るだろうとヒヤヒヤしており、体罰にならないよう心がけつつも、制御する必要性をひしひしと感じている。
―そんなその子が、今日学校の宿題を解いていた。勿論まだまだ他の生徒の行動次第ではキャッキャとしてしまうため、監視役・制御役として僕が付いてはいたが・・・。
その際彼が噴出させたある不満に、僕ははっとさせられたのだ。今日はそんなお話。
「どうすりゃいいん!!??」
その子が怒気を含みながら発した不満とは、掻い摘んで言うと、担任の先生の宿題の指示が、曖昧で分かりにくいということであった。
彼はある日、漢字"だけ"を書いた漢字ドリルを提出したところ、「ひらがなも書くように」と言われ、ノートにピンクのペンでそう書かれたという。
だから次回はその通りにして、漢字+送り仮名を書いたものを提出したら、「よみがなも書くように」と注意されたのだという。
そこで今度は、漢字も送り仮名も書いて、マスの横の細長いスペースにきちんと読み仮名も付けたところ、「1ページ埋めましょう」と、またも注意が書かれたそうだ。
「だったらさぁ、さいしょからぜんぶそういってほしい!おれはどうしたらいいん!!??」
彼はそう吐き捨てながら、漢字ノートを破れんばかりに握りしめていた。全く同じ感想を、僕も抱いてしまった。
勿論、その子が完全に聞き逃したり誤解したりしたためのエラーであり、先生に全責任を負わせるのは酷という意見もあるだろう。僕もある程度はそこに同意する。
とはいえ、その子がややヤンチャという性格を鑑みても、単なる大人への反抗では片づけきらないほど、その怒りは強かったとも感じてしまった。
これに似た話は、小学校の教室運営を説いた本にもよく登場する。「学級崩壊は先生への不信から始まり、その不信は些細な指示出しから生じる」という風に。
褒めない、指示を明確に出さない、期限を決めない。こういった厳格さや矛盾、曖昧さが積もり積もって不信を生み、そして手が付けられなくなっていくのだとあった。
昨今はADHDだのなんだのを根拠に、問題行動を個性とか特性という風な言葉でまとめて、「まぁそういう子ですから」と許容することが良しという風潮を感じる。
僕自身どちらかと言えば多動型だったため生きづらさを感じていた分、それらが許容されるのは嬉しいのだが、結果教師・講師側の落ち度まで霧散するのはどうなのだろう。
この暴露を受けて、僕は一層、「集団を運営するのに際し、やってはいけないこと」を絶対にやらないよう、今一度学びを深めねばと決意した。
褒めよう。指示はわかりやすくしよう。期限は決めよう。そのためにシステムとしてテコ入れすべき部分は無いか?他の先生とどう連携を取ろうか?
今のうちに知見を溜めておかねば、僕は独立した瞬間に自分の校舎を潰すだろう。自分の仕事の在り方に、一本のテーマが見つかったような感覚もあるなぁ。
・・・とりあえず最後にぼそっと書いておくと、指示出し一つで不信は生まれるので、自分の言動にはマジ気をつけましょう。僕も気を引き締めます。
この辺りの心理は、受験勉強をしていた頃のレベルで勉強した方が良いとさえ感じる。しばらくはルーティンの一つに加えるとしよう。
ってことで今日はこの辺で。
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