精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

僕が【校舎長】になりたかったとか、今も【独立】したい理由が、"エラくなりたい"・・・っていう小さな見栄なわけ、ねーじゃん。

ダイエットが進んでくると、今までの努力がチャラになる気がして、酒を飲みたくなくなってきます。健全なストッパーに感謝、中元です。

 

さて。大体どこの組織もそうだろうが、僕が勝手にあれやこれやと校舎運営に関することでテコ入れすると、直属の上司からかなり嫌な顔をされる。

 

そのせいでこないだも派手なカミナリを落とされた。「お前はいっつも俺に相談せず、勝手に何かするよな!!」というセリフのオマケつきで。

 

まぁ確かに、僕は僕が思いついたことを、人に相談するということをあんまりしない。それについて、多分手柄を独占しようとしてる的なことを思われているのだろう。

 

だが正直言って、それを訂正するのもめんどくさいし、言ったからといって何かが変わることを期待することも完全にやめているので、つまり何もする気はない。

 

そもそも僕は権力欲とか自己愛なんてみみっちいことのため、かつては昇進を志し、今は独立を企てている・・・なんてことは全くない。金輪際、ない。

 

今日はいずれ説明せねばならない場に備え、僕の本意を言語化しておこうと思う。

 

 

僕はナンバー2に向いていない。

 

何年前か忘れたが、社員研修の場で、こう言われたことがある。「キミはサブとしてキャリアを重ねていきたいのか?」と。

 

刹那、「いえ、僕は自分の組織が欲しいです」と返答した。その後に、将来部署を預かる気はあるかといわれたが、その際も秒で「はい、あります」と断言した

 

その後何年経っても現状が変わらないのは皮肉なものだが、このやり取りからも、僕は昔から権力欲が強いと、もしかしたら周りからは思われていたのかもしれない。

 

いずれ今の勢力図をひっくり返してやろう、あいつを追い出して校舎を乗っ取ってやろう。そんな危険なことを腹の奥底に抱えている。そんな風に。

 

断言するが、笑えるほど的外れである。僕が自分で自分のケツを拭きたいと言い続けて憚らない最たる理由は、そんなみみっちいところになんてない。

 

他者から肩書にちやほやされて悦に入る。そんなん、自分でカネを払ってキャバクラにでも行って、勝手に満たされてろという風にしか考えていない

 

単に、裁量や肩書を得られれば、自分のアイデアを素早く実行でき、また多くの人を迅速に巻き込める。そう思っているためである。それ以外にも、以上にも、なんもない。

 

誰かにケツを拭いてもらうための根回しとか、我ながら意味不明なアイデアを納得してもらうための会議とか、そのすべてが遠回りにしか思えない。邪魔だ。

 

僕はあまり気付かれていないが、意外とせっかちなのである。とりあえず生んで、それから育てたいタイプ。

 

だが、誰かの下で仮初の肩書を貰っている状態では、それは叶わぬ夢となる。ホウレンソウという死ぬほど嫌いな言葉を説かれ、すべてを共有することが強要される。

 

それで僕が得すればいいのだが、結果手柄が有耶無耶になり、責任(という名の後処理)が明確になるというのが現実であった。だからもう、イライラして仕方ない。

 

理不尽さに対してではない。永遠に「待て」といわれているようなこの現状そのものにだ。

 

その反動こそ、上司から見れば自分勝手な越権行為にしか映らないアレコレだ。それを通じて、僕は自分が裁量を得た未来をシミュレーションしていたというわけである。

 

後々に強烈なカミナリを落とされるとわかっていても、補って余りある楽しさがそこにはあった。もちろん、イタズラに感じるスリルとはまるで違う。

 

自分で自分のケツが拭けること。自分の施策で何がどう変わるかを見て、手を考えること。自分の企みを誰かと実現しようと盛り上がること。

 

それを心の底から楽しいと思えた。そこに権力欲とか、あるわけないじゃん。もう他者から自己重要感を満たしてもらう段階は、通り過ぎたっての。

 

ある程度ワガママを言っても差し支えないほど、働いたし、数字も出したし、実績も作ったし、自分に箔をつけてきた。しかし、やはり組織図というのは難儀である。

 

そうくるなら、仕方ない。昇進できないならば、独立するまで。そう固く誓って、今に至る。

 

まだ社内の誰にも(たぶん)晒していない胸の内は、こんなところである。

 

理解されないことを理解してもらう時間が惜しい。

 

ちなみに、僕が報告をめんどくさがる理由は、単にそうしたことで得をした場面が皆無だってことに加え、しても無駄だという諦めがあるのも一因である。

 

例えば僕は今、なんとかして一部の勉強をエンタメ化したいと考えている。具体的には、目標を決めて、達成するまでの日々を、逐一記録し広報するのだ。

 

例えば、ボディビルダーがコンテストに優勝するまでの日々を描いたドキュメンタリーのようなものだ。

 

エンタメといえば誤解を招きそうだが、ドラマはやはり共感や感動を生む。難関資格や検定に挑む生徒や講師の様子を、企画の一環として作りたい。そう思っている。

 

また他にも、細々とした校舎運営における改善点や提案、新しい授業の売り方や雇用の創り方など、一人ではがき職人みたく、ずっと考え続けている

 

だが、一つ悟っていることがある。これらは確実に「馬鹿か」と一蹴される、若造の思いつきなのだと。だってどれも、前例がないのだから。(実際に何度か一蹴されたし)

 

恐らく、僕には裁量が無いから、僕が失敗したらその方々がケツを拭かねばならないとお考えだからではなかろうか。そうだとしたら、色々思い違われている気がする。

 

もう、こういう価値観を飛び越えて理解してもらうまでの時間が、惜しいこと惜しいこと。ケツを拭けないことにもどかしさを感じるのには、こういう理由も実はある。

 

終わりに。

 

「準備ができたら・・」という但し書き付では永遠に僕は足を踏み出さないので、僕は自分で自分にゴーサインを出すタイミングを、もう決めている。

 

この数値を出して、この生徒数を維持して、自分が狙った広報を打ってその通りの結果が出たら、大体このくらいの成績になるだろう。その数値はもう作ってある。

 

ちなみに現状、いい具合に順調な業績で来れている。いい意味で緊張感が高まってきており、仕事にハリや楽しみが生まれているところだ。

 

まずは手始めに、年代が近い先輩方に計画を打ち明けようと思う。直近のチャンスとしては・・中間テストが終わったら開かれるであろう打ち上げの席だろうな。

 

いよいよ色々、動かしていきます。ってことで今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村