精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】その科目をオーバーキルしない限り、生徒の点数は伸ばせない。

今日は珍しく、始業から終業までプレイヤーとして頭を使い倒しました。ゾンビ中元です。

 

はい。そろそろ社内で傾向とかボーダーとかを協議しようということで、会社に来るや否や、今年の公立高校入試の過去問を、受験生よろしく解いていた。

 

【全体的に難化傾向】とか、【論理的思考力を問う】とか、そういう意識高い系の言葉を垂れ流すことが嫌いなので、ちゃんと自分の言葉を持っておこうと思ったためだ。

 

そしてきっちり英国社を解き切って、改めてこんな感想を持った。

 

「その科目をオーバーキルする技量がないと、成績を上げるまでいかねぇんだなぁ」

 

今日はそんなお話である。

 

 

教科書を隅々まで覚えているだけでも不十分。

 

都道府県によって傾向が違うことは百も承知だが、僕が努めるエリアの入試ははっきりと、知識そのものを問う問題が減っているし、問うとしてもレベルが上がっていた

 

例えば鎌倉幕府という場所の、拠点としての特徴とか、果たしてどんな受験生がそこまで踏み込んで勉強できるというのだろうか。

 

後は、文章で書かれた各都道府県の特産物とかの説明と、問題文に印刷されたデータとを紐づけて内容一致問題を解くとか、冷静に考えればアクロバティックだ。

 

こういう【思考】そのものを、果たして開発することはできるのか。教える側として、また一つ新しいテーマが投げかけられた気分である。

 

・・・僕の私見ではあるが、教える側に相当量の知識量さえあれば、これは発問次第で可能だと思う。ただし、言うほど絶対に簡単ではない

 

ここを履き違えて、枝葉末節を延々と教えるようなことをすれば、不評にも繋がり得るだろう。「いっぱい喋っているけど、わからん」という状況になりかねない。

 

そのバランスのとり方は、はっきりとこちらの腕次第である。学力層、教室の雰囲気、使用できる教材などなど。様々な要因が複雑に絡んでいるため、難度は高い。

 

講師たるもの、100を知って初めて1を教えることができるとよく言われる。であれば、生徒の学習量が2になったとき、こちらは200を知らねばならないのだ。

 

一体どれくらいの膨大なインプットを行えば良いのか。あまりにも敵が強大すぎてくらくらするのだが、立ち向かわねばならないと覚悟を決めねば、淘汰されるだけである。

 

オーバーキル学習のススメ。

 

では、その科目をオーバーキルするとは、どういうことか?これまたただの体感値だが、さらに上のレベルで6~7割の点を取ろうと努力すれば、その域にいけると思う。

 

例えば、得意だからこそ中学の歴史の授業を受け持つとしたら、空き時間などを使って高校日本史の学習も進めることがそれに当たる。

 

僕自身、中学歴史の手応えが増したときは高校日本史の復習をしていたのだが、大体その時期にセンター過去問を解いたら、63点くらいあった。(微妙だけど)

 

逆に言えば、オーバーキルといってもその程度という話なのかもしれない。中学英語を教えるのに英検準1級まではさすがに要らないのと似ている。

 

この応用は他にも効く。中学数学を極めるために、数検2級を目指すとか、中学理科の力量を増すために、化学・物理・生物を無理のない範囲で復習するとか。

 

そうやって、一つ上のレベルで6~7割を取れるようになると、初めて生徒に伝える側が知っておくべき知識の総量、100に届くのではと今は独り言ちている。

 

終わりに。

 

もしこういう点に「辛さ」を感じるようであれば、ぶっちゃけ自分がその科目を指導する腕で高いところまでのし上るのは、諦めた方が良いと思う。

 

孔子も言っていたけど、「楽しむ人最強説」なのだ。楽しむ人が、周りを俯瞰できる大局観を得たとき、多分最高峰の腕を持つ講師が誕生するのでは、と感じている。

 

僕にはまだまだ届かぬ世界だし、実をいうと、教える側として長いこと現役を張る気は、あんまり僕の中にはない。

 

最後のはちょっとしたボヤきだが、高校入試を解いた結果思ったことを書いてみた次第でありんす。

 

では今日はこの辺で。

 

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