精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【同業者向け】新規入塾のため、"広報"に執心する人は多いですが、”材料”がないと意味ないっぽいっすよ。

温泉の鏡に映る自分が思った以上にオッサンで、もっと筋トレ頑張ろうと決めました。中元です。

 

はい。今日の記事の内容は、自分にも思い切り矢印が向いているのだが、【広報】について思うこと、である。

 

塾をやっている以上、新規入塾生とは、年がら年中喉から手が出るほど欲しい存在であり、この問い合わせが途絶えることは、つまり塾としての死に突っ込んだも同然だ。

 

だから、大量にビラを用意し、門配だ、ポスティングだ、友達紹介だ、SNSだと頑張る、と。それについては僕も取り組んでいるし、異論はない。

 

ただ、"あるもの"がない広報って、本当に無意味だよなと首を傾げている部分もあるわけで。ここでいう"あるもの"とは、ひっくるめれば【材料】のことである。

 

今日はそんな、【材料】という抽象的なものについて、考えてみたい。

 

 

新規入塾前後のプロセスを整理する。

 

「なぜ入塾が増えないか」という疑問は、非常に主観的だ。だからここについて思い巡らすときは、必ず問いをひっくり返してから、考えるようにしている

 

僕にとっては、「どういう塾なら入りたくなるのか?」という問いと同義であり、そしてこちらを起点として考える方が、色々とすっきりするからだ。

 

そしてその問いの仮説を作るため、最近はよく、塾と似た形態・性質を持つビジネスの広報事例を調べるようにしている。

 

特に類似性があると感じたのは、パーソナルジムのそれだ。詳しく書くと話が反れるので割愛するが、僕は非常に似ていると捉えているわけで。

 

さて。パーソナルジムの広報事例について調べてみると、説いていることやその手段も、そのまま塾に応用可能と思えることが並んでいる

 

そのプロセスの一例を紹介しよう。

 

まずは認知してもらうことがすべての始まりだ。例えば検索上位に表示される、SNSを見てもらうといったところから、ゆるい繋がりを築いていく。

 

そのうえで、興味・検討のフェーズにまでもっていく母数を増やす。この段階は、例えば紹介や無料体験といったキャンペーンが有効とあった。

 

そしてそれを経て購入(入塾)してもらったら、しっかりと継続してもらえるよう、様々なきめ細かいサービスを提供する。

 

そして尽くして尽くして尽くし続ければ、やがて積極的に応援してもらえるという関係に至るわけで。今のファンコミュニティの理念に通じるところも多いと感じる。

 

さて。このサイクルを回すためには、まずはとにかく認知・興味・検討を押さえることが大切となる。その中でもすべての始まりたる認知が要だろう。

 

だから闇雲にブログなりInstagramなりFacebookなりに色々と書き殴る人がいるが、実は認知を得るためには、そんな場当たり的な施策では不十分ではと考えている。

 

もっと緻密で、もっと練られた前段階が必要だ。広報材料1つ作ることにも、水面下に隠された膨大な思考があるのだとさえ感じている。

 

これには僕の原体験がある。次項で詳述することにしよう。

 

最高の【広報材料】は、緻密な設計の結晶説。


ところで、「口コミを起こせ」とよく言われるが、何ともアバウトな話だと思う。もっと踏み込めば、「生徒が拡散したくなるネタを提供せよ」ではなかろうか。

 

例えば、僕が高校の頃通っていた塾は、時折かなり極端なイベントを打っていた。1日全部を使っての英単語・熟語・文法の3000問テストがその一例だ。

 

何時間掛かったが覚えていないが、不思議なもので終わってみれば、そのテストが「いや~、大変だったよ~」と笑いながら友達に語る自分がいたわけで。

 

今思えば、何とも自然な口コミで、つまり広報ではなかろうか。言わされているのではなく、本当にふと口にしているのだ。

 

恐らくそこの校舎長は、この辺りの機敏をよく察していたのではと思われる。その校舎には確かに、あちこちから秀才が集まっていたが、そこにも一因がありそうだ。

 

―この目線を他の塾に向けると、なるほど優れた塾はどこもかしこも、【材料】に富んでいることが伺える。

 

高得点の答案を掲げる生徒の集合写真。嬉々としてランキング対決に挑むクラスの様子。開放的な休憩中の様子。

 

これらを現出させるために、日頃からどれほど深い関係性を構築していることか。考えれば考えるほど、クラクラする。

 

想像するしかないのだが、「今度のテストで良い点取って、集合写真を取ろう!」と声掛けし、それに特化した空気を塾内で醸成しているに違いない

 

そのために例えば休日に開校して自習を促したり、オリジナルの問題集を「特訓」と銘打って提供したり、そういう努力をしていることだろう。

 

だからこそ、最後に最高の結果かつ、広報材料として花開くのだ。やはり場当たり的な施策では達成不可能な景色と見て間違いない。

 

あの塾は広報が上手くいっている!という表面だけ観察するのではなく、その広報を出すための水面下の一手にまで思い巡らすと、大きな発見があった。

 

ではそれをどう応用するかは僕自身のこれからの課題なので、暫定的な結論さえ作れていないのだが、それでも一旦棚卸するため、このまま記事にまとめておく。

 

ということで今日はこの辺で。