精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】英語の勉強は、さながら筋トレメニューを組むように考えるべき説。

飲み会の席のノリで、「いやぁ、現状通りの体制が続くなら、今年が我慢の限界っすかね(#^.^#)」と言って空気が凍った中元です。

 

はい。前々から何度も言っている持論だが、僕はつくづく、学習塾とスポーツジムは似ているなと考えている。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

細かい理由は割愛するが、講師と生徒というより、コーチと選手という関係性の方がしっくりくるし、その目線で環境を整えた方が適切だとも感じるからだ。

 

そして最近、これに関して自分の中でポンと閃くものがあった。それは、生徒の【英語ってどうやって勉強したらいいんですか?】という質問への答え方だ。

 

今日はそれについての駄文をば。

 

 

こちらはコーチングに徹すべし。

 

英語の授業をしていると常々思うのだが、やはりわかりやすい授業をできたとしても、生徒の学力向上にあまり繋がらない気しかしていない。

 

実際、生徒の英語力を上げると評判の講師は、説明よりも、能力を直接鍛えるワークに時間を割いている印象が強い。(例えば、効果が高い音読を授業内で取り入れるとか)

 

僕らの授業はあくまで、意味不明な文法や文章の構造や背景、考え方を解きほぐし、それを取っ掛かりに、さらなる自学へ繋げてもらうための端緒に過ぎないのだと思う。

 

授業"だけ"で成績が上がるのなら、これほど簡単なことは無い。僕はこの残酷な心理を受け入れたうえで、テコ入れの施策を考えねばならないところへ来ている。

 

―という特性を考えると、やはり英語学習は性質として、スポーツの技能を鍛えるやり方との相性が良い気がしてならない。

 

例えば、ある野球選手が、長打力に難を抱えており、それを克服したいと思っているとする。この場合、コーチができることは、長打力を解説する授業も確かにそうだろう。

 

しかしそれよりも、それを鍛えるトレーニングや理論、果ては食事メニューなどをカウンセリングや観察を基に提示し、選手が自ら克服するよう導く方が重要ではないか。

 

非常にわかりやすい例が、【山本義徳・筋トレ大学】である。筋トレに興味があろうがなかろうが、これをご覧いただければ、僕が言わんとすることがわかると思う。

www.youtube.com

 

そして管理面にもコミットすべし、か?

 

そうやってメニューを作成し、手渡して終わり。そんな呑気な話も、当然無い。管理についても頭を使う必要はあるが、これがかなり難しい

 

週に一度程度のコンディションチェックなど、スポーツであれば成果を時折確認し、方法や栄養について助言が必要ならその都度入れることが可能だが・・。

 

こと勉強はなかなか再現性を高めることが難しく、伸びた・伸びていない・正しい・正しくないのジャッジが極めて困難と言わざるを得ない。

 

全く同じ問題を出せば、それは"覚えている"ためできて然るべきだが、別の問題で同じ難易度を再現するのはかなり難しい。だから進捗を確認し辛いのだ。

 

ここについては、サクッと答えを出せそうもない。僕自身、独立後に使うため、必ず知見として得ておきたい分野なので、引き続き管理面の試行錯誤は続けたい。

 

終わりに:実際にやってみます。

 

ーという風にカッコをつけてみたが、要するに疑問に思うとか、データが不足してると感じるなら、さっさと実践するしかないわけですよ。

 

ってことで今日、生徒を一人カウンセリングし、弱点を掘り下げて、その対策に必要な勉強法や考え方を徹底して伝授し、その場で簡単に練習もさせた

 

あとはこれをどうコーチングと結び付けていくか。しばらくはとにかく実験と検証と反省あるのみ、ですな。

 

ということで色々散文になってしまったが、今日はこの辺で。

 

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