台風が来るたびに謎の連休が入り、それ以外の休日がすべて消えます。中元です。
はい。ついに佳境に入ったとみて間違いのない段階へ辿り着いた。テンションは上がるが、読むペースにはまだムラがある。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
しかし、使われている文法なんかもある程度意識が向くようになってきたし、単語もぼちぼち、という具合だ。そこにだけ目を向けることとしよう。
では、以下今週もゴリゴリと読んでいく。
- 9月19日(月) DEATH
- 9月20日(火) 支えてくれた人
- 9月21日(水) 中国の労働事情
- 9月22日(木) 譲歩しないという賭け
- 9月23日(金) ガソリン不買運動
- 9月24日(土) 悪のイメージ
- 9月25日(日) 神の見える手
9月19日(月) DEATH
今回も【死】がテーマの内容であった。脳への悪性腫瘍により、発覚からわずか20日で亡くなった女性のケースであった。(寄稿であり、その寄稿主の娘なのだという)
脳の腫瘍といえば、亡くなった祖父を思い出す。ある日突然、祖父が脳梗塞で緊急入院したという一報が入った。
腕相撲で一度も勝ったことが無いほど頑強な祖父。にわかには信じられなかったが、県を跨いで急ぎ病院に行くと、そこに祖父は横たわっていた。
半開きの目には生気がなく、どこか濁っていた。意識があるのか無いのかもはっきりしない。無意味に体は動いているが、呼びかけへの反応なのかはわからない。
―その後は何とか回復し、数ヶ月は元気になっていったのだが、もともとは寡黙だった人なのに、異常なまでに陽気になって、違和感を覚えた。
・・だが急激に瘦せ細り、言葉は明瞭だが内容が支離滅裂になり始め、気付けば再び病院へと向かっていった。
当時は大学生であり、かつ大事な試験が連続していたため、祖母がついていたのもあり、僕はお見舞いを後手にしていた。
結局、僕が慌ただしく見舞いに行ったのは、死の数日前だった。投与されたモルヒネの影響で、意識は完全になく、ただ細く弱い呼吸をしているだけだった。
僕は絶句して、かすれた声で「爺ちゃん」と呼ぶことしかできなかった。病院を後にして車に乗った際、強くハンドルを殴ったのを覚えている。
別れの挨拶や感謝の言葉さえ、死は容赦なく奪い取る。葬式の際、涙にくれる従妹たちとは対照的に、僕はただ虚無感ばかりを強く覚えていた。
―ここから何を考えればいいのか。僕にできることは何なのか。常日頃から感謝を伝えればいいという人も言うが、その内容は毎日更新されるのだ。
答えなど出るわけないのだが、思索にはまだ材料が少ない。だからまず、それを集めたい。
死がもっと身近で、科学がまだまだ進歩していなかったころはいつか。そして、その時代を生きた人の言葉に、そのヒントがありそうだ。
鎌倉時代から戦国時代にかけてだろうか?西洋哲学も面白そうだ。「死」を昇華させるため、僕は「死」を見つめた人の言葉を読みたくなった。
9月20日(火) 支えてくれた人
死をテーマにした話は続く。だがその中で、人生の転機となった人とのエピソードみたいなのが載っていて、少し立ち止まった。
僕の人生を良い方へ向けさせてくれた人は誰なのだろうか。・・義務教育下だと、僕はいわゆる悪目立ちするガキであり、内申点は酷いものであった。
いつから僕は勉強に対し前向きになり、今はこうして塾講師なんかやって、そして勉強は楽しいと胸を張って言えるようになったのか。我ながら不思議だ。
・・・考えてみたが、僕の場合は特定の人物がどうこうという話ではなかった。結局、今までも、僕は僕の内省によって、人生を決めてきたことに気が付いたからだ。
高校も大学も、ある種自問自答の中で決めた。もちろんだからといって、他者の意見や存在を無駄というつもりはない。そこに関しては真逆だ。
彼ら、彼女らが教えてくれた情報や見せてくれた生き様を材料として、考えて答えを出したという感じに近い。
実際僕も、誰かの恩人になんて微塵もなりなくないのだが、そのためのヒントとして、情報をたくさん与えられる人にはなりたいと思った。
まだまだ勉強、頑張りましょう、だな。
9月21日(水) 中国の労働事情
中国は人件費が安いと言われるが、それがゆえか、多種多様な仕事に、不必要なまでに従事する人が多いらしい。
ある店に行けば、4人に囲まれて接客をされたり、路地裏で使用済みスマホを販売する人がいたり、エレベーターガールがまだいたり、とか。
面白かったのは、接客をした4人の人たちは、あくまでも店員ではなく、その店に商品を卸している会社から派遣された人たちなのだという。
つまり自分の商品を推奨し、他社の足を引っ張ることが任務なのだ。そこに客の便宜は介在しない。
国が変われば文化も変わる。海一つ隔てた先の国について、また一つ思い巡らせるきっかけとなった。
9月22日(木) 譲歩しないという賭け
「ヤバい経済学」にも載っていたエピソードなのだが、筆者があるレストランに入ったら、腐った鶏肉を食わされたそうだ。
一応店からの謝罪と、無料でワインを飲めるといった賠償?はあったそうだが、実はワインを飲んだのは同行者だったりと、少し不満が残る形だったという。
そこで彼が試したのは、心理学と経済学の考え方をミックスして、【アンカリング】によってさらに会計から値引きをできないか、という実験であった。
しかしこの方法は上手くいかず、会計そのまま、「ワイン出したからもういいじゃん」という感じでやり取りは終わったという。
経営者は、「この客は暴れない」「この客はクレーマーじゃない」という賭けに勝ったんだという風に筆者は締めていた。
・・・わけではなく、最終的にはわざわざ店の場所と名前、商品名を末尾に書き添えることで、きっちりその辺の帳尻を合わせておりました。ちゃんちゃん。
9月23日(金) ガソリン不買運動
アメリカ版のチェーンメールなのだが、【アメリカ、カナダの人たちよ!今の不当に高騰したガソリン代を下げるため、9月1日に不買しよう!】というのがある。
カラクリとしては、需要が下がれば値段が下がるというたぐいなのだが、筆者たちはそれを一笑に付していた。
まず、1日程度我慢したところで、結局ガソリンは使うのだから、別日にしわ寄せがいくだけというのが一つ。
ガソリンは腐るわけじゃないので、1日くらいなんともないってのが、もう一つ。トドメは、世界規模で市場があるから、という話だ。
感情論が何かを解決することはないとはよく言われるが、これもまた一つの例だなと考えさせられた。まぁ、ジョーク的な話ではあるんですけれどもね。
9月24日(土) 悪のイメージ
英検準1級の予想問題集にも書いてあった気がするけど、野蛮で粗暴で残虐というイメージが強い海賊だが、実はもっと、統率された組織なのだという。
現代の海賊といえばソマリアのそれが有名だが、基本的には商船などに対しては無条件降伏を促し、応じた場合は、丁重に扱うのだという。
しかしひとたび拒否したり、あるいは下っ端が無下にそういった捕虜を扱ったりすると、"意図的に"残虐さをむき出しにして、時に命さえも奪うのだという。
だがそれも、「逆らったら殺される」というイメージの流布が狙いであり、そうしたいからそうするというより、必要なのでやむなくと言う感じがする。
実際、船から飛び出た板の上を歩かせて、サメにどうこうというくだりは、完全にフィクションとのことだった。
しかしながら、「あり得るかも」という思い込みは、その伝説も現実になるかもしれないという恐怖を植え付けることに成功すると思われる。
こんな風に、自己演出のために、徹底して行動を設計する。いわば、暴力なき支配。日本の裏社会の方々の思想にも通じるものを感じた。
9月25日(日) 神の見える手
オークションで自分が使っていたスマホを売るというのは、アメリカとかだと一般的なものらしい。しかしそこには、やはりある種のバイアスが存在するという。
それは、商品紹介の際に移り込む手の肌の色や、タトゥーの有無で、成約率やそもそもの反応率に差が出るというものだ。
例えば黒人の手が写っていたら、”それだけで”成約率が下がることが確認されたのだという。たとえ同一の商品を販売しているとしても、だ。
これは、一体何に紐づいた心理なのか。僕は、ハロー効果の反対、つまりホーン効果に似ているなと思った。
これは簡単で、例えば「元ヤクザ」と言われれば、無条件で他の要素全ても、恐怖の感情を帯びたようにみえるというバイアスである。
実際それも記事内で指摘されており、「盗品では?」「犯罪絡みでは?」といった心配を想起させるのが一因だとあった。
差別は、やはり根強く存在している。逆に言えば、そう割り切っておかない方がおかしくて、調和がそもそも不自然な状況ということなのかもしれない。
真の”調和”を成し遂げるには、国家という単位では大きすぎると僕は感じている。まぁここからは、もっとガチな人が考察すればいいと思うけど。
では、今週はこの辺で。