生徒たちがテスト勉強に打ち込んでいるのを莞爾として眺めつつ、この記事を書いています。中元です。
もはや前提として考えるべきだと思うのだが、日本はどんどん子供の数が減ってきている。それは同時に、僕らのターゲット層が減っていることに他ならない。
「少子高齢化だから・・」というのを大義名分に、愚痴を吐いては紫煙を燻らせるようにはなりたくない。だから、本気でこの課題に向き合っている。
そしてコミュニティ論とかインフルエンサーとか、そういう知識や実例を読んでいくと嫌でもわかるのだが、昨今はもはや「新規入塾」の形すら変わっていると思う。
今日はそんなお話。
不透明な組織に魅力は無い。
ちょっと前とは異なり、学習塾ははっきりと買い手市場となっている。塾そのものは減っているかもしれないが、買い手からみると選択肢が激増しているからだ。
例えば近隣に住まれている方が、学習塾を検討される際の候補になるのは、僕の勤める校舎だけでなく、全国的に知名度を持った塾のオンライン版でもあるのだ。
そういうレッドオーシャンの中で、どう戦うべきか。その鍵について、僕は前々から、校舎をオープンにすることが要だと考えている。
つまり、中で誰が何をやっているのかを透明にするということだ。積極的に広報ツールを用いて、校舎の様子のみならず、校舎長の思想さえも伝えればいい。
そうやって、思想や雰囲気に共感してくれるご家庭・生徒を囲い込む。そのうえで、生徒の伝手を頼りに、ネットワーク的に入塾を取っていく。
僕はこういったシステムを設計することが、たとえ地方の塾であろうが潰れずに生き残る術じゃないかなと捉えている。
実際、僕の同級生の間で非常に栄えた塾が地元にあるのだが、こないだ帰省した際に散歩がてら立ち寄ってみたら、まだそこに校舎があって驚いた。
そこに通っていた友達は、今でもそこの思い出を語る。わかりやすかったとかそういうことももちろんだが、そこの先生の話は、今でも尽きることが無い。
カリスマ性とは違う、圧倒的な個。そして、顧客というより、そこのファンといった方が正確な繋がり。それを築けた塾は、潰れないのだ。
昔みたいに、そこにデンと校舎を構えていれば、問い合わせの電話が鳴っていた頃とは違う。そのことをまざまざと実感させられている。
天岩戸理論はガチ説。
ところで、これまでも散々ここに書き殴ってきたことではあるのだが、繁盛している塾に共通する要素として、【イベント】を重視しているというのがある。
僕自身、大学受験の大手予備校では、1泊2日で血反吐を吐くような勉強合宿に行った。年末返上で3000問テストを行った。でもそれが、ある種いい思い出になっている。
多動力で言うところの、カルピスの原液。人が人に塾を語る際の材料。極端こそ愛するべきもの。色んな方々の提言が全部繋がってくる。
「よくわからないけど、楽しそうなことをやっている!」というイメージを狙って創れる塾は最強だ。僕もかくありたい。
―ぶっちゃけ、出来合いのチラシを校門前で配布するより、各校舎に裁量を持たせて小イベントを自由にやってもらった方がはるかに宣伝効果が高いのではないだろうか?
もっとも、ここは校舎長がどういうカラーで運営をしたいかに依存するので、それ次第ではある。堅実さをウリにするなら、こういった施策の全てはそれに反する。
ただ僕自身、独立を果たした暁には、イベントの大小は度外視して、毎月必ずそういった催しを行うことを決意している。
単に僕がやっていて楽しいのもあるのだが、そうでもしないと塾業界は泥舟だという危機感もあるからだ。
新規入塾の導線の引き方、今後もずっと見直し続けたいと思う。
ってことで今日はこの辺で。