精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

【小説家・漫画家向け?】あほな自由研究・報告レポート  第十二部 ―車を自損したので、今の気持ちを描写する―

気付けば毎日、何かしらに「ほりにし」をまぶしている中元です。

 

はい。私事極まりない話なのだが、車の側面をぶつけた。ちなみに完全なる自損であり、後ろのドアの片方が、そこそこに凹んでいる。

 

原因も言い訳も色々あるのだが、そんなのを書き並べるために、「記事を書く」ボタンを押したのではない。

 

こんな稀有な出来事だ。今の感情は特異なものであり、消える前に言葉にしておかねば勿体ないではないか。それが今一番強く感じていることである。

 

ということで、例えば何かショックな出来事が起きた際の、登場人物の内面の描写などの参考になれば幸甚だ。(小説家・漫画家向け?)

 

そんな誰目線かチンプンカンプンな記事、以下詳細である。

 

 

今の感情は何か?

 

 

今僕が感じている【感情】は何なのか。脳裏にぱっと閃いたのは、【動揺】という言葉なのだが、これを「動揺する気持ち」と書くと、なんか違和感がある。

 

こういうときは、辞書を引くに限る。すると、定義はこんな具合らしい。

 

  1.  ゆれ動くこと。「強風で船体が―する」

  1.  心や気持ちがゆれ動くこと。平静を失うこと。「事故の知らせに―する」

  1.  社会などが秩序を失い乱れること。「政界が―する」

 

このうち、2の意味が僕の言わんとすることと見て良さそうだ。心や気持ちが揺れ動く。平静を失う。―結果、どういう感情が発露しているのか、ちょっとわからない。

 

ということで、他の人たちは、【動揺】をどう解釈しているのか、参考にしてみた。すると、自分の中で納得感のある仮説に辿り着くことができた。

 

動揺とは、【驚き】と【不安】の混合感情

 

―こう考えると、僕の中では「確かに」という感覚が得られる。不安だけだと不十分だし、ただの驚きにしては、色々と複雑だと感じていたためだ。

 

心が揺さぶられるとは、驚きと不安に支配されている状態。これは一つの解釈として、ここに書き残しておくこととする。

 

【動揺】が起こると、どんな思考回路になるのか?

 

ところで、僕は自分の中に【動揺】が生まれると、決まってある思考プロセスを辿ることに、改めて気が付いた。それは大きく分けると、2つの部分で構成される。

 

まず、無意識に、類似の記憶を探っている。過去、似た経験はないかと記憶を漁り、それを軸にある種の安心感が得たいのだと思う。

 

実をいうと自損事故は人生二度目なので、例えばそのときはどう感じていたか、結果どうなったか、忘れていた記憶を思い出すのが、僕の中でクセづいている。

 

また、同じような経験をした人の話も、無意識に脳内で探している。「あの人もこないだ事故ったと言ってたな、どんなこと言ってたっけ」という風に。

 

こういった思考をしてしまう理由の根底に、【不安】があると思えば、すごくしっくりくる。不安な際は、わからないことに注意が向いていると言われるためだ。

 

だからこそ、少しでもその感覚を軽減するため、類似の経験を搔き集めたいのだと思う。なるほど、すごく腑に落ちる。

 

そしてもう1つは何かというと、できる限り情報を集めるというプロセスだ。これも、【不安】に突き動かされて採る行動なのだと思う。

 

例えば、修理となれば、どのように直すのか、それによって費用はどれくらい掛かるのか、どこまで連絡する義務があるのか、などなど。

 

【動揺】が起きていると、僕の中に大量の問いが矢継ぎ早に生まれる。それを機械的に打ち返すように、ぽんぽんとGoogle検索を使って調べていく。

 

ぐずる赤ちゃんをあやす際に、腕の中でリズムよく揺らすのと同じように、心を落ち着かせるため、その問いにテンポよく、片っ端から答えていく感じだ。

 

そうやって不安を鎮めるために色々なことをやっていく内に、例えば他人から話しかける等、ふと負に対する集中が途切れる瞬間がある。

 

その瞬間が来れば、一気に心は落ち着いていく。【動揺】を解決するのは結局のところ時間という話で、今言った話は、それを待つまでの暇つぶしに近いのかもしれない。

 

僕は【正常性バイアス】に守られている。

 

ところで僕は昔っから、日頃はチキンハートの癖に、土壇場になると腹が据わるという経験を何度もしてきている

 

入試の会場についてしまえば、「早く試験を始めてよ」という気分になるし、イレギュラーで事故が起きても、「さて、どうするか」という思考にサッと切り替わる。

 

そして今回も、この謎に落ち着き払ったメンタルになっている。実をいうと、今は別に落ち込んでもないし、事故った自分を責める気もない。ただただ、凪いでいる。

 

こんな経験があるので、僕は僕のことを、実はハートが強いのではと期待していたのだが、このマインドは、誰でも起こり得るただのバイアスらしいのだ。

 

それは、正常性バイアスと呼ばれる。これは、自然災害などの予期せぬ事態に遭遇した際、「いや、大したことない」と解釈し、逆に凄く落ち着くメンタルを指す

 

これはある意味で、きちんと活用できれば焦って悪手を打つリスクを減らす武器になるが、実際は真逆に作用することが多いという。

 

地震や火事が発生した際、避難が遅れて最悪のケースになる場合、被災者の中でこのバイアスが働いていることが原因になっていることも多いと指摘されている

tenki.jp

 

つまり、無邪気に「俺は心が実は強いのだ!」と考えるのではなく、むしろ異常事態においてそれが異常なのだと思えるように、手を打つ必要があると考えるべきだろう。

 

今回の一件では、僕は正常性バイアスにある程度守られた。だから冷静に、「保険が使えるかな」「誰を頼ればいいかな」という未来に自然と目が向いた。

 

【動揺】の中の平穏は、本当に心が落ち着いたのか、それともただのバイアスなのか。観察する機会は少ないと思うが、チャンスがある度に内省を深めようと思う。

 

終わりに。

 

ということで、今日の話を作品作りに活かせそうな風にまとめると、こうなる。

 

【動揺】を描写するには、「不安」と「驚き」の混合感情を意識しつつ、脳内問答が激しくなるシーンや、逆に超冷静になる場面を入れるといいカモ。

 

僕は別に小説も漫画も作らないけど、何かの参考になっていれば、繰り返しになるがやはりうれしいと思う。

 

ってことで今日はこの辺で。

 

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