精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】45分生徒が黙って話を聞く環境は異常です。最初から無理と思った方が良い。その方が思い悩まないから。

最近新しいトレーニング方法に出会い、腕が着実に太くなっている謎の中元です。イエスマッチョ。

 

はい。突然だが質問。特に集団授業をお持ちの皆様にお聞きしたいのだが、皆様はどのような環境で授業ができれば、その時間を自分自身に対して合格とするだろうか

 

例えば、45分シーンと出来たら正解?和気藹々と盛り上がれば正解?単元1つを教え切れれば正解?果たして、どれだろうか。

 

今日はその中でも、先生以外は沈黙している空間こそ至高であり、さもなくば講師失格だとさえ考えるクソ真面目なあなたに向けて、少し小話を書いてみたいと思う。

 

 

45分生徒が黙って話を聞く環境は異常です。最初から無理と思った方が良い。その方が思い悩まないから。

 

とある集団授業内に、以前も記事に軽くしたのだが、手が掛かるヤツがいる。勉強は下の下という感じで、部活もそこまで熱心というわけではないという。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

しかしちゃんと中学生男子らしく、自己顕示欲や、自分を特別だと思いたい願望が強く、隙あらばそのアピールが飛んでくるのだ。

 

例えば、大声のノリツッコミであったり、わざわざ授業が始まった瞬間に寝たふりをし始めたり、推しのアイドルの写真を机に出してうっとりしたり、そんな感じ。

 

今風な言い方をすれば、要するに「かまちょ」である。ただし普通に市民権は得ているようで、嫌厭されることなく友達の輪には入れており、そこは心配していない。

 

ただどうしても、何かしらの騒音を伴う系のアピが厄介であり、一回それが原因で「なんとかしてください」というクレームが保護者伝手に飛んできたことさえあるほどだ。

 

だから今のところ、雑談や小話に興じたい自分をぐっと押さえて、勉強に関係ないこと以外は言わないし許さない環境を作ることに注力しているくらいである。

 

―実をいうと、自分の授業で崩壊気味なことをやらかしたのは、当然ながら初めてじゃない。新入社員時代にもあり、そのときの記憶は、未だに超苦く、思い。

 

それを想起させるためか、その生徒に対し理不尽なのは承知の上で怒りを覚える時期もあった。完全なる内々の八つ当たりであり、僕の器が未熟なゆえの感想なのだが・・・。

 

不必要に苛立ち、帰宅してもそれが鎮火せず、お酒を飲んで酔いが回り、そして一息ついているときに、ふとある悟りが天啓の如く降ってきた。

 

「僕はいったいどんなに高水準の、そしてこちら都合の授業を押し付けようとしているのだろう」

 

・・・・。

 

勉強より楽しいことがそこら中に転がっている状況で、報われるかどうかが全く見通せない努力に、自分の全リソースを注げる方が稀有である。

 

そもそも僕自身、それができていたかと言われれば、はっきりとノーである。まさにどの口が誰に何を求めてるのかと、別の角度から自分の態度が嫌になった。

 

45分生徒が黙って話を聞く環境は異常です。最初から無理と思った方が良い。その方が思い悩まないから。

 

どんな事例を見ても思うのだが、授業の妨害になることを厳しく禁じつつも、同時にそういう思春期特有の欲望を上手に発散させる教員が一流だと思わされる。

 

僕はまだまだ学ぶことがある。だからこそ、現時点で理想とする授業ができないからといって、反省こそすれ、思い詰めるのは、よく考えればイカれた話である。

 

高校野球部の一員が、プロ野球選手の技術と自分のそれを比較して、落胆するようなものである。健気な努力というより、病んでいるだけにしか見えない。

 

自分が求める最終的な水準は高くていいが、現状から少しずつそれに近づけばいいのであり、最初から十ゼロで己に課すのは不健全だ。

 

自分に優しくあろう。そう肩の力が抜けた瞬間であった。

 

ただし最低限の努力すら怠ったら、僕はこの仕事を辞さねばならぬ。

 

しかし一つだけ念押ししておかねばならないことがある。それは、僕自身が努力を放棄し、それを肯定するという意味では、決してないということだ。

 

仮にそういう思考になることがあれば、僕は即刻この仕事を辞さねばならないとさえ思う。誇張でもなんでもなく、だ。

 

何度も書いてきたが、荒れる授業には共通点がある。それさえ取り除けば沈黙が生まれるというほど甘い話ではないが、それの回避を死守するのは前提だろう。

 

そのうえで、例えば家庭環境がどうとか、生まれ持った特性がなんだとか、そういう制御不可能な要素について気に病まないというのが正確な意味である。

 

自責と他責の狭間で、心が破壊されないよう帳尻を合わせる。こんな芸当ができれば論語で言うところの「七十にして矩を踰えず」の水準にも思えるのだが・・。

 

立たねばならない三十という年齢でもあるので、自分に疑念を持たず、やれることをやっていこうと思う。

 

ってことで、今日はこの辺で。

 

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