精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

子どもレベルの好奇心を維持したまま大人になった人たちの共通点をまとめてみる。 ―その他年収とかに関わる話も添えて。

使う時にはボンとお金を使いますが、使わないときは春日並に削っている中元です。

 

はい。別のブログに書いた話でもあるのだが、先日大型のアウトドア用品店に行き、30歳を超えた大人三人でキャッキャとはしゃぐという素敵なオフがあった。

 

ただしそこは、片道1時間くらい掛かる場所にあり、普段ならそんな尺のドライブは間が持たなくて辛いのだが・・・今回は違った

 

前回お会いしたときとは全く違う新規のネタが、これでもかこれでもかと飛び出し、全く飽きなかったのだ。願わくば、もう少し長く喋ってほしかったくらいに。

 

着いてからも、グッズに関する膨大な知識に圧倒され、鼻孔が小爆発するような感動に身が震えた。だから諭吉を4枚も使った、というのもある。

 

一体何が、これらの興奮する時間の秘密だったのか。この問いを抱えたまま家に帰り、そして寝る前に少し考えた結果、ある仮説に行き当たった。それは、

 

膨大なインプットとアウトプットが、五科目の勉強の枠を超えて、完全に自動化されているため!

 

である。さらに、その理由は何かと考えると、

 

対象についての愛と好奇心が、飛びぬけて強いから!

 

という風に、僕の中で合点がいった。なんと素敵な大人ではないか。そして僕は、そんな素敵な大人を増やしたい。だから子供たちの好奇心は、今まで以上に肯定したい。

 

しかも、後述するが、好奇心(≒開放性)が強いことは、例えば将来の年収が高くなる傾向にあるといった、成功者のマインドの1つだとも言われている。

 

猶の事、殺してはならぬ、天賦の才なのだ。ということで今日は、遊びの天才・子どもたちと同じレベルの好奇心を維持したまま大人になれた人たちの共通点を書いてみる。

 

自分でできることがあれば己に移植し、そして関わる子どもたちにそれを感じたら、慈しんであげてほしい。お金に関わるドロっとした理屈も添えますゆえ。

 

では以下、本題である。

 

 

「問いの発生」→「調べる」or「実験する」という思考が、完全に自動化されている。

https://president.jp/articles/-/49554?page=2

 

怖いくらい共通する点として挙げられるのは、とにかく全員、【調べる】という行為が自動化されていることだ

 

例えば、何かしらの商品を購入しようかどうかの判断をする際、頭の中にある情報だけでは足りない、という見切りが、とても速いと言い換えてもいい。

 

切り替えた瞬間から、知らない言葉、具体的な使い方、他の人のレビューなどを、まずはさっさと集めてしまうのだ。それゆえ、フリック入力の速度も異常に速い。

 

他にも、旧帝大の1つに通っていた後輩は、メモを日頃から持ち歩き、わからない語句、引っ掛かった用語などをまとめて、後でまとめて調べるという習慣があった。

 

そういうすごい行動を見るにつけ、「よくサッと調べられますねー」という風に僕が言うと、これまたほぼ全員、同じ返答が返ってくる。

 

「なにが?」である。

 

つまり、意識的な行動を通り越して、完全に無意識下に落とし込まれていることの証左だと思う。だから、指摘されないと、自分がそうしていることに気付かないのだ。

 

僕はまだ、少し意識しないと「めんどくせ」という感情が湧いてしまう。まだまだ努力が必要だとは思うのだが、もう少しでたどり着けるよなという希望も、無くはない。

 

「未知であること」を肯定的に捉えている。

 

知らないことを認められない人はそれなりに多い。無知であることは自分のプライドを傷つけるとでも捉えているのか、「知ってる知ってる」と反射的に返す感じだ。

 

だが、好奇心全開の方々は、質問が高尚であるか否か、年下や部下からの発言か否かを一切問わず、知らなかったら素直に”質問”が返ってくる

 

そしてその答えや理屈について、純粋に感心しているのが印象的だ。例えばその後に、別の知識でマウントを取り返すなんてくだらないことは、全くしない。

 

むしろ「未知であること」は恥でもなんでもなく、「何か知らなくて楽しい世界があること」という風に考えているのでは、と思えるほど、開けっ広げである。

 

こういう姿勢を謙虚と評する人もいるため、色んな意味でトクが多い姿勢である。僕ももっと、質問の技量を磨きたいなと、改めて思わされた。

 

「失敗」という言い方をしない。

 

無責任と言われたら正直それまでだが、基本的に「失敗」という言葉を口にしないのも、共通する特徴である。

 

なにかに取り組んだ、思った成果にならなかった、ではどうするか。そういう思考もまた、自動化されているように思う。つまり、思考をイチイチ止めないのだ。

 

もちろんきちんとした検証が必要な場面では、腰を据えて分析をすることもあるが、基本は得られたデータや経験を基に、都度修正を繰り返すという行動・思考が特徴的だ。

 

「失敗」とは評さず、「改善」とか「さらに良くしてみる」とか「じゃあこうしたらどうなるか」という風に、次の問いへさっさと移行する。

 

僕が憧れて止まない思考回路だ。早くそっちのステージに行けるよう、精神年齢を下げる修行を続けようと思う。

 

補題?:好奇心と年収の不思議なオハナシ。

 

好奇心を殺さない方が良い理由は、もっと俗的なところにも存在する。例えば、個々人の生まれ持った性格について、5つの要素に分けて考察するものがある。

achievement-hrs.co.jp

 

それによれば、本当に一概に括り切れない調査ではあるのだが、開放性と誠実性が高ければ、仕事で成功し易い、つまり給料が上がりやすいという話になる。

kida.ofsji.org

yuchrszk.blogspot.com

yuchrszk.blogspot.com

 

噛み砕いて言うならば、好奇心が強いけど徹底して真面目な一面も持つ人が上手くいきやすいのだという。すごくしっくりくる。

 

好奇心が強いだけなのはただの子どもだし、真面目一辺倒は、ただのクソつまらない堅物である。相反する性格を両方兼ね備えた人物。

 

開放と堅実の両端をスイングする。その振幅から熱量が発生し、エネルギーとして周囲に伝播する。こんな話、どこかで読んだぞ。

 

―てなわけで、一流大学を出て大企業に入れば安泰という神話が崩壊し、高卒でも起業してン千万稼ぐ人がちょこちょこいる現代、好奇心を殺すのはやはり危険だ。

 

保守的な思考に凝り固まれば凝り固まるほど、気付けば足を引っ張る側として有能な人たちから蛇蝎の如く嫌われ出すとか、笑えない未来である。

 

まぁ、それもまた極端なのですがねー。ということで、今日はこの辺で。

 

 

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