精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

「やる気が出なくて勉強できない」とか、もう終わってんなって、正直思う。

最近運動量を増やしたのですが、毎日ポテチを食っちゃってるので、プラスもマイナスもない中元です。

 

はい。今日は少し手垢だらけの物言いになるが、勉強とモチベーションの関係について、持論を書いてみようと思う。


この時期になると、特に勉強が苦手な層から出てくるボヤきがある。それは、「勉強しないといけないとわかってるけど、やる気が出ない・・」というものだ。

 

もちろんオシゴトなので、表面上はなるべく優しい言葉遣いで、真摯にその悩みに傾聴するよう心掛けているが、内心考えていることは1つしかない。

 

「あー、終わってんな」である。その言い訳そのものの陳腐さに対してもだが、そんなことに真剣に悩むことに対しても、そう感じている

 

先に言い切っちゃえば、やる気なんてのに依存している時点で、目標達成は見込めないと僕は考えている。頑張らないと続かない時点で、敗色濃厚なのだ。

 

ということで今日は、なぜ僕はそう感じているのかという話と、ある種の対策について、記事をしたためてみる。

 

 

結果、学力が上がるヤツの特徴とは?

勉強に情熱を燃やす。このフレーズを聞くと、頭に鉢巻を撒いて、”ガリガリ”と音を立てながら何かを紙に書き殴る、学ラン姿の学生のイラストが頭に浮かぶ

 

恐らくこれが、モチベーションが高い学生の典型像だということなのだろうが、少なくとも僕自身は、本当にこんなことをしている勉強ができるヤツを、一人も知らない

 

もっと言えば、感情剥き出しで勉強に向き合っている秀才を、僕は一人も知らない。外から見れば、やる気がないとさえ思えるほどのクールさを纏った奴が大半なのだ。

 

では彼らは何をしているのかというと、非常に淡々と、ドライに、するべきことを毎日継続してやっている本当にただそれだけ、というケースが大半なのだ。

 

必要と思ったら、毎日二次関数の問題を解く。英語の長文を音読する。古文単語も単語帳で覚える。ある種機械的に、勉強をルーティン化して、取り組んでいるだけ。

 

イチイチ自分を奮い立たせるなんてことはしない。結果に対し激しく落ち込むこともしない。何なら、勉強というモノを特別視することもない。

 

やるべきことをやり続けているのだから、そりゃ成績も上がるはずである。水と栄養を与えつつ日なたに鉢植えを出しておけば、そりゃ芽が出るのと同じである。

 

今日はやる気が出ないからしないとか、今日はやる気があるからめちゃ頑張るとか、そういうブレが無いのが、勉強に限らず、成果を出すヤツの特徴だと感じている。

 

・・・ちなみにこれが完全にクセづいている子は、自制心がそもそも強いのだが、このスキルはいつ育まれるかというと、結構幼少期でできる子はできるようである。

 

その根っこに存在するのは、父母の教育(および愛)と周囲の環境という話は、色んな本を読んでも書かれている話だ。

 

これに関して、あくまでも僕が見た限りの話だが、自制心が強い子と両親の関係性として一番多いのは、監督と選手のそれに似たものだと感じている。

 

過度に干渉も依存もしないけど、突き放しもしない。冷淡に聞こえるが、あくまでも中立。必要最小限の手助けをしつつ、意思を尊重する感じである。

 

だが時には、「このままテストの点が落ち続けたら、有無を言わさずスマホ解約」といったシビアな手段も使う。アメとムチの緩急たるや、鬼気迫るものさえあるくらいだ。

 

参考になるかわからないけど、一応書き添えておく。

 

やる気があろうがなかろうが、勉強ができるようになるために必要な考え方とは?

 

やる気に左右されずに、勉強を重ねるには、何を心掛ければいいのか。

 

一番シンプルにまとめれば、「効率化しつつルーティン化する」のが大切だと考えている。

 

つまり、ラクに継続するための努力は怠らないようにしつつ、生活の一部に組み込むまで繰り返す、あるいは繰り返せる仕組みを考案する、という感じだ。

 

例えば、英語の音読を習慣化したいのなら、起きて、寝床から降りてすぐの位置を、テキストの定位置に設定するのも一手である。(僕はそうしていた)

 

歯磨きをする際に気合を入れてから取り組むヤツはそうそういないのと同じで、日常生活になるまで繰り返せば、やる気など段々不要になっていくのだ。(有名な話だが)

 

そして大事なのが、その一つ一つに対し、自問を投げかけること。そしてその検証を通じて、新たな仮説を作ること、である。ここには感情論などイチミリも要らない。

 

例えば、家に帰ってから勉強をしようにも、部活の疲れが激しく、どうにも身に入らない。次の日も、その次の日も、ダメ。

 

この場合は、自分を責める前に、代替案を考えるべきだ。例えば、朝にやってみるのはどうか?昼食休憩の後にやるのはどうか?そんな風に。

 

家に帰って、夕食を頂く前にやってみるのはどうだろうか?もういっそ、週末にガツンと勉強してみるのはどうだ?などなど。

 

こういうサイクルを回しているとき、感情はそこに入ってこない。アレがダメならコッチはどうだ。それだけでいいのである。

 

そうやって、自分の特性を意識的にだろうが無意識的にだろうが把握するまで試行錯誤を繰り返すと、もはや勉強は完全に自動化される

 

やる気が必要なのは、ざっくり最初の2週間くらいだけだ。それを過ぎると、あとは勝手に習慣として、生活に組み込まれると言われる。

 

だからこそ、勉強そのものへのやる気ではなく、新しい習慣を組み込むまでの試行錯誤を行うやる気が要る、といった方が適切なのだ

 

ラクすることは悪ではない。むしろ、長期スパンんで考えるなら、頑張らないことの方が大切なのだ。

 

ということで今日はこの辺で。

 

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