遂に久方ぶりの断酒・減量生活が始まりました。夏に向けて絞るため?いいえ、単に肝臓の数値が悪い予感がしたためです。中元です。
はい。つい最近生徒から質問されて僕自身「おや?」となったのだが、そういえば自分はどんな学習法を重ねて、結果英語が得意になったのかな、と。
というかそもそも、人生を通じて、どんな勉強をしてきたっけか。今思えば、そういうテーマで人生を俯瞰したことは、一度もないな、と。
ってことでちょうどいい。人生を振り返りつつ、あくまでも僕にとって効果があった、無かったというだけの話なのだが、自分の学習法についてまとめてみたいと思う。
では以下、本編である。
- 英語が苦手だった中学生編
- 英語が得意になる前の高校生編
- 英語が得意になるきっかけの高校生編
- 英語が覚醒したあたりの高校生編
- 割とサボってしまった大学生編
- 英検準1級を目指してた頃の社会人編
- 英検1級を目指してた頃の社会人編
- 現在
- 終わりに
英語が苦手だった中学生編
中学生の頃は、そもそも勉強に対しても不熱心だったのもあり、学習法について大仰に語れる記憶はほとんど存在していない。
今頑張って想起しようとしたが、例えばえいごリアンおもしれーとか、そのくらいの薄い断片しか出てこなかった。英会話教室?なにそれおいしいの?
強いて言えば、中学校における英語の授業の中で、【速音読大会】ってのがあり、それは好きだったなぁ、と。
簡単に言えば、教科書本文をできるだけ早く音読しきるというものである。人見知りのくせに、みんなの前で読み上げるこれは、不思議と平気であった。
僕はいつも、同じクラスのある同級生と、その速度で1位2位を競っていた。負けたくないから練習も当然重ねる。その練習とはつまり、音読だ。ルーツ、見つけたわ。
ただ、それが学習に活きたかどうかで言えばからっきしだ。例えば受験に備えてやったことは、問題集を何度も解いたり、単語帳を覚えたり、まぁ皆と同じです。
そんな体たらくなので、公立高校入試の点数も、平均と同じかそれより少し下、という記憶がある。覚醒は、まだまだ先のことなのだ。
英語が得意になる前の高校生編
「英語なんてのは、受験で使う科目のひとつ」と思っていたため、高校序盤の英語の勉強を、頑張った記憶も楽しんだ記憶もない。なにより、チンプンカンプンだった。
宿題と称して、単語の意味を辞書で引いて、自分なりに訳した長文を皆の前で発表し、恥をかく。そんな日々の繰り返しであった。テストの点は完全に忘れている。
高2になると、文系に進んだくせに、クラスが学級崩壊気味だったこともプラスし、勉強を完全にサボるようになった。
教科書ガイドを半土下座して買ってもらい、それで色々ちょろまかして頑張っていた日々を記憶している。カスである。
進研模試の偏差値は、48くらい。よくても53とかである。国公立?冗談だろ?といえる成績。色々、不毛であった。
しかし、結果として英語が決定的に得意になったのは、実はこのぐらいのタイミングだったりもする。人生とは振り返ると、本当に不可思議だと思う。
英語が得意になるきっかけの高校生編
では、得意になるきっかけはどこにあったのか?これも何度も書いてきた話なのだが、「英語って面白い」と思える本と、ゲームとの出会いである。
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これらに徹底して熱中した結果、まさかのこのタイミングで英語の点数が爆上がり。(ほぼノー勉だったので、学校の定期考査は振るわなかったが・・・)
そしてその後、たまたま手に取った問題集に書いてあった【音読学習】なる勉強法に、今度はハマることになる。
「これをやれば伸びる!やれば伸びるんだから、なぜやらない!」という圧倒的な熱にほだされ、取り組んでみたら、あら不思議。本当にその通りになったからだ。
英語を英語のまま理解できる感覚。これを言葉にするのは極めて難しいのだが、それが嬉しく、心地よく、意外だったあの昂奮はまだちょっと覚えている。
ちなみに頻度として、大体単語数300~400語、高校入試程度の難易度の長文を、毎日2~3回ずつ繰り返し読んでいた。学習時間は、それに限れば驚きの10分程度だ。
進研模試の点数も面白いように伸び始め、1度は中学3年の頭で英検2級に受かった秀才の友人にさえ勝てたほどだ。こうなれば、模試の学習をゲームとして楽しめた。
もちろん数か月でゲームにも本にも飽きてしまったが、成績が伸びたことは間違いない。結果、勉強に対する熱も滾ってきた。だから、考えたこともない欲も生まれた。
「国立大学を目指してみたい」
もしかしたら、この欲望こそが、さらなる向上をもたらした、純粋なる契機なのかもしれない。
英語が覚醒したあたりの高校生編
両親から進学に際し掲示された条件は、「一人暮らしをしないこと」であった。奨学金とか取れれば候補は増えたかもしれないが、内申点がクソだったため、断念。
結果、色々と裏道を考えて、祖父母の家へ下宿し、そこから通える地方の国公立大学を目指すことに決めた。その時の判定は、ドッキング判定でCだったと思う。
もちろん自学のみでそこへ行けることは無いとは悟っていたため、友人紹介などの術を駆使し、とある全国的な知名度のある予備校へ通わせてもらった。
そして、だ。入塾早々、そこの徹底して勉強にガチな環境に驚いた。逆立ちしても勝てない、目指そうとも思わなかった大学を本気で狙う、数多の秀才たち。
ここにいれば、勉強以外何も許されない。そういうヒリヒリした環境、今思えば非常に心地よかった。だから一層、勉強に励んだ次第である。
まずはとにかく、徹底して英単語の語彙力強化に努めていた。ほぼ毎日必ず、英単語学習アプリを席に着いた瞬間に立ち上げて、最低100個は解いていた。
そのうち、ただ解くだけという練習に飽きて、勝手にタイムアタックをするようになった。調子がいいと、100個確認するのが2分チョイというところまで早められたなぁ。
僕は偶然にも、ゲーミフィケーションに成功していたのだ。こうなると、歯を食いしばって耐え抜く時間ではなくなる。僕は単語暗記にさえ熱中していたのだ。
そして成果は、結構な時間差を経て、出てくることとなった。その当時、英語の赤本を解いていたのだが、どう頑張っても100点前後という状況が続いていた。
しかし、英単語を覚えきってから1~2か月後を境に、安定して160点を超えるようになったのだ。これは非常に嬉しかった。何せ、勝手に伸びたような感覚だからだ。
そして大学入試の二次試験については、講座と添削サービスをフル活用し、とにかく自分の思考を、求められる答えに近づける意識を強く持ち続けたのを覚えている。
結果、首尾よくセンターも二次試験も突破し、無事に志望校が母校になるという某CMのキャッチ通りの現実を手にすることができた。あの時は確か、泣いたなぁ・・。
―ちなみにこの間も、音読学習はちゃんと学習の中心に据えている。ただし、使う長文のレベルは、難関私立突破レベルの講座のテキストに載っているものにした。
最初は鼻血が出るほど難しかったが、落ち着いて繰り返せば、3~4回目にはスラスラと読めていたのを覚えている。とはいえ、難しすぎれば、心が折れていただろう。
【音読学習】のコツは、筋トレと同じで、負荷を常に上げ続けることにある。経験則ではあるが、割と間違ったことは言っていないという手ごたえはある。
割とサボってしまった大学生編
大学生の頃は、完全に目標を見失ったのもあり、突破しないと卒業できないTOEICと、取得しないとこれまた卒業できない大学の授業に関する英語以外、何もしてない。
一応時たま、「英語の能力を腐らせたら、勿体ないよな~」という思いから、大学受験の際に使用していた長文読解問題のテキストを、音読はしていた。
あとは、「1日1分英字新聞」という本を読んだり、なるべく洋楽を聞いたりするなど、本当に英語の力をゼロにはしない程度の努力は重ねていた。
大学3年のときにTOEICをもう一度頑張ろうと、3か月くらいみっちり勉強した時期はあるのだが・・。悲しいかな、1点も伸びず、そのまま挫折。
新卒で全然英語を使わない会社にいったん就職したのもあり、僕の英語力はここから1年以上、完全に錆びつくことになるのであった。
英検準1級を目指してた頃の社会人編
今の塾講師という仕事を始めてから大体1年経つか経たないかで、講師としての自分に【箔】が欲しいと思うようになり始めた。
勿論合格実績とかも大事な箔なのだが、できれば僕個人の努力で描ける看板が良いと思った。その方が自分でコントロールしている感じがあるからだ。
今思えば頭がオカしい話なのだが、まずは英検2級の過去問を見て、ほぼ全問正解できることを確認したのち、僕はいきなり準1級を受けることを即決した。
Amazonで参考書と単語帳を買い、受験勉強をしていた頃を思い出しながら、生徒にも宣言したうえで、学習を始めた。当然ながら、序盤は苦戦したものだ。
ただ、勉強法は昔のままだ。朝に単語と熟語の例文を音読し、意味を暗記。夜は会社で長文問題を1~2題解いてから退社。車移動中はリスニングCDを流した。
何か月対策勉強をしたかは記憶にないのだが、蓋を開けてみれば人生初英検準1級一発合格という無茶苦茶なことを達成したこととなる。
面接はひたすら、想定問答を即答できるまで反復した。もちろん、時間を計りながら、毎日15分程度は繰り返している。(回数で言えば各回3~4回ずつ程度)
ちなみに、当時の気持ちなどをもっと赤裸々に、詳細に書きなぐった記事は、すでに書いてるので、ご覧いただけるとありがたし。(ステマ)
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英検1級を目指してた頃の社会人編
厨二病をこじらせたアホの発想なのだが、英検準一級を取得しても、僕は満足できなかった。だって、まだ上があるんだもの。せっかくなら、目指したいんだもの。
―結果、半年くらい充電の期間を経て、最後の峻山に挑むことを決意したのだ。繰り返すが、アホである。だが結果、アホでよかった。
まず何からすればいいのか。そこで、最高難度の英検というのもあり、まずは敵を知ることに時間を使った。試験日程・試験時間・内容・語彙のレベル、などなど。
ある程度の輪郭が見えたところで、勝算も特にないまま、学習は参考書と単語帳を買うことから開始した。
それを単純に日割りして、1日当たりのノルマを算出し、それに愚直に取り組んだ。それらが終わったら、予想問題集と過去問題集に切り替えて、対策をチマチマと。
何度やってもリスニングの合格ラインが安定しないという不安を抱えつつも、一次試験は奇跡が起きて一発突破。特にリーディングが良くて、8割を超えていた。
しかし、快進撃もそこまで。面接は対策に使える時間が全く足りず、勉強不足のまま挑んで大爆死。あと2点だったが、遥か彼方に合格が遠のいた瞬間であった。
―しかし、人生万事塞翁が馬。粉砕されたからこそ、気が楽になった。一発合格という謎のプレッシャーから解放され、逆に勉強に集中できるようになったためだ。
そこからはとぉにかく、毎日毎日、クソ分厚い参考書のどの問題が出ても即答できるまで、スピーチもQ&Aも音読・音読・音読でやり倒した。
そうすると不思議なもので、自分の中に得意なパターンや、使い回せる受け答え・考え方が見えてくることに気が付いた。
例えば、環境や伝統芸能については、「もっと政府は補助金使って頑張らないとだめだよね」という話に引きずり込んだら勝てる、と言った風に。
そして結果、人生で数えるほどしかないゾーン状態に突入。面接官とフッツーに税金について語り合っていたら、10分経っていた感じだ。
結果、めでたく素点8割で合格。歓喜の雄叫びをあげた・・なんてことは無く、ひたすらに賞状を抱えて安堵したのを覚えている。
※より本番の記憶が濃いときに書いた記事はこちら↓(ステマステマ)
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現在
そうやってなんだかんだで山あり谷ありの英語学習。これは遺伝的要素とか環境的要因とか、どこまで関係あるのだろうか。無茶苦茶すぎて参考にならぬ。
さて。そんなある種激動の勉強の果て、現在は何をしているのか。実をいうと、完全に維持期というか、そもそも英語の他の資格を取ろうという意欲が全く無い。
TOEICを受ける気も、もう無い。面談の席で名前を出しても、反応が薄いからだ。通訳案内士も、国連英検も、目指したからなんだ?と思っている。
こと英語に関しては、もう自分の力量を高めることは二の次で、生徒の点を上げる方に必死というところなのだ。
今や音読学習もほぼやっていない。その代わり、朝起きたら英単語アプリで50個程度チェックするのと、10分間洋書を読むという日課は、今でも欠かしていない。
2~3か月仕上げる期間をくれれば、また英検1級を狙える。それくらいのコンディションは下回らないよう、ずっとキープしているという感じだ。
そういうふんわりとした思いもあって、時たま英語の論文を読んだり、ドキュメンタリー映画の解説を字幕なしで聞いたりといった負荷を頭にかけることはしている。
まぁ大抵は筋肉か魚に関することなので、知識がガンガン偏っていくことは否めないのだけれども・・・。
終わりに
こうやって振り返っていくと、英語力なるものが飛躍的に高まったタイミングで共通していたのは、以下の要素だと気付く。
① 語彙力強化
② 音読学習
③ 熱中
特に最強のモチベーションになったのは、言うまでもなく熱中なのだが、これは割と偶発的に発生するものなので、狙って引き起こすことはほぼ無理である。
ただ、「成果を可視化する」「すぐ結果を出すシステムを作る」といった風に、ゲーム化することでその確率を高めることは可能だという。参考にされたし。
てなわけで、時折過去のSNSを漁ったり、テキストに書いてあった自分の答案を見たりと、正確な記憶を掘り起こしながら書いていたら、文字数がすごいことになった。
こうやってゴリゴリ書き上げた中に、そのままでも、反面教師でもいいので、何かヒントになることがあれば、望外の喜びである。かっこよ。
ってことで今日はこの辺で。