精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自分がされて嫌なことをされないためには、それを「確かに嫌だよね」と思う人たちでチームを作るしかないんじゃね?

トイレのレバーがぶっ壊れたので、修理が終わるまでいろいろ我慢しなければならない中元です。なんだこの修行。

 

はい。先日書いたこの記事の反応が、久しぶりに良かった。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

小学校の道徳で習うような内容ではあるのだが、そこに込められた含蓄が深いと思って、記事にした次第である。

 

だが、相変わらず、いくら僕がされて嫌なことを人にしないようにし続けても、平気で僕は僕がされて嫌なことを食らい続けているわけで。なんか、損だ。

 

こういった自分がされて嫌なことをされないためには、一体どうすればいいのか。少し考えたが、その答えは驚くほど簡単であった。

 

自分がされて嫌なことをされないためには、それを「確かに嫌だよね」と思う人たちでチームを作るしかないんじゃね?

 

今日はそんなお話。

 

 

まずはそもそも、何が嫌かを発信できるか?

 

【「No」と言えない日本人】という揶揄がある。これは、相手からの拒絶を恐れて、本当は嫌なことでもそういえない人たちを残念がるフレーズだと僕は考えている。

 

日本は特に、今のマスクだなんだといったあれこれを考えると、同調圧力が強く、個人個人の意見の力が弱いと思われる。

 

だからこその【「No」と言えない日本人】なのだろう。

 

ただ、そういった一人ひとりの性格や、住む土地の風俗が、全ての説明になるとも考えていない。例えば教室で言えなくても、オンラインではNoと言える人もいるからだ。

 

この間自分事としても気付くことがあったのだが、自分がNoと言えないときは、自分は何をするのが嫌なのかを、当人が言語化できていないことも多い。

 

「この依頼を受け入れることは、果たして自分は嫌なのか?」さえわからないからこそ、一旦受理して、結果嫌だとわかるというループが断てないのだ。

 

まずは自分が何が嫌なのかをしっかり言葉にすること。ルールが無い状態で反則行為を指摘することなどできないように、やはり基準は必要なのだ。

 

ところで、この辺りを言語化するためには、内省はもちろんだが、小説を読むことも参考になると思う。

 

なぜかというと、多種多様な人間関係が、様々な場所で紡がれている描写を、言葉で大量に知ることができるためだ。

 

「今の場面、なんか不快だった」と思えば、しめたもの。そこに、あなたが嫌いな何かが隠れている。しかも、言葉にされている。

 

文字を追うのが苦手なら、ドラマや漫画、アニメでもいい。現実世界以外でも、その辺のストックは得られるのだ。

 

だが材料なしには、思考は始まらない。意識してみてほしい。

 

僕がされて、"特に"嫌なこと。

 

そんな僕がされて嫌なことは、抽象的に言うと、僕の時間を無駄に奪う行為全てである。僕の側だけが時間を使わざるを得ないような状況が全て嫌いだ。

 

これについては、いくらでも例がある。

 

例えば、電話で買い物を頼む行為は本当に嫌いである。上司であろうが、電話口で実は不機嫌な声色を隠さないほどムカついている。(その口調を怒られたこともあるが、直していない)

 

理由は、相手は相手の好きなタイミングで電話を鳴らし、さらに買い物の内容をテキストにすることもなく、ただ僕に暗記を強いるからだ。一連がひたすらに不躾だ。

 

買い物の内容が全く緊急性が無い場合だと猶の事腹が立つ。こちらのことを全く気にしていないことが浮き彫りになるため、このやり取りは僕はしない。余程の時だけだ。

 

あとは、質問を1つずつ送ったり答えたりするようなメールもとにかく嫌いである。はっきり言うが、「マジで頭が悪いなコイツ」と舌打ちしながらやり取りしている

 

一例を挙げよう。内容こそ違うが、やり取りの雰囲気は同じだ。

 

僕「頼まれてたやつが仕上がったので、確認をば」

 

相「これはこういう意味?」

 

僕「ですよ。」

 

相「この工程はこれで終わり?」

 

僕「最初に決めた通り、そうですよ。ところで、次に進めたいので、これこれこれの質問に回答お願いしやす。」

 

相「じゃあこの資料はいつ渡したらいい?」

 

僕「それも最初に決めたと思いますけど。で、先の質問に回答お願いします」

 

相「じゃあこの資料、今日から数日おきに流していくよ」

 

僕「うい(諦めた)」

 

・・・回答の内容というより、こちらが先に進めるための情報を全然送ってこない状況に鈍感なのは、本当にイライラする

 

もちろんこちらからの確認の取り方を工夫すれば、こういうタイプの人間相手でもタスクをサクサク進めていくことはできる。

 

ただその場合、努力なり心がけなりのエネルギーの持ち出しをするのはこちらなのだ。徒労を強いられることに変わりはないと考えている。

 

大事なのは、客観的な視点だ。もちろん僕も徹底できていないのだが、相手の質問に対し、何を渡せば、相手は先に進めるだろうというのは、常日頃から自問している。

 

器が小さく聞こえるが、僕は先述のような自分のペースをぐちゃぐちゃにされるやり取りがすごく嫌なので、多分この人とのやり取りは今後しない。(仕事の関係ではないので)

 

さて。時間を無駄に使われることが好きな人などおそらくいない。おそらくあなたも、無駄にされたらブチ切れるのではなかろうか。

 

しかし堀江貴文氏いわく、例えばあなたが電話を発信した相手は、あなたから時間を奪われた「被害者リスト」なのだ。

 

仕事に渋滞を起こさないようにすることは、自分に対してだとみんなできる。だがそれを、他者のためにできるか、どうか

 

例えば、自分は偉いと思う人に多いのだが、自分の後片付けすら部下に投げる人がいる。自分がどこを使ってどこが汚れているか、当人が一番わかっているだろうに。

 

部下は、汚れている箇所を探したり、投げっぱなしの資料がどこに片づけてあったかを見つけたりすることから始まるのだ。このロスに気付かないのはナンセンスだろう。

 

時間や労力を無下にする人とは付き合いたくない。特に仕事においては言うまでもない。

 

そのためにはまず、自分が徹底してその辺にシビアにならねばならない。そうしなければ、同じ価値観の人は僕の周りに来てくれないし、僕を入れてもくれないだろう。

 

「お前にやる時間はねぇよ」

 

僕もそう思っているし、相手もそう、思っている。

 

おまけ:【尊重】を軽視する人はリーダーになりがちだが、リーダーになられると部下は不幸である。

 

【リーダー】という言葉の意味を、ここ数年ずっと疑問視している。上に立つという考え、上司という名前、部下という呼ばれ方、その全てが不愉快だからだ。

 

ついでに言うと、リーダーは偉いという価値観も嫌いである。だが、自分でそう思っている人は、もっと苦手だ。俺はリーダー、だから偉い。そんな思考。

 

自分をある種特別と思っている人は、得てしてチームメンバーは自分の利益を最大化するために集まっていると考えがちだ。

 

手柄は組織に帰属させ、失態は個人に帰属させる。そこには何のリスペクトもない。その被害者の多さは、ネットの集合知を少し調べれば、すぐ実感できると思う。

 

そんな僕は、リーダーになることを諦めている。結局リーダーに選ばれる人は、自己愛が強いかサイコパスかで、自分を魅力的に語るのが上手な人が大半だからだ。

 

リーダーっぽく見える人は、ただそれだけでリーダーに選ばれる。これがデータで示される、実際のところの話らしい。

 

太っている人は自動的に相撲が強いとか、キャッチャーに向いてるとか思われるようなものだろう。

 

自己演出にだけ秀でた人がリーダーになったら、その組織は終わりだ。具体的な統計は忘れたが、下手したら管理職の5~60%はそんな感じらしい。(海外のそれだけど)

 

本当にリーダーに相応しい人を探す方法については、結構体系的な研究や方法が挙がっているのだが、自己愛が強い人がそれを採用することは絶対に無いだろう。

 

自分がリーダーであればそれでいいので、わざわざ自分を脅かすような真似は要らない。それが彼ら彼女らの思考なのだ。

 

―もちろん僕が独立を果たした際には、僕がリーダーとして名刺なりHPなりに名を載せざるを得ない。しかしそれは、決して自分が偉くなったことを意味しない

 

果たすべき責任をたくさん持っている。そして責任を最終的に背負う。ただそのことを言い表しているに過ぎないからだ。そこを履き違えないようにしなければならない。

 

最終的にどういうチームを作るかはわからないが、なんとかして事前に自己愛が強い人を弾き出し続けられないか、システムは考えたいところである。

 

―ということで一旦違う話も混ざったが、今日はこの辺で。

 

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