ストレッチポールでゴリゴリと患部を解すと、痛気持ちいいという動画が最近好きな、全身凝りまくっている中元です。
はい。いよいよ一切が血生臭い内容となってきた本書。モンゴル軍の勢力が絶頂に達しようかという際の、強さと残虐さが見え隠れする。
jukukoshinohibi.hatenadiary.com
ただ、まだまだページはあるばかりか、対馬上陸の際の話も、まだカスリもしていないわけで。楽しみはまだまだ残されている。
てなわけで、今週もルーティンとして、コツコツと読んで参りましょう。
- 12月5日(月) 王国の滅亡
- 12月6日(火) カリスマの登場
- 12月7日(水) カリスマの登場
- 12月8日(木) 睨む
- 12月9日(金) 前途洋々…?
- 12月10日(土) 上陸
- 12月11日(日) 審議
12月5日(月) 王国の滅亡
モンゴル軍の度重なる攻撃や虐殺、略奪により、遂に大国までも倒れ始めた。高麗もまたその一つ。骸骨が野を覆うほどの戦死者を出すほどの有様だったという。
Wikipediaを読んで驚いたが、第九次侵攻に至るまで回数を重ねていたのだという。その執念こそが、アジアを席巻した原動力なのだろうか。
当時の人がどんな絶望と苦痛の中で果てていったのか、想像することすらできない。血生臭いアジアという歴史、知っておかねばならないと強く思った。
12月6日(火) カリスマの登場
歴史の教科書だとちらっと出て終わりのフビライ=ハンであるが、歴代皇帝の中でも群を抜いて有能で、かつ実績が多い人だという。
先代の急逝に伴い皇位継承の候補に立った際、「当然のように、彼がなるだろうな・・」と、既に目されていたほどのカリスマ性があったそうだ。
そんな彼が、これまでの領土拡大戦略をどう引き継ぎ、何がどうして日本へ向けての進軍を開始するのか、また物語が動き始めたのをひしひしと感じている。
12月7日(水) カリスマの登場
中国を完全に支配した、クビライ(フビライ)率いる元軍は、さらにその勢力を西へと伸ばし始めた。そして遂に、地中海付近まで、その力は及ぶこととなる。
一人の皇帝がここまで広範囲を治めた例は、地球史上例を見ない規模である。ある意味、地球という星の王と言っても過言ではないかもしれない。
そんな彼は、権威を示すためなのか、超豪勢な宮殿を建築させたり、新たな都市を作り住民を移住させたりという行動を取っている。
その様子がなぜわかるかというと、そういった出来事をつぶさに記録した人がおり、しかもその書物が現代にまで残っているからだ。
記録主の名は、マルコポーロ。―いよいよ、元寇と話が繋がり始めた予感がする。
12月8日(木) 睨む
中国大陸をほぼ支配し尽くし、高麗とも関係を気付いたクビライが、日本へ目をつけるのも時間の問題であった。
そしてこの辺りでチャプターが変わり、「いかにしてクビライは日本へ目をつけたのか?」という話が展開されることになった。
曰く、モンゴルの都市は結構国際色豊かで、朝鮮大陸からの人間を通じ、日本という国の存在は知っていたのだという。
海の向こうに、まだ見ぬ世界がある。それをクビライが容認するわけがない。不穏な空気は、突如として東アジアに立ち込め始めるのであった。
12月9日(金) 前途洋々…?
クビライは大使を通じて、高麗へ不穏極まりない命令を飛ばした。
「海の先には、潤沢な資源を持つ日本という国があるという。温厚な気質の民族で、支配も容易いそうだ。なぜ支配しないということがあろうか。
そなたの国と日本は立地的にも近い。大使を伴い、日本へ漕ぎ出せ。」
みたいな。この命令には高麗もかなり辟易したそうだが、逆らったら滅亡待ったなし。すぐに出港したが、季節風の影響もあって海が荒れ狂い、即時撤退。
帰還後に必死に弁解するも、フビライは激怒し、「次は無い!!」と吐き捨てたという。
彼の日本に対する執心は、なかなか進まない計画もあって、加速したのかもしれない。
12月10日(土) 上陸
荒れ狂う海に乗り出すことを拒みたい高麗の王は、代わりに使者をまずは日本に派遣することを提案し、その通りの行動を取った。
その使者は、手紙を携えた状態でまず大宰府に上陸し、そこで留め置かれることとなる。幾ばくかのやり取りを経て、その手紙が権力者の下へ届くこととなった。
時の権力者は、天皇か、征夷大将軍・・・ではなく、本来はその補佐役だった執権に移り変わっていた。いわゆる北条氏だ。
時の執権は北条時宗。いよいよ僕たちが知る教科書通りの歴史に、繋がり始めたようだ。
12月11日(日) 審議
モンゴルからの手紙は、事前に連絡が行っていたのもあり、即座に権力者の下へ届けられた。高麗の王からの手紙で、文言は簡素にして柔らかであったが、内容は違った。
無条件降伏か、徹底抗戦。つまりはそういうことであった。鎌倉幕府は当時、内部での不和などもあり問題を抱えていたが、いがみ合いなどしている場合ではない事態。
時の天皇も巻き込んで、日本は過去類を見ない国難に、立ち向かわざるを得なくなるのであった。
―ってところで今週はこの辺で。