とある私立高校の過去問に、自分が大好きなビジネス新書が引用されていて、生徒そっちのけで小躍りした中元です。
はい。突然だが、皆様は元気だろうか。
かくいう僕はどうかというと、身体は割と元気なのだが、実はメンタルにおいては、【疲労】のシグナルが色濃く出ているのを感じている。
かつて心をぶっ壊した経験がある僕なので、自分が壊れるラインは人よりクリアに見えている。そこを跨ぐまでまだ距離はあるが、安心しきれるほど遠くもない。
こんな風に自分のメンタルの状態を冷静にジャッジするには、健康なときに、自分の身体が発する疲労のシグナルをきちんと知識として仕入れておく必要がある。
例えば、言葉にすると重いが「燃え尽き症候群」「うつ病」「2倍モード」といった症状に関する知識が、それに当たる。
そうして初めて、「この症状が出てるってことは、ヤバいってことか」と、疲れを疲れとして感知できるのだ。先行投資として、この勉強はかなり大切だと思う。
ただ、それが単元として体系的にまとめられているかと言われれば、微妙だとも思う。僕自身、核に当たる知識は何か、まだ掴み損ねている。
てなわけで今日は、自分の知識を整理整頓しつつ、また皆様の心が疲れていないかどうかをジャッジする材料になればということで、これをテーマに記事を書いてみる。
転ばぬ先の杖ではないが、事前準備程度の気持ちで読んでいただければ嬉しい。ではいこう。
- 前提:「疲れ」という抽象的な感覚をアテにしない。
- 疲労シグナル1:起床してしばらくするとイライラしてくる。
- 疲労シグナル2:未来のネガティブが今気になり始める。
- 疲労シグナル3:ネガティブな記事、ニュースをザッピングしてしまう。
- 疲労シグナル4:酒量が異常になる。
- 終わりに:疲労に即効薬は無し。ゆっくり蓄積されるのだから、抜けるのもまたゆっくりである。
前提:「疲れ」という抽象的な感覚をアテにしない。
「ごちゃごちゃ考えんでも、疲れてくれば、ぶっちゃけ勝手にわかるっしょ?」という人がいる。確かに肉体的疲労については、僕もそうだと思う。
だが心の疲労は、真綿で首を締めるようにジワジワと、そして確実に蓄積する。イメージは、火山の地下に段々とマグマが溜まっていく画に近い。
特に、頑張ることで全てを何とかしてきた人ほど、疲労感をもっと頑張るべきサインとして解釈し、更に自分を追い込み始めるのが厄介なところだ。
「疲れているのは俺だけじゃない、だからもっと頑張ろう。」例えばこのセリフがあまりにも危険であることは、既に周知のことだと信じたい。
さっきも書いたが、疲れているときに疲れていると認識することは、かなり難しい。疲れ切った自分なら、普段意識できていないことを意識できるとでもいうのだろうか。
それは、疲労困憊した状態の方が、ボールかストライクかの判断が付きやすくなると豪語するのと同じくらいあべこべだ。
やはり、心が壊れ切ってしまう前に、疲れが溜まっているシグナルを知識として頭に入れておくべきである。ここからの話も、それを前提に書いていく。
ちなみに、この辺りをより腹落ち感を持って理解したい方は、以下の名著を読まれることをオススメする。
疲労シグナル1:起床してしばらくするとイライラしてくる。
人の脳は、目覚めてから1~2時間で活発になると言われる。これは夜型人間である僕自身もそうだと思うのだが、疲れてくると、このエネルギーの矛先に特徴が出る。
それは、現状か、特定の個人か、それとも無力な自分かはまちまちだが、つまり怒りだ。表現を変えると、起きて1~2時間後に、めちゃくちゃイライラし始めるのだ。
例えば、「なぜあの人はああも仕事をしないのか!」とか、「いったいどうして、俺はこの現状に燻らざるを得ないのだ!」という風に、急にイキってしまうのだ。
これは読書中、散歩中、筋トレ中、食事中を問わない。共通点はいずれも、脳が活発に仕事をし始めるタイミングという点である。(科学的な根拠があるのかもしれない)
尚、物に当たるとか、勢い余って他者に暴言を吐くと言った行動に出たことは今まで一度もないが、それは恐らく、この時点で何かしらの手を打っているからである。
栄養をきちんと取り、イライラしている自分を無理に否定もせず、ただ過ぎ去るのを待つ。夜は娯楽に興じて、睡眠時間を少し長く取り、回復を意識する。
実際、疲労感の減少に伴い、このイライラも減っていく。「なぜ昨日はあんなにカリカリしていたのだろう?」と、自分でも不思議に思うことなんてしょっちゅうだ。
イライラもまた、必要な感情だから発露している。そこから何かしらのメッセージを汲み取れる自分でありたいと、強く思う。
疲労シグナル2:未来のネガティブが今気になり始める。
疲れてくると、不安感が強まる。その不安感の原因は得てして、未来の不確定事項にあり、具体的に言えば、まだ終わっていないタスクである。
本来は1~2週間後に終わらせればいい仕事が、今不安になって仕方なくなると、僕は大抵、かなり疲れている。仕事の時間軸が完全に崩壊する感じだ。
言うなれば、将棋の対局の序盤で、終盤の型がどうなるか気になり、一手がそぞろになるのと同じくらい支離滅裂な思考である。だがそれが、異常なのだとわからなくなる。
水曜の仕事が月曜日に、夜にやるべき仕事が朝に、そして来年の目標が今年度にするべきことだという思いに支配されているとき、心は猛烈に疲弊していく。
―こういう場合、僕は実際に忙しいことも多いのだが、大抵は言語化していない作業が3つ以上頭にあることが原因だと自分では理解している。
そのため、職場に到着次第すぐ、頭の中で抱えている作業をリストアップすると、一気に心は落ち着いてくる。
ある種の特効薬をすでに持っているので僕はあまり恐れていないのだが、疲れていることには違いない。人に依頼するなど、負荷を減らす努力は、できるうちにする。
時間軸がバグって色々な仕事に忙しいと錯覚しているとき、心はきっと、かなりぐったりしているとみていい。この場合は素直に、ご自愛なさって欲しいと思う。
疲労シグナル3:ネガティブな記事、ニュースをザッピングしてしまう。
もはや何かの中毒だとしか思えないのだが、疲れてくると、何故か積極的にネガティブな情報を、無意識に求めている自分に気付くことがある。
例えば、飼い主の死を受け入れられず慟哭する犬の映像や、アメリカのシリアルキラーの伝記など、凄惨、悲哀、そういった強い感情を伴うコンテンツが見たくなるのだ。
一体どういうメカニズムが自分に働いているのか、こればかりは全くわからない。本当に気づけば自覚することなく、このスパイラルに嵌るのだ。
これを打破するためには、難易度が高いのだが、自分がネガティブなニュースに浸るモードにあることを自覚するしかない。
その上で意識的にクラッチを切って、心が中庸な状態になるのを待つしかない。いわゆるデジタルデトックスは、この段階だと結構効果的である。
僕はこのモードをもはや、「精神的自傷行為」と勝手に呼んでいるのだが、それくらいよくよく考えれば、正常とは程遠い行動だと感じる。
心動かすエンタメに触れて、感動することとは違う。そことの区別はしっかりつけられるようになれればいいなと、未だに夢見ている。
疲労シグナル4:酒量が異常になる。
これに関しては、「いや、いつものことやんけ」という感じがするが、僕の中で飲み方にも変化が出てくるのが、疲労時の特徴である。
その変化とは、普段の酒量で物足りなくなるということだ。いつもなら満足する量で飽き足らず、まだ飲みたくなって、ツマミを追加で作り、酒を注ぐ。
酒量がバカみたいに増えるというより、満足するまでに必要な絶対量が増える、あるいはそうだと錯覚する感じと言える。
些細な変化と言われればそれまでだが、実際にはっきりと体感することでもあるので、一つの指標として常日頃から気を付けている。
終わりに:疲労に即効薬は無し。ゆっくり蓄積されるのだから、抜けるのもまたゆっくりである。
過去に僕が心をへし折ったとき、再び働けるようになるまで必要だった期間は、おおよそ四か月である。これは実際、かなり短い方だと言える。
完全に燃え尽きた結果、年単位の時間が回復に必要だったケースも、以前読んだことがある。心が折れるとは、それくらいの重症なのだ。
疲労に即効薬は無い。たちまち疲れがゼロになることを謳う商品は、その成分により、疲労を誤魔化している場合なのがほとんどだ。
運動、休養、栄養、そして自己肯定。こういった地味だけど確実に効く薬を、自分にしっかりと与え続けることが、結局一番大事なのだと思う。
表面化するまで積み上げられた疲労は、いわば氷山の一角だ。焦らない、焦らない。いい機会と思って一休みして、少しずつ溶かしていけばいいと思う。
だから僕もそれくらい鷹揚に、長尺の話として、この疲労とは向き合っていく。皆さんも自分の心身には敏感になられるよう、願って止まない。
では今日はこの辺で。