精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

最高の学習時間の1つ、それは”学校の定期テストを解くこと”だ!!

独立計画を練り始めているのですが、踏破すべき山の大きさに対してではなく、自分の知識と経験の無さに絶望している中元です。

 

はい。恐らく個人塾という形態で立ち上げるなら、なんだかんだで定期テストレベルなら5科目教えられた方がいいと感じ、中学理科の勉強をひたすら進めている。

もちろん数学に難があることは自覚していれば、これはフォレスタという教材を使えば問題ないので、一旦後回し。(いずれやり直そうとは考えているが)

 

さて。今のところ参考書に書いてある知識をほとんど頭に入れることには成功したので、あとは【問われ方】と【答え方】、そして【盲点】のネタを仕入れる段階に来た。

 

それらを理解し吸収するためには、やはり実践的な問題を解く必要がある。しかしどうにも一問一答形式の問題集が面倒で、その辺を億劫に感じていた。

 

―そんな中ついに、ちょうどいい難易度で、経験値としても良質なものを得られる教材を発見した。それこそが、各中学校の定期テストだ。

 

今日はその理由をベースに、記事を書いていこうと思う。

 

 

出題者側は、なにを【基本】と考えているのか。

 

まず、生徒と教師で一番意識にずれがあると思う部分について、僕は何を【基礎・基本】と捉えているか、だと思う。

 

生徒は教科書の太字の語句をそうだと考えているかもしれないが、学校の先生は、もしかしたら単純な計算問題をそうだと考えているかもしれない。

 

このずれを生徒当人に掴ませるのは、極めて難度が高い話だ。だからこそ、ここを講師が理解して、生徒やご家庭に伝えられれば、そこに価値が生まれるともいえる。

 

実際、過去問を解くと、色々と気付く。例えば、ワークの問題を丸ごと載せているな、とか、補助教材のプリントから引っ張ってきたな、とか。

 

あるいは、公立高校入試の過去問を加工して作っているケースもあり、自分の脳内に蓄えていた経験値が繋がる感覚も相まって、色々と嬉しい

 

定期テストは、それまでに学習したことの定着度を測る試験だと言われる。だからこそ、そこで問われるものこそが、先生が考える基礎基本の結晶なのだ。

 

ここは外野がとやかくいってどうこうなる話ではない。とっとと取り組んで、さっさとデータを集めてしまうのが、一番効率的な話なのだ。

 

問題を通じて、学校の先生との対話を楽しむ。

 

不思議な話だが、定期テストの問題を解いていると、一体どうしてそこに意識が向いたのか、ただただ脱帽するような観点の良問に出会うことがある。

 

例えば本当にさりげなく、「物体」と「物質」の違いを問う問題とか、エンドウマメの遺伝の話で、「同一のさやの中の豆は全て同じ形質か」を聞いてきたりとか。

 

教科書に載っているかいないか微妙な知識を問うことの是非はあるだろうが、僕は僕の及びもしない盲点を突く問題が大好きである。

 

そういった先生たちは、会議をして問題を作ったにせよ、自分で考えて採用したにせよ、抜群の観察力の持ち主だと思う。

 

素直に尊敬する対象として、聞きたいことが山ほどある。いつか魚民かどこかで、お互いの仮説をぶつけながら、酒を飲みたいものである。

 

問題を通じて、同じ感性、あるいは自分が辿り着きたい思考ができる人に出会うこともある。

 

そういう意味では、機械的ではない問題を解いた方が格段に楽しいと思うのだが、皆様はどう思われるだろうか。

 

終わりに。

 

自分でテストを作ってみるとよくわかるが、それを作ることは本当に骨が折れるし、なんだかんだで自分の価値観がそこに反映されるものである。

 

学校によっては分担制で1つの問題を作るところもあるのだが、この場合は僕にとって、一粒で何度でもオイシイ教材ということになる。

 

今まではぶっちゃけ学校の定期テストの問題を生徒に持ってきてもらうのが億劫だったのだが、自分の中で新しい意義ができた今、前向きに取り組めそうである。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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