精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【ちょい同業者向け】映像授業の終焉は、思った以上に近い気がしています。

最近、安くなったスーパーの寿司を狙って買うのが好きな中元です。プチ贅沢って、いいよね。

 

はい。以下、ここ最近皮膚感覚としても強く実感するようになったことをテーマに書いていこうと思う。それは、映像授業の寿命だ。

 

正確に言うと、「映像授業というコンテンツはいつまで売り物たりえるか」という話であり、僕はこれについて、思った以上に寿命はすぐそこにあると考えている。

 

今日はそんなお話。

 

 

どんどん退屈を許せなくなっていく人類。

 

2022年内に、TikTokの再生回数・アクセス時間が、YouTubeのそれを超える見通しだという。

newspicks.com

 

TikTokを僕は全く使っていないのでさほどピンとこないのだが、人間が「もっと短くて極端なものを」求める傾向は、ますます加速しているとみて良さそうだ。

 

だからこそ、映像授業というコンテンツが普及した面もあるだろう。極端を求めた結果、オンラインで受講できる、カリスマ講師の分身であるそれがウケたのだと。

 

各分野のトップの知見を集めて、最速最短で能力を高めていく。インターネットが可能にした、この教育のオープンソース化は、多くの人に莫大な利益を与えたと思う。

 

そしてその流れは、YouTubeの登場で、さらに分割され、さらに細分化されることとなる。

 

例えば、【数学の指導が上手な講師】から、【数学の二次関数の指導が上手な講師】へと、ニーズが変わっているような印象を受ける。

 

もはや科目ではなく、単元の中で優劣が決められて、その中から学習者は指導そのものを選んでいくという流れになっているのだ。

 

言い換えれば、より一層、学習を自分好みにカスタマイズできるようになってきていると言えるわけ。学ぶ側としては、そのメリットは計り知れない大きさがある。

 

・・・ところで、TikTokの主流である、YouTubeよりさらに短い30秒程度のムービーが流行ることは、一体何を意味するのだろうか?

 

それは、単元をさらに細かく噛み砕いた先、つまり大問1つごとで「この人が良い」「あの人が良い」というのを選ぶ世界だと僕は考えている。

 

二次関数の場合分けはあの人の方がいいけど、二次関数の利用はあの人の方が良い、という風になる。そういう風になっても、ぶっちゃけおかしくはない。

 

となれば、現在の映像授業というコンテンツは、あまりにも区分が巨大すぎて、現代に求められる映像の在り方に、全くもってマッチしていないともいえる。

 

90分の授業を20回受講する。恐らく、これに耐えられる生徒の数そのものが、恐ろしい勢いで減っていっているのではなかろうか。僕はそう感じている。

 

こんな風に、映像授業は細分化しなければ、どんどん捨てられていく未来が見えるのだが、おいそれとその手を採るわけにはいかない事情もある。

 

それは簡単で、利益が出ないからだ。1分の授業など、売り物にはならない。結果薄利多売の極みになり、おそらく全体が血みどろのレッドオーシャンと化すだろう。

 

映像授業は、大手数社だけが生き残り、結果として今の携帯電話市場のような状態になると思う。フランチャイズをしても、ウケは悪いのではなかろうか。

 

少し暗澹たる未来の話になったが、ぶっちゃけ変化しつつある情勢を掴み損ねて変化を拒否すれば淘汰されるのは、何も最近突然始まった話ではない。

 

歴史は繰り返すなぁと、僕自身はちょっと他人事な感想を抱いている。

 

これを逆手に取ることはできるのか?

 

僕は逆に、こういう細分化が加速することで、地方塾が自社のオンラインコンテンツを生みやすくなったと考えている。

 

そしてそのオンラインコンテンツをうまく使えば、【ストーリー】と言われる、現代のビジネスで必須となる要素も満たせるのではないかと、実は結構前向きだ。

 

例えば、法律的にどこまで許されるかは知らないが、定期テストや公立高校入試の難問別に、解説授業を2~3分で作ってみるのもいいだろう。

 

あるいは、僕がやろうと思うのは、英検の英作文”だけ”といった授業の売り方だ。もちろん短い尺の授業だけ売るのはキツいので、サブスクリプション形式にはなると思う。

 

そのプラットフォームは、別にTikTokじゃなくても、例えばFacebookYouTubeの鍵垢でもいいと思う。

 

生徒・ご家庭からリクエストをガンガン集めて、その中から順繰りに、サクッと短い映像授業にして、どんどんコンテンツを厚くしていく。

 

こんな風に、コミュニティ内での繋がりを強化するツールとして、直接利益を取る目的ではない方面に利用すれば、地方塾でも使いようはあると思う。

 

他にも考えれば色々と使い道はありそうだ。この傾向は単に、ピンチでもチャンスでもなく、自然現象に近いってだけだ。考察は常日頃から続けたいと思う。

 

終わりに。

 

ところで、大手塾は生き残るみたいな話を書いたが、ぶっちゃけ本当のところは「怪しい」と思っている会社も、あるっちゃある。

 

理由は、企業の体質として、長尺の授業の美化と、自社のコンテンツへの妄信的な自信を強く感じるからである。変化しきれず、泥舟になるんじゃないかな、と。

 

ただそれは、僕らライブでの授業をウリにする講師にも当てはまる。今まで以上に冗長な説明は忌避され、端的に分からせる人が生き残る。

 

今まで作ってきた授業をかなぐり捨てる必要さえ、近く出てくるかもしれない。そうなった際は平気で捨てられるよう、日頃から変化になれる練習は重ねよう。

 

―ということで、独り言めいた記事にはなったけれど、今日はこの辺で。

 

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