精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

生徒が勉強にやる気を出さない理由は、そうしたところで生徒にとっては”得が無いから”説。

【責任】という言葉の意味を、最近よく考えます。何があったかは推して知るべき。中元です。

 

ところで、皆様の塾に通う生徒は、やる気に満ち溢れているだろうか。あるいはそこまでいかなくても、「やるときはやる」タイプの子が揃っているだろうか。

 

ぶっちゃけ、「です!!」と言い切れる人は少数派だろう。大抵どこでも数名は、むしろ積極的に無気力感を打ち出すヤツはいるものだと思う。

 

面談や体験授業の段階で「こいつはやる気ゼロだな」という生徒を全てお断りしても、内生が段々そうなっていくこともあるため、ずっとついて回る問題には違いない。

 

だから、どのようにして生徒にやる気を出させるかこそ、ある種講師の腕の見せ所であり、塾という場所に期待される商品の一つだとも感じるが・・・。

 

実をいうと、ある要素が無ければ、どんな熱いメッセージも、どんなムチも、マジで響かないことは知っておくと言い。

 

その要素とは、"得"だ。そうすることで、どんないいことがあるのか。また、そうしないことで、どんな悪いことが起こるのか。ここが設計できているか。

 

まだまだ僕も手探りの段階なのだが、現時点で考えていること、調べたことについて、今日は記事にまとめておこうと思う。

 

 

人は【インセンティブ】に反応する。

 

経済学をかじるとよくわかるのだが、人は【インセンティブ】に反応する生き物である。直訳すると、「動機づけ」となる。

 

ここでいう【インセンティブ】とは、主に報酬のことを指し、頑張ったら何が貰えるのか、何が満たされるのかといった話だと捉えてほしい。

 

例えば、売り上げ目標を達成するまで頑張ったらボーナスが出るというのは、極めてわかりやすいインセンティブの一例である。

 

そしてこれは、何も金銭に限った話ではなく、「褒められて嬉しい」「皆にちやほやされる」といった精神的な充足もそこに含まれる。(自己肯定感も然り)

 

―ちなみに、【インセンティブ】は何も、貰って嬉しいものをあげることだけを意味しない。むしろ、食らったら嫌な罰を設計することも、広義のインセンティブだ。

 

こちらを用いたインセンティブ設計としては、テストの点数が〇点に届かなかったら、ゲーム没収といった風になる。なるほど、これもまたありふれた光景だ。

 

僕ももちろんそうなのだが、人はやはり怠惰な生き物だ。「やるぞ!」という意志だけでは、三日も持たずにホメオスタシスに敗れて元通りだろう。

 

況や、精神が未発達の小学生・中学生をや、である。大人に難しいことを、子どもができて当たり前だろうと期待する方が微妙である。

 

だからこそ、何をあげたら頑張れるか、あるいは何を課すと言えば勉強することを選ぶのか、その辺をこちらが考えることが、結構大事になってくるのだ。

 

金銭は無理だと思うので、例えばお菓子詰め合わせといった報酬を用意する?それとも、皆でお祝いのパーティーをやると告知し、精神を充実させる?

 

あるいは、届かなかったら、ご家庭を巻き込んで娯楽を取り上げると言った脅しをかけるべきだろうか?その辺は、個々人の事情に応じて考えてほしい。

 

―だが、こんなことを書いたら、こう思われる人もいるかもしれない。

 

「勉強をすることで、将来の選択肢が増える!収入が増える!それこそが最高の報酬なのだ!」

 

「知らなかったことが理解できるようになることこそが無常の喜びだ!だから勉強は尊い!俗的な報酬に頼るんじゃない!」

 

「勉強をしなければ、苦しむのは自分自身である。だから、勝手に罰となる。」

 

といった風に。実はこの全ては、ある種のインセンティブ設計の落とし穴】に嵌っている。だからいずれも、生徒の心を馬耳東風なのだ。

 

続いてはその落とし穴について、書いていこう。

 

未来など、どうでもいい。

 

その落とし穴とは、時間軸が先過ぎることだ。つまり勉強とは、報酬や罰則が適応されるのがずっと未来のこと過ぎて、全然ピンとこないという話である。

 

例えばモンハンに没頭していた頃の僕に向かって、「お前、それしなければ、もっと上の学校に行けるかもしれないぞ!」と言われても、聞く耳は持たないだろう。

 

今はモンハンが楽しいのであり、それが全てなんだから、それによって将来の志望校のレベルが下がろうが、構わないという気持ちになるからだ。

 

また、「お前、モンハンをほどほどにしとけば、将来の年収が上がるぞ!」と伝えても、結果は同じだろう。

 

それは、今現在から振り返ってみても同じだ。あのときモンハンを止めていたら、僕は今よりいい大学に行って、もっと稼げているのだろうか?

 

これこそ、考えるだけ意味のない妄想だと思う。長期の展望を伝えて夢を持たせたり脅したりするのは、個人的には実をいうと二流の言い回しだと思う。(失敬!)

 

この辺りのヒントになるのは、前田裕二氏が【人生の勝算】で語っていた、塾講師としてアルバイトをしていた時代のエピソードだ。

 

「その生徒が持つ欲求を見抜き、それを満たすことと勉強を結び付けることで、僕はガンガン成績を上げていきました」

 

という感じの話があった。これが基本なのだと思う。人間はインセンティブで動くと書いたが、突き詰めればそれは欲求だと思う。

 

モテたい、ちやほやされたい、あいつより上の点を取りたい、良い点を取ってゲームを買ってもらいたい・・。

 

そういうある種俗物な動機こそ、純粋なモチベであり、つまり強い。これが拗れれば「渇愛」という厄介な状態になるのだが、そこまで吹っ切れることはレアだ。

 

動機は不純でもいいというのは、よく説かれる話である。モテたいから勉強を頑張ったところ、偏差値が上がって医学部にいけたとか、面白い話ではないか。

 

ではそのためには何が必要かというと、もっと生徒の欲望を聞き出せるようになることだと思う。平たく言えば、必要なのは胸襟を開いてもらうためのこちらの努力だ。

 

取り急ぎ、これが僕が持つ、暫定的な結論である。皆様はどう思われるだろうか。

 

ってことで、今日はこの辺で。

 

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