非常に前向きな理由で、明後日くらいから酒を断ちます。自分の体がどう変化するか楽しみ。また変な遊びを覚えてきた中元です。
はい。しれっと書いてはいるのだが、この夏にまた一つ年を取り、31歳になった。(皆様が思っていたより年上でしょうか、年下でしょうか)
そして嬉しいことに、なんと生徒(しかも卒塾生)からサプライズでお祝いのビデオレターが送られてきた。目から汗、まさに講師冥利に尽きる話である。
―だが、同時に僕は、少し頭を抱えているところもある(前向きに、だけど)。それは、「返礼」についてだ。
そもそもリターンを期待するなと説くビジネス書も多いが、それは与える側の話である。感動を受けた以上、僕は彼ら彼女らに、お返しがどうしてもしたい。
そしてこの「返礼」に対してどこまで敏感になれるかどうかが、講師なり教員なりの器に関係してくるテーマに繋がると直感した次第である。
・・・わけがわからないので、以下詳述していきます。
天使のようにしたたかに 悪魔のように繊細に
サプライズのビデオレターを受け取った僕にまず閃いたのは、「なにかしらのお返しがしたいよな」という想いだ。
しかしそれと同時に、「憂鬱でなければ、仕事じゃない」という本に書かれていた一節、「天使のようにしたたかに悪魔のように繊細に」が頭に浮かんできた。
この言葉をどう解釈するかは人によるだろうが、僕は「最大のリターンを受け取るためには、緻密に設計した恩恵を施せ」といった意味に感じている。
これはお金が絡んだ話に留まらない。例えば、大事な人がボソッと言った欲しいものをメモに控えておき、誕生日なり記念日なりに贈り物として渡す。
そうすると、強い感動が生まれる可能性が高まる。今思えば、"ストーリー"が感動を生む極めて分かりやすい好例である。
こんな風に、「天使のようにしたたかに悪魔のように繊細に」行動し、彼ら彼女らが喜ぶのみならず、巡り巡って僕にも得られるものがあるようにできないものか?
―こんなことをいうと、なんか批判が来そうではあるが、僕自身はここに図太い人間が長に立つと組織をいずれ潰すと考えているので、絶対に考え抜かねばならない。
まず即座に「論外」と思ったのは、財力にモノを言わせたお礼である。例えばお礼と称して全員に1個ずつハーゲンダッツをあげるのは、どうか。
もしこうすると、生徒たちは素直に喜ぶのかもしれないが、僕自身が僕に対し、素直に嫌なやつだなと思うだろう。
この手のある種投げやりな、特に考え抜かれたわけでもない安直なリターンは、何の感動も想いも生まない。どこからどこへも伝播しない。
三流のお礼になってはダメだ。一体どうするのが”よりよい”のか。色んな本を読んだり、思い出を漁ったり、自問したり。このテーマを僕は考え続けた。
そして今のところ、とりあえずの暫定の案にはたどり着いている。以下、それを脳内整理かねて、言葉にする。
感動には感動を。努力には努力を。
暫定案とは、ビデオレターだ。お礼として僕もまた、それを撮ろうと考えている。
しかし、ただ僕が出演し、「あざっした」なんて言うだけの薄いやつにはしない。TikTokくらいの尺で、変態的にこだわり抜いた動画にしたい。
例えば、その集団授業で過去にウケた内輪ネタを、できる限り随所に盛り込んだ何か。2~3周見返すことで、やっと全てがわかる構成。
感動に感動を返すため、生徒が注いだ努力に見合う努力をつぎ込む。夏季講習はまだ終わっていないため自殺行為も良いところだが、僕はこれに忙殺される覚悟だ。
―ちなみに、そのために今僕は何をしているか?体系だったものではないが、映像作品ができるまでのフローを勉強しているところである。
回り道をしている気しかしないのだが、「こうすると面白いと僕は思った。で、実際面白いのか?」という問題の答えが気になって仕方ないので、踏ん張れる。
生徒からのプレゼントへの「返礼」に、こちらの器が投影される。そう思いながら、僕は変なことに忙しい。楽しいんですけどね。
ってことで、今日はこの辺で。ちなみに顛末は、また記事にしたいと思います。