休日と半休を狙って天気が荒れる男、中元です。今も外は爆風なり。
はい。毎朝洋書を読むという時間は、習慣を通り越して生活になってきた。歯を磨かないと社会権を得られない気がして落ち着かないのと同様で、読まないとキモいのだ。
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ちょこちょことどの参考書にも載っていないような文法や単語があり、読解に苦戦するが、そういう柔軟さこそが言語の特性ってことなのだろう。
そこは楽しむというマインドセットで続けたいと思いやす。では以下、感想ブログでござる。
- 8月1日(月) チート
- 8月2日(火) 【嘘】のモチベーション
- 8月3日(水) インチキの天敵
- 8月4日(木) 群集心理
- 8月5日(金) フィクションとノンフィクションの狭間
- 8月6日(土) イカサマは勝利のためを理由とすれば是となるか?
- 8月7日(日) ドーピングの線引きとは?
8月1日(月) チート
本当に頭が良い人は、物事のルールを深いところまで理解できるがため、穴を見つけてチート(いかさま)をするものだという教訓がある。
不思議なもので、何かしらのズルができる人は、押しなべて確かに頭が良い。得てして騙す方が賢くて、騙される方が愚かという話は、悲しいがよく言われることだ。
実際、とある人気投票に際しても、BOTを使って大量投稿を行うアプリを作った人間が優勝したというケースがあったらしい。これもまたチートの一種。
そういえば10年位前、イナイレだのポケモンだのの投票で謎のお祭りがあったけれど、あの時も知性と技術を持った人が参加してから、一気に情勢が変わったと感じる。
あんときのコイルの壁紙、保存しとけばよかったな。まだあるかな?探してみるか。
8月2日(火) 【嘘】のモチベーション
人はいつ、なぜ、嘘をつくことを選ぶのか。しかも、そうすることによって、一見いわば恥をかくようなことさえも選んでしまう。不思議である。
―と思っていたが、その辺のメカニズムは非常にシンプルであった。単に、リスクとメリットを天秤にかけて、メリットが大きければ嘘をつく、ということである。
例えば、「家に風呂がない」と嘘をついてなんになるのか?実はこうすると、同情票を得られやすくなるという利点がある。
また、「持ってる車種にも嘘をつく」というケースがある。例えば、本当はベンツを持ってるのに、軽自動車と言い張る感じである。
こっちの場合は、「金持ちがよォ・・」という嫉妬を防ぐというメリットがある。なるほどやはり、嘘も方便ではないが、嘘もインセンティブなのだ。
てな感じでここからは、どうやら「インチキ」に関する話が続くらしい。頭を柔らかくして、ルールの境界線を旅してこようっと。
8月3日(水) インチキの天敵
インチキの天敵とは何か?もっというと、法律の隙間をフリーライドしてくるやつを追い払うには、一体何が特効薬なのか?
実はそれを活用しているのは日本の警察で、皆がネズミ捕りと言って恐れるもの。つまり、予測不可能な取り締まりと重い罰則の組み合わせ。これが強いのだ。
毎日毎日同じ場所に張り込んでいたら、そこを避ければOKと裏をかかれる。罰則が軽ければ、ならばいいやとルールを無視される。
となれば、不確実性と損失のリスクを同時にやっちゃえば、そりゃ強いよねという、至極シンプルなお話なのである。
応用できるところがあるかどうかはわからないけれど、もし試せそうなら試してみてくだちい。
8月4日(木) 群集心理
行列があると、その先には無条件でいいものがあるし、人がたくさん集まるということは、つまり正解なのだ。
こういう風に、集団でいることにより、めっちゃ思考にバイアスがかかることを【群集心理】とか【集団心理】というらしい。(有名な話だが)
冷静に考えれば、人がたくさんいるバス停は、乗れる可能性も低いし座れる可能性も絶望的だ。一駅ちょっと歩いてスカスカのバスを探した方が正解に思える。
だが、こういう認知の歪みには、ある救いがある。それは、気付きさえすれば回避は容易というものだ。もっとも、それについてワーキャーうるさいタイプがいたらあれだが。
多勢は常に間違っているという格言をどっかで聞いたことがある。それくらいの気持ちで、「なんでこれ、やってんだろ?」と、色んなことを今一度疑うのも面白そうだ。
8月5日(金) フィクションとノンフィクションの狭間
事実を基にしたドキュメンタリーと、事実を基にした小説。完全に似て非なるものだが、その境界線はかなり微妙である。
どちらも編集というプロセスを経ることは間違いないのだが、結果事実が60%くらいしかなくなってしまったら、それはもう小説、つまり架空の物語だろう。
実はインチキのプロや、やばい性格の人は、事実を編集して嘘をつくのが非常に上手いという。週刊誌の記事のやり口は、ほぼすべてこんな感じなのだ。
だからこそ、指摘する側も100%嘘とは言い切れないので、タチが悪い。そして100%嘘ではないので、ある程度は事実として市井に流布する。やはり、タチが悪い。
正直この辺はもうプラセボなのだろう。ドキュメンタリーと思うなら、そう。小説と思うなら、それもそれで、そう。
また一つ、人間心理のめんどくささがわかる好例だと思った。
8月6日(土) イカサマは勝利のためを理由とすれば是となるか?
そもそもイカサマをするインセンティブを紐解いていくと、見えてくるのは、あくまでも勝ちたいという願望である。
己に、そして相手に勝つことが正義となる究極の場は、やはりスポーツだろう。だからこそ、スポーツとインチキは、切っても切れない関係にあった。
バスケで言えば、相手のスター選手を止めるため、意図的に軽度なファールを取るようなものだ。陽性が出るギリギリまでドーピングを重ねるのも、一種のそれである。
イカサマは勝利のためを理由とすれば是となるか。僕は、そうはならないと思う。もし是とすれば、いずれ薬物を使うことが当たり前の世界がきてしまうからだ。
そしてそうなってしまった後の未来は暗い。スポーツという文化自体が衰退していく光景さえ、何なら見えるほどである。
そもそも禁止薬物が禁止たるゆえんは、その後の人生に与える影響が甚大だからだ。見た目も下手すりゃ怪物化し、心臓麻痺などのリスクも高まっていく。
アスリートにおけるインチキは、命にさえも関わってくる。僕は別にスポーツをやってないけれど、ぞくぞくする話である。
8月7日(日) ドーピングの線引きとは?
ズルと努力の違いは、よく考えれば非常に難しい。
例えば、合法だけど非常に高価なサプリがあるとして、これを買える選手は、買えない選手より圧倒的に有利にはなる。ではこれは、ズルいのだろうか?
また、有名な話だが、日本は五輪競技代表選手への資金援助が少ないといわれる。一方、超莫大な資本を落とせる国も、当然存在する。じゃあこっちは、ズルなのか?
合法とズルの境目は、嫉妬といった感情(と政治運動)でたやすく変動するという側面を持つ。何が正しくて、何が悪なのか?
とある探偵のセリフではないが、「どっちが正しいか、答えなんてあんのか?」という問いを投げたくなる話である。
ってことで今週はこの辺で。