精神年齢9歳講師のブログ

"よいこ"から程遠い目線から、授業のネタ、講師としての日々、そしてたまには教育や子供について、真面目なことを基本毎日書いてます。

【同業者向け】生徒制御に苦戦する先生の、フォローに入って気付いたエラーまとめ。

天ぷらにマヨネーズかけて食ったら、次の日吐いてしまった”油ダメ男”こと中元です。

 

はい。先日、こんな記事を書いた手前、生徒制御に苦戦する先生のレッスン(お稽古?)中の様子を見るべく、時間を割いてフォローに入ってみた。

jukukoshinohibi.hatenadiary.com

 

ちなみに僕自身は、見た目が仁王様ばりに猛烈に怖いとかじゃない限り、天性の生徒制御の上手さなんてのは存在しないと考えている。

 

つまり、後天的に知識の勉強や、実践を通じての経験で身に着けていくものと考えている。そういう風に後から開発できる力じゃないと、救いが無いからだ。

 

だから今回も、「その先生はどこが力不足なのか?」ではなく、「システムとして何がエラーを起こしているか?」という部分に注目して観察してみた。

 

すると色々と気づくことがあったし、中には即効性があるものもあった。今日は急ぎ、それを記事にまとめておこうと思う。

 

 

エラー1:演習中の先生の位置

 

意外でもなんでもない話かもしれないが、実は演習中に先生が教室の正面(≒生徒全員から見える位置)にいるのは、状況としてはよろしくないと言われている。

 

そうではなく、生徒が何かの作業に取り組んでいる際は、後ろから見守る形で存在感を消しておくくらいがちょうどイイ。

 

そんな話をどっかで読み、実際に試した結果、なるほどその通りだと感じている。たったこれだけで、集中力が切れるまでの時間が長くなるのだから不思議だ。

 

特に低学年に向けたお稽古ごとは、いかに気が散る要素を減らし、目の前の作業に没入させてあげるかがカギとなる。

 

今日の先生も、生徒からガンガン見えるところにスタンバイしていたので、教室の後ろにスタンバイ場所を変えてもらった。

 

それだけで教室の空気が変わったのを感じている。些細だが、結構重要な要素だ。軽視しないように心掛けたい。

 

エラー2:手持無沙汰にさせる

 

生徒制御の基本は隙を作らないことというのはよく書かれている話だが。ここでいう”隙”とは、生徒が何をしていいか不明瞭な待ち時間と考えたらわかりやすい。

 

例えば答え合わせの依頼が同時に飛ぶと、待っている間片方の生徒は暇となる。暇なのだから、遊ぶ。遊ぶのだから、乱れる。ロジックとして極めてシンプルだ。

 

この場合は、「先に〇〇ちゃんに〇付けするから、あなたはこのプリントを解きながら待っててね」という声掛けをするだけでも全然違う

 

手持無沙汰を生まないよう、待ち時間にできる作業なり簡単な遊びなりを用意しておくのも大事だ。100マス計算とか、簡単なパズルとか、その好例だと思う。

 

エラー3:見通しを持たせない

 

その先生の指示出しで少し気になったのが、「このページやるよ」といった風に、それだけでは見通しが掴めない内容だったことである。

 

何度も書いている話だが、僕自身も見通しが無い講演会や説明が大の苦手で、秒で集中が切れてしまい、気付けばその会場の風景を模写するなどの手遊びに没頭する。

 

だから今回は、生徒が来てその稽古を始める際、各々に目標を設定することを徹底してみた

 

「今日はこのページを20分でやり切ろう」と伝えてタイマーを用意したり、「じゃあ今日は稽古時間で、こっからここまで解き切ろう」としるしをつけたり。

 

そうやって目標ができれば、人は結構頑張れる。何なら子供こそ、そういう傾向が強いように思える。

 

”見通し”があるかどうかは、折に触れて自問するべきテーマだと、このケースを考えてもつくづく思わされる。

 

エラー4:目に入る刺激が多い

 

子供は基本的に自制心が育っていない。それは親の躾の怠慢とかではなく、そもそも論そういう段階だから仕方が無いのである。

 

好奇心が目に付くあらゆるものに発動するようなものなので、それを逐一「集中しなさーい!」と怒るのはあまりにも効率が悪い。

 

視界から、興味が移りそうなものを極力排除する。これは第一歩の手段に思えてならない。例えばおもちゃ、派手なポスター、目立つ壁のシミ、等々。

 

時には、生徒が座る向きをも整えて、視界から取り組むべき課題以外を消し去る。それを心掛けると、雰囲気が落ち着きそうな気配はあった。

 

教室は殺風景な方が良いと言われるが、その理由はこういうところにある。ごちゃごちゃした場所で集中するのは、そもそも論としてムリゲーなのだ。

 

終わりに:マジで見学に行きたい。

 

ただ、やはり喉の奥に刺さった魚の骨の如く、ある感覚がぬぐえない。それは、「所詮ここにあるものは我流の知識と経験なんだよな」という後ろめたさだ。

 

今は正直、例えば発達障害学習障害を対象とする専門塾や、小学1~3年生を指導する教員に向けた研修やセミナーなど、そういうところで知見を得たいという思いが強い。

 

見学に行きたい。講演を聞きたい。何なら直接心掛けや心構えを指導して頂きたい。こういう欲がふつふつと立ち込めている。

 

独立したら―という但し書き付きなのだが、いつぞや書いたが僕はこういう面での研修を絶対に重視すると決めている。放任と信任は違う。そこは履き違えない。

 

だがそのためには、僕がこういう片田舎で孤軍奮闘するのも、いい加減効率が悪いし、果たして正解なのかわからないまま取り組むのも限界が来ている。

 

新たな行動を起こすフェーズだなと、強く感じる。

 

ま、最後のはちょっとしたボヤきであるが、今日はこの辺で。

 

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