新しいカッターシャツをウキウキしながら着てみたら、超ピッチピチでした。肩幅だけXLの中元です。
はい。今日は、自分でも驚いたある事柄について、記事を書いてみようと思う。
今日、とあるパソコンの備品が急に壊れて、仕事ができない状態になってしまった。だから急遽、それを求めて、仕事の合間に車を走らせるという一幕があった。
その途上、あるこじんまりしたパソコン用品専門店をたまたま発見したのだが・・・・。
さて。こんな思わせぶりな展開から、以下本題へ入っていきたいと思います。
無意識下の拒否反応。
そこの店を見て正直、僕は「なんか不気味だな」と思ってしまった。理由を思いつくまま列挙すると・・・。
まず、店全体が少し寂れていた。看板はあったが、僕が求める商品があるのか不透明であった。なんというか、排他的な雰囲気も、そこから感じてしまった。
駐車場に車はほぼ無く、外から見ても店内に客がいるのかが見えない。誰が中で何を売っているのかも、よくわからない。
こういったあれこれが積み重なり、僕はその店を無意識に避けて、別の大手量販店へと足を運んだのであった。
・・・そして自分がそういう反応をしたということに気付いたとき、僕は自分の校舎がそうなっていたらマジでヤバいなと急に焦っている。
はっきり言って、僕が勤めている校舎の建物は古く、ちょっと油断すればすぐ寂寥感とかその辺が漂ってしまう。
【故郷】という有名な小説で描写されていた風景とやるせなさを、不意に抱きそうになってしまうのだ。
思えば、店の外観から中を推測できない状態で、わざわざ興味を持ってくれる人は、まずいないだろう。今回の一件で、それは身に染みて感じた。
完全に閉じたコミュニティにはなんか入り辛いのと同じで、コミュニティには透明性と流動性が、どうしても必要なのだ。
清潔感とかそういう便利で抽象的な言葉で煙に巻かず、自分の校舎は透明性を担保できているか、今一度厳しい目を向けなければならない。強くそう感じている。
・・・ところで、不気味ポイントについて恐ろしい点が一つある。それは、内部に属している限り、自分もそれに完全に染まっているためかなり気づきにくいという性質だ。
例えば、とある同僚の机の上が汚いとする。それは同じ場所で働く人にとっては見慣れた光景であり、それはいわば、日常風景と言える。
しかし、そんな風に汚い机を容認するような会社は、僕は嫌だなと思う。同様に、ポスターの貼り方が適当な校舎も、無意識に避けるだろう。
いつの間にか変化を拒否し、建物とともに老いて、汚い環境を受け入れる。そのスパイラルの結果、顧客が消えていくというわけだ。
さらに厄介なのは、歴が長い人にとっては、そういう場所こそ居心地がいいと感じられるのか、若い価値観で環境を変えようとすると衝突が発生しやすいというのもある。
はっきり言うが、僕はこのままだと自分の勤める校舎は泥舟になると思っている。というか、それに片足を突っ込んでいるとさえ、本心では考えている。
・・・こないだ、近所を塾のビラをもって、1時間以上練り歩いた。色んな店をその目で見て、はっきりと自分のところは汚いと思うようになった。
目を開くためには、いくら内省を深めても限界がある。思いて学ばざれば、会社が潰れてしまう。それくらい自分に脅しをかけてもいいと思う。
ただし最近は、そこまで変わりたくないならいっそもうどうぞ、という風に、やや押し切られ気味というか、僕自身が少しずつ関心を失いつつある。
こうなったら色々と暗澹だ。どう自分の気持ちと現実に折り合いをつけようか、今からもう、頭が痛い。
ということで、よくわからない結びになったが、今日はこの辺で。