寝起きに自分のメンタルがメンヘラになることに気付いたもうすぐ31歳の中元です。
はい。夏季講習が始まって、露骨に自由時間が減ってきたが、なんとか記事を読み進めることはできている。(これくらいなら確保できる)
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最近は別に受けないがTOEIC対策書にあった読み方を意識しており、なるべく脳内でイメージやチャートにしながら、文を追いかけている。
僕は先天的にこの辺が苦手なのだが、練習すればどこまでこのスキルが身につくのか、体感値として知っておきたいためである。
そんな話も含まれた読書感想ブログ、以下本題でおます。
- 7月25日(月) 値段は重要性を反映しない
- 7月26日(火) 肥満のリスク
- 7月27日(水) カーネマン先生のQ&A
- 7月28日(木) Kindleの悲劇
- 7月29日(金) リスク管理ができる人がカジノを運営したらどうなるか
- 7月30日(土) 賭博禁止の不条理さ
- 7月31日(日) ストレンジャー効果
7月25日(月) 値段は重要性を反映しない
果たして、石油は資源の枯渇を原因として、極端な値上げが起こりうるのか?それについて、「起こる・起こらない」で賭けをした経済学者が二人いるらしい。
結論をいうと、まったくもって極端な値上げにはならなかったようだ。日本円で言うと、ガソリンが200円を超えるようなイメージだろうか?それは起きず、と。
現時点でも、離島の物価は知らないが、近所のガソリンスタンドは、レギュラーがリットル170円くらいだったように感じる。(確かに、10年位前に比べたら高いけど)
ところで、実はこの手の話は、大学のミクロ経済の教科書に必ず載っているテーマである。いわゆる、需要と供給がバグっているパターンの話だ。
あくまでも地球規模・先進国の話で書くけれど、誰しもが水無しには生きていけない。だから需要量は無茶苦茶高いのだが、同時に供給量もとんでもなく多い。
結果、均衡価格がガンガン左にシフトし、価格は誰しもが手の届く範囲で据え置きになる、的なことである。そしてこれは、石油も似たようなものだ。
一方、僕は人生でダイヤモンドとは一度も縁がないのだが、これを欲しがる人は、とんでもない大金を積んででも、入手しようと頑張るものだ。
今度は色々と逆の話で、需要量はそこそこだが、なにせ供給量が圧倒的に少ない。だから、ぶっちゃけ生きることには不要だが、価格が極端に跳ね上がっているのだ。
必需品なのに安い。よく考えれば要らないのに高い。ここは、価値ではなく市場原理で決まる。青眼の白龍のようなものである。
こういう風に、現実を違う目線でみられるところに、経済学の面白さがあると僕は感じている。もっとちゃんと、在学中から勉強しときゃよかったなぁ・・。
7月26日(火) 肥満のリスク
「太る」ことに敏感な人は結構多い。本気なのかネタなのか判断つかないところもあるが、だからこそ健康に関する商品を扱う市場は、あんなにも巨大なのだと思う。
ところで、肥満そのものは、果たしてどれくらいのリスクがあるのだろうか?もちろん心疾患とか高血圧とか、そういう生活習慣病の危険性は実際に高まるようだけど・・。
実際は、肥満そのものより、肥満が悪いことだと思うことによるストレスの方が、健康にとってはよろしくないそうである。(↓の動画で聞いた話と似ている)
そしてそもそもなぜ太るのかという根本を突き止める調査を行ったところ、安くて高カロリーな食材を手に入れやすい環境にあるか否かが大きな要因らしい、とあった。
つまり、近所にマクドナルド・来来亭・すき家などがそろっていると、そのエリアの人は肥満になりやすい、ということなのだ。
となれば、一体誰が犯人なのか。自制できない当人?それとも、そういった料理を提供する事業主?答えは単一の何かに収束はしないだろう。
ところで、アメリカで起きた痛ましい事故に、人数はクリアしたけど、ふとっちょさんばかりが乗ったことで体重超過し、沈没した観光ボートという一件があったという。
観光スポットを見ようと片側に集まった結果、転覆。多くの人が亡くなったそうだ。こういう事例を見ても、つくづく思う。
「だったらどうすりゃいい?」
肥満であること以外の方が、それよりも悪なんじゃないのか。そういう裏を感じる話であった。
7月27日(水) カーネマン先生のQ&A
Professor Daniel Kahneman – London Speaker Bureau Asia
経済学者じゃないのにノーベル経済学賞を受賞した異例の存在。それがこちらのダニエル・カーネマン先生である。
詳しい研究成果は調べる時間が無くノータッチなのだが、「カーネマン先生」として本書にも登場し、とにかくすごい人という話は伝わってきた。
その先生がQ&Aに答えており、そのいくつかのやり取りが登場していた。その中で一つ、自分が気になったものだけ紹介する。
それは、大抵の人を動かそうと思ったとき、基本的にはお金ではなく適切なインセンティブ設計の方が大事、という話だ。この辺、著者と見解は一致するらしい。
仔細はうろ覚えだが、手洗いに難儀したある病院があったという。何度説明会を開いても、「いやいや、俺の手はキレイだからww」とばかりに、まるでダメ。
最終的に、説明会を開く労力、何人もの人間の手をそれで止める時間的損失を上回り、一瞬で手洗いの文化を作ったものは、至極シンプルな手段であった。
それは、人間の手がばい菌に汚染されていることを示す写真だ。(小学生だった頃に見せられたのでは?)
これを職場のパソコンのスクリーンセーバーに導入したところ、手を洗うようになったそうだ。
何事にもシンプルな抜け道あり。塾講師としても、ある種ヒントになりそうな考え方だと感じた。
7月28日(木) Kindleの悲劇
著者が外出時にKindleを読んでいたら、娘さんが「この単語なんて意味?」みたいな風に、ある単語を気にしたそうだ。
ちなみにそれはド下ネタのスラングであり、著者は慌てて「な、なんでもないよ」とばかりに親指で隠したという。
ただその結果、より詳細な辞書的な意味がどばっと表示され、その娘さんの要らぬ知識がまた一つ増えてしまったという。(持ってる人はわかると思う)
僕自身はこういう風に、単語の意味がすぐ調べられる機能には大いに助けられているのだが、まぁ側面としてこういう話もあるよねという、箸休め的な記事であった。
7月29日(金) リスク管理ができる人がカジノを運営したらどうなるか
賛否両論あるが、ここ日本でも、おカネを用いたギャンブルは存在する。それ自身は一つのエンターテインメントなのでご自由に、とは思う。
ところで、ちょっと電卓を叩いたり、電卓を叩いてくれた人の記事を読んだりすれば、色々な賭け事の損する率の高さに肩を落とすと思う。
それを承知している人が、その設計で賭場を開いたらどうなるか。どうやら、ベットできる額が、かなり少額で頭打ちになるようなのだ。(それでも2万だけど)
ちなみに画像で紹介したカジノだが、経済学に精通した人が営業しているらしい。本当にそうなのか調べたけど、そこはよくわからなかったでござる。
7月30日(土) 賭博禁止の不条理さ
一昔前、アメリカでも、オンラインによるポーカーが禁止されるという法案が決定されたという。これは是なのか否なのかで言うと、堂々と否、だという。
まず、処罰されるのはカジノを開いた側なのだが、実をいうと需要に対して供給を減らすようにすると、さらに需要が高まるし、価値も上がってしまうのだ。
違法ドラッグなんかもまさにそうで、欲しがる人は後を絶たないのに、売る人が少なくなった結果、新規参入者の売り手が続々と来た、というデータなんてのもある。
だからまず、処罰する相手がおかしい、と。
続いて、そもそも政府が運営している公的なギャンブルはおとがめなしという不条理さもあるし、ポーカーは運ではなく、スキルが大いに関わるゲームというのもある。
そういうわけで、まったく一貫した論理も根拠もそこに入っていないのがわかる。ある種、感情論的な法律ではなかろうか、と。
昨今日本をにぎわせているゲーム禁止法とか、AVなんちゃらとか、それに似たものを感じる。
皆が嫌いとか不快であるという風に思うことを取り締まれば英雄になれるなんてチープな神話、時代劇の中だけにしておけばいいのに・・と、ふと思った。
7月31日(日) ストレンジャー効果
人は未知のものであったり、激レアだが凄惨な事故を、無意識に恐れる傾向があるという。
例えば、最近起きたショッキングな例だと、サメに襲われたあれとか、感染症で重症化しそのまま召された話とかが、それに該当する。
だがここを冷静に考えると、僕らはその出来事に巻き込まれることより、O-157に感染したり、スズメバチに刺されたり、心臓麻痺を心配する方が合理的である。
しかしどうやら、こういった凄惨なもの、知らないものを恐れるのは人間の本能なので、そもそも自覚することすら極めて難しい側面がある。
―ところで、本当に怖いのは他人なのだろうか?すごく嫌なデータなのだが、レ〇プや〇人といった事件の被害者と加害者の関係を追った統計がある。
すると、いつ頃のかは調べていないが、それらの65%くらいは、実際は最低でも知り合い同士の関係だった、ということらしい。
となれば、レアで悲惨な事件を恐れるのも、無条件に他人を避けるのも、ひぃ科学的という話に思えてくる。
数値を見るなり先入観を拝するなり、第三者目線を持っておきたいなと改めて思った。
ということで今週はこの辺で。