睡眠スコアが毎日少しずつ上がりながらも、「そこまで高くなかったか~」という原因に毎日心当たりがある、Developing中元です。
はい。この本について、最近テーマが自分にとって読みやすい(あるいは考えさせる)ものが多くなってきて、ペースが少しずつ高まっている。
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犯罪、インチキ、そして肉親の死から学んだことへ飛んだと思ったら、腐ったチキンを食わせられた話になり・・。いい意味で、頭が忙しい。
そんな脳みそを磨かれるような時間、また今回も始めませう。
- 9月26日(月) 寄付の身も蓋もない話
- 9月27日(火) 募金の身も蓋もない話
- 9月28日(水) 物乞いVSホットドッグ屋
- 9月29日(木) 超論理的思考法
- 9月30日(金) 猫も杓子もインセンティブ
- 10月1日(土) エビノミクス
- 10月2日(日) 女性は不幸になり続けている?
9月26日(月) 寄付の身も蓋もない話
自然災害に対する寄付の額の最大は、この本が書かれた時点では、スマトラ島沖地震がそうなのだという。(東日本大震災は出版後の話)
ところで大体時期を同じくして、パキスタンでも大地震が起こり、数万人が亡くなったことをご存じの方はおられるだろうか。僕は申し訳ないが、覚えていない。
この差が何を生むのかというと、それは寄付額だ。嫌な単位だが、寄付額を死者数で割った金額を出すと、パキスタンのそれは驚くほど低かった。
―これは恐らく、報道の数と寄付額が比例しているという考察が成されていた。奇しくもパキスタン地震の頃は、アメリカでは政治的な動揺があり、その報道が占めていた。
結果、災害に関するそれが結果として減ってしまい、寄付額に影響が出たのでは、と。深い考察だが、マジで身も蓋もない話だ。そう思った。
9月27日(火) 募金の身も蓋もない話
募金における、最強の広告塔は誰か。これこそマジで身も蓋も無いのだが、言ってしまえば、それは美人なのだそうだ。
アメリカの場合だと、いわゆるブロンド美女となる。そういった人に募金を呼び掛けてもらえば、それだけで額がめちゃ増えるという試算もあるそうだ。
あるアメフトの試合で、スター選手が募金を呼び掛ける一幕があったという。しかし、視聴している人数を考えると、そこまでパッとしなかったそうだ。
筆者は、チアガール集めて宣伝させたらよかったんに、という苦言なのかなんなのかよくわからないことを書いていた。それが現実ってことなのだろう。
ちなみに理由までは書かれていなかったが、承認欲求とか自己肯定感とか、そういう分野から説明がつくのではと感じている。
9月28日(水) 物乞いVSホットドッグ屋
経済学者が集まったランチ会(すごい響き)で、「通りを歩いていたら、物乞いとホットドッグ屋がいた場合、どっちにお金を落とすか?」という議論になったらしい。
ただし、物乞いはアル中だとする、という但し書きも添えて。
これについて、答えもロジックも、同じ経済学者でありながら結構異なっているのが面白かった。
ある経済学者は、「多分物乞いにお金を渡すが、現金が巡り巡って犯罪集団の懐に入らないかが気がかり」という風に答えていた。
また、別の経済学者は、「魚を渡すのではなく、釣り方を教えるのが大事というから、俺なら普通に食いたいホットドッグを買う」とも言っていた。
あるいは、「キャッシュの半分を恵んで、もう半分でホットドッグを買う」というややルール違反気味のもあった。
―こういう思考実験においては、自分も意見を考えてみることが、結果としてさらなる思考に繋がる。だから自分も考えてみた。
恐らく僕なら、ホットドッグを買うと思う。事業主の所得を増やす方が、巡り巡ってそういった社会的弱者の支援に回すお金が"確実に"増えると思うからだ。
物乞いの人は、それがある種の職業とはいえ、インドの例に則るなら、きっかけがない限りは一生そうなのだ。僕が捧げたお金でそれが続くのは、見ていられない。
またその用途が酒に消えるとわかっているのは明白だ・・・なんていくらでも詭弁は並べられるが、僕はホットドッグが好きだというのが一番大きい理由です。はい。
9月29日(木) 超論理的思考法
「物乞いか、ホットドッグか」論争はまだ続く。今日は2人の意見を読んだのだが、すごく論理的な考え方をされていたので、読みながら理解するのが大変であった。
まず一人目は、「ホットドッグを買い、余ったお金をチップとして渡し、ホットドッグそのものは物乞いに差し上げる」というものであった。
こうすることで、勤勉な仕事に対する賞賛のお金もあげられるし、酒に使われる心配のない施しも、物乞いに渡すことが可能となる。
ただし、その物乞いがベジタリアンだったり、限られた肉しか食べられない宗派の人だったら話は別だと添えられていた。
―こういう風に、省略された前提にまで意識を巡らせることは、論理的思考の中でも、かなりレベルが高い話である。なぜかと言えば、無意識下の前提だからだ。
そして二人目は、割愛されている情報が多すぎて、考えるだけナンセンスという結びにしていたほどである。
そんなもの、”コンテクスト”次第だ、と。そもそも、物乞いとホットドッグ屋、どちらの方が自分に近いかでも決断は変わるだろう。
その物乞いが、自分の親戚にそっくりであれば、道徳とか抜きにして恵みを施したくなるだろう。でもお腹が空いていたら自分はホットドッグを選ぶはずだ、とも。
どういう文脈や状況で語られるかで、認知は変わる。そのことをはっきりと自覚しているのだなと、本当に舌を巻いたコメントであった。
9月30日(金) 猫も杓子もインセンティブ
人に行動を促すための声掛けや報酬のことを総称して「インセンティブ」と呼ぶ。経済学とはひとえに、これを密に研究する学問と言っても過言ではないと思う。
そしてこのインセンティブは、しばしば直感と反するから面白い。例えば、子供に勉強をさせることを促すには、お小遣いはどのタイミングで渡すべきだろうか?
―実は、勉強に取り組む前、成果を出す前なのだという。しかし、ある条件をつけるといいそうだ。それは、不達成なら没収というものである。
例えば、試験前にスプラトゥーン3を買ってあげたら、「次の試験で〇点下回ったらゲオで売ってくる」と言えばいい。そんな話だ。
なんかかっこいい名前があったけど、忘れたので、失念した。
他にもこのインセンティブの例は存在する。特定の商品を一番売り上げたウェイトレスには、新作のデザートを無料で食べ放題にしてあげる、など。
皆様も面白いインセンティブを作ってみるのはいかがだろうか。
10月1日(土) エビノミクス
日本で暮らしていると全然実感は無いのだが、アメリカのエビの消費量は、どっかのタイミングで大幅な増加をしているのだという。
「エビブーム」なんかあったか?と思ったが、ではなぜ、エビの消費量が急上昇したと考えられるだろうか?
・・・実は面白いのは、その理由というより、その説明をどの立場で考えるかという一人一人の思考のタイプである。
筆者が"意外"と言っていたが、実は経済学部の在学生と、一般の人々では、立場にさほど違いはないらしいのだ。一方、教授クラスと比べると、結構違いが出てくる、と。
その違いとは、消費者側の目線で考えるか、供給側の目線で考えるか、だ。前者は普通で、後者が経済学部風、らしい。
具体的には、「健康志向の人が増えたからでは?(だから買う人が増えた!)」という
考え方が、消費者目線という感じ。
一方供給者側の目線だと、「エビの養殖技術か何かが進歩して、大量に販売できるようになったのでは?(だから売れる量が増えた!)」という具合だ。
ちなみに、僕らは基本、自分で事業を起こしたり、経済学の思考にどっぷりつからない限り、消費者目線で物事を考えるのは当然だ。だって、消費者なのだから。
そんなわけで、消費者思考だろうが頭の良しあしには一切関係しないので、その辺はご安心頂きたし。とりあえず、エビが食いたくなりましたなぁ。
10月2日(日) 女性は不幸になり続けている?
燃えそうな記事ではあるが、女性の幸福度は1970年代くらいから現在まで、相対的には下がり続けているような状態らしい。
これはアメリカの話なのだが、状況的には日本も似たようなものだと感じている。その正体は何なのかを考える前に、アンケートの罠にも触れておきたい。
それは、どこを母集団とするかで、回答と印象がある程度コントロールできてしまうところだ。
例えば、「結婚相手に求める年収はどれくらいですか?」という調査も、東京の渋谷辺りで行うか、地方のどっかで行うかでは、額が違うだろう。
そして仮に渋谷の結果を地方で発表すれば、「高望み!」といった炎上を起こすことも容易に想像がつくわけで。
そういう例を考えても、本当に「幸せなのか」というアンケートに、そもそも意味があるのかから、疑わなければならないという但し書きが添えられていた。
その上で、不幸だというのが事実だとすれば、それはなぜかを考えたい。色んな議論はあるだろうが、客観的に考えられることは以下の通り。
① 社会進出の結果、仕事におけるストレスが増えたこと
② かつて運動の果てに目指した、理想とする待遇には、まだまだ至っていないというストレス
③ ところどころ残る男女不平等な格差のせい(収入とか)
―ところで筆者は、女性の友人に、「ほんとのとこはどうなん?」と聞こうとしたが、なぜか既にぐったりしていたため、質問さえできなかったという。
僕は今現在お付き合いしている人はおろか、女友達さえいない状態でふわふわ生きているため、この辺はクソ鈍感だ。
だがいずれ組織を作ると決めている手前、あくまで客観的な意味の、性差による思考の違いとかは、知っといた方がいいな。そう思った。
では今週はこの辺で。