ローファット生活10日目を迎えて、なんか体に急に負担が出た中元です。一旦休めというお達しか?
はい。ハマっているからこそ何度も紹介しているこの本。
暇なときに改めて内容に思いを馳せていた際、ふと現代文を解く際に必須のスキル「線引き読み」の意義が、何故か急に腑に落ちて理解できた。
考え事というのは、時にこういう閃きのような瞬間があるからこそ面白いのだが、このままでは皆様を置いていってしまうこと請け合いだ。
だからこそ、この本とテクニックが、僕の頭の中で一体どんな風に結びついたのか、今日はそれをテーマに記事を書いてみる。
自分の認知をアテにすることなかれ。
本を読んで一番強く感じたこと。それは、僕も【観察力】を身に着けたいという純粋なあこがれだ。
【観察力】を鍛えることを通じて、普段自分が無意識下でカットしている情報を拾い、世の中を新しい目線で見る。これができれば、とても楽しそう。そう思えたからだ。
だから最近、意識的にこれを行うため、空き時間に適当な【問い】を自分に投げて遊んでいる。一番手頃なのは、何かしらの適当な生き物を手遊びがてら絵にすることだ。
例えば、なんでそういう流れになったのかはさておきだが、生徒とのやり取りで、昨日は「ゴキブリ」を絵に描いて遊んでいた。(勿論授業外ですよ)
そうして一旦絵にした後、実際のゴキブリの写真を見ながら、自分が脳内の記憶だけを頼りに描いたそれとの差異をディスクリプションしてみたのだ。
「思った以上に潰れた楕円形なんだな」「脚にトゲトゲを生やすと、ちょっとゴキブリらしさが出る」「意外と思った以上にテカテカしてないな」という風に。
絵にすることで、自分が見えていない部分が容易に掴める。だからこそ、結構この遊びが好きなのだが、これをしているときにタイトル通りのことにふと気付いたのだ。
「なるほど、線引き読みもまた、自分が無意識にカットしている情報を拾うための一つのツールなんだな!」という風に。
ってことでこっから、ちゃんと話を繋げていくことにする。
怠惰な脳みそをサボらせない技術こそ、「線引き読み」である。
現代文や英文の読解が苦手な生徒は、そもそも語彙力が絶望的に低いといった原因もそこそこ多いのだが、単語帳をしっかり読み込んでも解けないという例もまた多い。
ちなみに後者の場合は、「二択まで絞れるけど、そこから先を間違える」という感想を述べることが多い印象だ。
ではなぜ、二択まで絞れるのに、そこから先を間違えるのか?これは単に、最後の決定を下すのに必要な情報を拾い切れていないことに他ならない。
特に英語の共通テストの問題にその傾向は顕著で、パンフレットの一番下の隅っこ辺りの一文を読まないと、答えを1つにできないなんて微妙さもザラだ。
となれば、一体どのようにすれば、そのような読み落としを防げるのか。これはある種、国語・英語を教える講師にとって、永遠のテーマではないかと思う。
これを成し遂げるために、大抵どの参考書でも「基本のご挨拶」といった温度で紹介されているのが、タイトルにもある「線引き読み」だ。
簡単に言えば、「抽象的な箇所」「接続詞の後」「指示語の中身」などの基準を設けて、本文に線を引きながら読み進めるというプロセスのことだ。
僕自身、これを教わって2~3か月後に、センター試験模試の偏差値が60を超えて安定したという経験があるため、これは優れたテクニックという印象はあった。
しかし、これを生徒に普及させるのは、極めて難しいとも感じていた。僕自身は強いメリットを感じているが、生徒からすれば、単にめんどくさい謎の時間なのである。
だが、【観察力の鍛え方】を読んで、ちょっと説得力のある話を考え付くことができた。「人間は本能的に大部分を無視する」ことを伝えればいいのでは、と。
ちょっと皆さんにも、この不思議さを体験してみてほしい。ということで以下のとある記事を、ざっと読んでみていただきたい。
時間には2種類しかない。
「自分のための時間」と「他人のための時間」である。
「自分時間」とは、好きな仕事、趣味、やりたいこと、たのしいイベント、気の合う仲間との飲み会などである。
一方、「他人時間」とは、やらされている仕事、通勤、したくもない電話やメール、気を遣う飲み会といったところだろうか。
当然ながら「自分時間」が多ければ多いほど、あなたの人生の質は高くなる。
逆に、「他人時間」ばかりを過ごしている人が、自分の人生に満足できていることはまずない。
「自分時間を増やす+他人時間を減らす→人生の質が高くなる」 ぼくが語りたいことの核心は、このシンプルきわまりない事実にある。
どうだろうか。ではそのうえで、以下の質問に答えてみてほしい。
「自分時間」の定義とはなにか?
「他人時間」の定義とはなにか?
筆者が語りたいことに確信に当たる、シンプルな事実とはなにか?
・・・どうだろうか。思い出せる、思い出せない以前に、「そんな話なんてあったっけ?」と思われた人も多いのではなかろうか?
それくらい僕らの脳は、情報を驚くほど処理してくれないのだ。言い換えれば、無意識にサボるのだ。
勿論これも生存戦略の一つであり、常に脳みそをフル回転させておくと、大量のエネルギーを食ってロスが激しいため、普段は省エネにしているという説もある。
しかし厄介なことに、どこがスイッチの入れ時かというのは、意識的にシグナルを送らないと、自動では切り替わらないという癖もあるのだ。
そこで登場するのが「線引き読み」である。意識を無理矢理にでも文章に向けて、そこからの情報を徹底的に拾う。読みこぼしを自分に対し許さない。
ちなみに、この線引き読みをさっきの文章で再現すると、大体こんな感じになる。
時間には2種類しかない。
「自分のための時間」と「他人のための時間」である。
「自分時間」とは、好きな仕事、趣味、やりたいこと、たのしいイベント、気の合う仲間との飲み会などである。
一方、「他人時間」とは、やらされている仕事、通勤、したくもない電話やメール、気を遣う飲み会といったところだろうか。
当然ながら「自分時間」が多ければ多いほど、あなたの人生の質は高くなる。
逆に、「他人時間」ばかりを過ごしている人が、自分の人生に満足できていることはまずない。
「自分時間を増やす+他人時間を減らす→人生の質が高くなる」 ぼくが語りたいことの核心は、このシンプルきわまりない事実にある。
―一気に頭へ残る情報が増えたのではなかろうか。線引き読みのメリットは、こういうところにあるのである。
終わりに。:読みこぼしを防ぐには、経験値を重ねても仕方ない説。
こういう自分の認知の癖を知らぬままに、闇雲に演習を重ねても、自分のパフォーマンスが向上することはまずない。
数多のトップアスリートでさえ、客観的なフィードバックを貰うべくコーチを雇っていることを考えても、それは自明ではなかろうか。
自分の無意識に気づくことは、プロだろうと至難の業なのだ。「なくて七癖」という言葉は、人間の思考の特性を極めて端的に、シンプルに言い表していると思う。
とはいえ、こういう自分が気づいていない思考に気付いて、そこに意識を向ける時間は、僕にとっては非常に楽しい時間である。
自分の欠点を指摘されたなどと悲観的に捉えるのではなく、あくまで自分の知らない自分の姿を知ることができたと軽く喜ぶくらいが妥当ではないかと思う。
何かしらの参考になっていれば嬉しい。では今日はこの辺で。