夢の中で温泉に行き、扇風機の起こす風に吹かれながら、古びた食堂で夕暮れ時にうどんを食っていた中元です。具体的過ぎて怖いけど、そんな経験一度もないです。
はい。この記事は、昨日アップした記事のほんのりアンサー的な内容である。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
「女性は優秀な人が8割。男性は2割」というなかなかに凹むタイトルのブログ記事を読んで感じたことを書いた、というのが乱暴な要約だ。
詳しい話は昨日の記事を読んでもらえればいいとして、冷静に考えたらその通りだなと今は強く感じている。(ある種の危機感も同時に)
さて。今日はそんな記事をいったん書き終わった後に気が付いたあれこれをベースに、また新しく文章をしたためたいと思う。
「女性は優秀な人が8割。男性は2割」というフレーズは、「珍しいこと」と、「価値がある」ことは別問題という観点から見つめると腹落ちしやすいよな、と。
そんな話を、以下どうぞです。
珍しいと目立つけど、ただそれだけでしかないっちゅう可能性も高いよね。
ところで、「女性は優秀な人が8割。男性は2割」というフレーズに対する反論は、割と予想がつく。大体以下の通りではないだろうか。
「優秀じゃない女だって、俺の周りにたくさんいる!!」「優秀な男性ばかり私の周りにいるんですがそれは・・・」
てな具合で、例外の存在を並べて、反駁する感じだ。ぶっちゃけ、数学の証明ほど厳格じゃないのだから、埒外の存在がいたところで「でしょうね」なのだが・・。
そして、この「たくさん」とか「ばかり」といった表現には、実はこれまたバイアスが働いている可能性を考えた方が自然だ。それを「希少性バイアス」という。
簡単に言えば、「期間限定!」「残席僅か!」という風に、残り少ないことや、今しか手に入らないことを強調されると、やたら購買意欲が掻き立てられるアレである。
この希少性バイアスが働くと、「珍しい」対象にしか意識が向かなくなり、結果視野が狭くなっていく。
例えば、とあるショッピングモールに行って、カップルを立て続けに3組くらい目撃すると、「あれ?やたらカップルばかり見かけるなぁ」と僕はふと思うことがある。
一度そういう疑問が生まれると、以後カップルばかりが目に留まることになる。あっちにも、こっちにも。ほら、やっぱりカップルだらけなんだ!という風に。
だから僕は結論を出す。「このショッピングモールには、カップルがたくさんいる!カップルばかり訪れていた!」という風に。
まぁ、お分かりの通り、ちょっと浅はかな答えである。
さて。この一連の流れには、一体どんなバイアスが働いていたのか。少し淡白になるが、ちょっと解説してみる。
まずそもそも、なぜカップルがいることに意識が向いたかというと、たぶん単純に珍しいからだ。
20~40代で未婚の男女を対象としたある調査によると、恋人がいる率は、全国平均で33.4%らしい。(そんなにいないと思うんだけど、まぁいいか)
具体的な比較対象が見つからなかったが、少数派なのは間違いない。しかも交際している2人が揃って外出するのを見かけるとなれば、確率はさらに減ると思う。
大袈裟だが、ここには希少性がある。希少性があるから、そればかりが目に留まる。気が付けば、希少性バイアスから始まり、確証バイアスもそこに乗っかってくる。
圧倒的多数のその他大勢の存在を無意識にカットし、カップルばかりを数える。結果、「カップルばっかりおった!」という答えが出てしまう、ということだ。
さて。ずいぶん寄り道したが、先のセリフにも同じようなバイアスが掛かっていると解釈した方が、僕は自然だと捉えている。
「優秀じゃない女だって、俺の周りにたくさんいる!!」「優秀な男性ばかり私の周りにいるんですがそれは・・・」
―これらはつまり、巡り巡って、「珍しいから気になる→気になるからそればかり目に入る」というバイアスの帰結ではなかろうか。
珍しいからと言って、優秀な2割の男性と、優秀とはいえない2割の女性ばかり数えたら、母数がいくらあろうが、そればっかりになるのは当たり前っちゃ当たり前だ。
とある高校で100㎏以上の体重を持つ男を数えたら10人いた、つまりこの高校はデブばかりなんて結論は、もはや怒られるレベルである。やっていることはこれに近い。
あなたが優秀と思えない女性は、何人いるうちの何人なのか。逆に、あなたが優秀と思う男性は、何人いるうちの何人なのか。
バイアスに打ち克つには、感情を排して目の前のことを見つめるしかない。まずはこのことを、あらかじめ念押ししておく。
優秀な女性とアホな男が”少なく見える原因”とは?
ちょっと文字が重なって見辛いが、以下の画像を見てほしい。
さて。ここで質問だが、カジキ(鼻がとんがってるやつ)は何匹いただろうか?僕は2匹だと思ったが、皆様はいかがだろうか。
・・・ところで、画像の左の方に何かしらの魚の群れがいたと思うが、今度はそちらについて質問する。
数は大体何匹?魚種はなに?画面左と右、どちらに向かって泳いでいた?
・・・思い出せる人とか、いないのではなかろうか。
実はこのことで、この項のタイトルの説明がつく。優秀な女性と、アホな男性は、参照したブログ記事によれば、多数派の存在となる。さっきの画像で言う群れの方だ。
そしてさっきのクイズでわかる通り、多数派は多数派だからこそ、記憶に残りにくいという特徴がある。だから悲しい話だが、あまり覚えてもらえないのだ。
一方それらの逆、アホな女性と優秀な男性は、先の画像で言うカジキにあたり、やたら記憶には残るのだが、それは数が少ないからそう、というハナシとなる。
さらに言えば、少ないからこそ、創作物の主人公なり登場人物なりの個性として映える。
それゆえ、例えば漫画やアニメ、ドラマといったエンタメに触れれば触れるほど、少数派かつ魅力的なキャラクターが目に留まり、記憶に刻まれることとなる。
こういった要因が絡み合った結果、多数派の方がどんどん影が薄くなるという、矛盾するような価値観が育まれるのでは、と感じている。
終わりに:本当に価値のあるものの大体は、実は珍しくないものなのかもしれない。
ミクロ経済学の価格弾力性の話だったと思うのだが、値下げしたり値上げしたりすることで、需要量・供給量が変化し易い品物がある。
それは贅沢品だ。今以上に値段が上がれば、誰もダイヤモンドを買わなくなるが、一瞬だけ価格が落ちれば、今しかない!と買う人が増えるという論理だ。
―ところで、値下げしても値上げしても、極端に需要も供給も変動しない品物もある。それこそ、いわゆる生活必需品なのだ。
米の値段が上がっても、食わないと死ぬのだから買う。とはいえ値段が下がったところで、100㎏買うなんてことは誰もしやしない。
大学で習ったときは、「ふーん」程度の感想しか抱かなかったが、今思えばここに、【価値】の本質が隠されているような気がしてならない。
ダイヤモンドは買わなくても死なないが、米や水は口にしないと死ぬ。しかしダイヤモンドを持っていたからと言って、それ自体が命を繋ぐことはほぼ無い。
だが、皆がこぞって手を伸ばし、持っていれば羨望されるのは、不思議なものでダイヤモンドの方だ。【価値】とは一体なんなのか、まざまざと考えさせられる。
珍しいことは、別に無条件で価値があることを意味しない。一方で、珍しくないことは無価値だというのも、ただの暴論である。
生活必需品も、親の庇護も、毎月振り込まれる給料も、何一つ珍しいものではないはずなのに、そこには計り知れない【価値】があると僕は感じている。
女性は優秀な人が8割。男性は2割。多数派は得てして目立たないからこそ、どうにもこれと反対の価値観を人は抱きやすい。悲しい話だが、そうらしい。
とはいえ、この言葉からこんなところまで掘り下げられるとは思わなかった。僕としても満足だ。もうこれ以上膨らませなくてもいいや。
ってことで、今日はこの辺で。