今のところ過去最低レベルのストレス値で、断酒生活を重ねている中元です。酒の味とかもう忘れたなぁ・・・。
はい。今日は時間が全くないので、完全なる小ネタでお茶を濁すことにする。突然だが、皆様は自分で教材を作ったことはあるだろうか。
僕自身は、入社3~4年目にかけてはこれでもかというほど教材を自作して会社のデータベースにぶち込んでおり、そのストックは今見ると結構溜まっていて驚かされる。
その中には、年末に10冊くらいの問題集を抱えて小部屋に篭って、チマチマと手打ちして作ったプリントもあって、あの頃の熱さと無謀さにしみじみともする。
さて。今ではめっきりプリントを作らなくなったので「どの口が」状態ではあるのだが、この経験を通じても思う。若い時分には教材を作った方がいい。
しかもできれば、若さが暴走したともとれるような、"極端"な教材である方がいい。今日はそんな謎の提案を書いていこう。
まとまった知識のコアを作る最速の方法。
極端な教材を推す理由は、それを作るのに必要なインプット量にある。やってみるとわかるが、自分の頭を振り絞ってオリジナル問題を作るのは、極めて難しい。
あるいは仮に作れても、非常に偏りのあるプリントになるのは明白だ。論語ではないが、自分一人の知識量など、そんなものなのである。
だからどうするかというと、大学の卒業論文を書くときみたく、膨大な量の書物を搔き集めて、その問題を引用するのが一番手っ取り早い方法となるわけで。
実際、「テストに出る問題だけ集めた、100問プリントを作ろう!!」と誓ったことがあるのだが、まずやったのは、資料を探すことである。
過去問題集、予想問題集、他県の過去問題集エトセトラ。まずはそれを集めるだけ集めてから、ある種の傾向を掴んで、初めてプリントに落とし込んでいった感じだ。
その作業を一度経験すると、面白いことに、強い知識の核が記憶の中に作られる。指導に必要なネタのインプットも、ある程度完了してしまうのだ。
プリントに採用したのは100問でも、実際はその何倍も、一度検証したうえで捨てている。作業を通じて触れた情報の量は、思った以上に多く、そして思った以上に残る。
「これ、入試にでるよー」というセリフが、皮膚感覚ではなく、実際のデータを基にして発することができるようになるのだ。
―もともと僕は500問テストくらいを考えていたのだが、あまりにも時間が掛かるので挫折した。だが、その数値が無茶かどうかは、一度作らないとわからない。
逆に言えば、一度大変さがわかってしまうと、そういう極端な教材を作る気力は思い切り圧し折られるのだ。
まだ時間にゆとりがあり、予習と復習といった教材準備に労力を割ける人は、一度全精力を傾けて、誰よりも膨大な量の問題プリントを作ってみることをオススメする。
ベテランになったら、過去の自分をアップグレードしていこう。
余談だが、僕自身は僕のことを、講師として引退が少し見えてきた年齢だと捉えている。(特に初対面の女子高生のウケが悪くなってきたのを考えても)
いわばベテランだ。「俺から見ればお前なんて若造よ」と言われても、僕は頑なに、僕を若手と考えることを止めている。
だから、先述の通り、僕は極端なプリントはもう作っていない。作るにしても、例えば材料ありきで長文プリントを作るとか、そういう程度だ。
だが、今でも若いときに作ったプリントは思い切り活用している。現に今日も、26歳の僕が作ったプリントを、生徒にゴリゴリ解かせたところだ。
ベテランになった今プリントを振り返ると、作りの粗さや問題選定の未熟さが見えてしまうのだが、それはいわば、直せばまだまだ使えることを意味する。
傾向にそぐわない問題は改訂し、良問に置き換えてさらによりよくしていく。若い頃に作った教材をたまに振り返ると、思わぬ発見と労力削減に繋がるものだ。
ハードワークは未来への先行投資と説く人もいて、それについては僕も鼻白んだのだが、今思えば確かにその通りなのである。
極端な教材は、作ったときも、時間が経ってからも、己を救う。そんな気持ちで、ぜひ取り組んでみてほしい。
では今日はこの辺で。