精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

近年稀にみる、スリルと臨場感と没入感。良くも悪くも血の気が引く名著:【となりのクレーマー】の読書感想ブログ。

3週間ぶりに酒を飲んだら、酒がダメな体質にチェンジしていた中元(老)です。

 

はい。2年後の独り立ちという目標を掲げていたのだが、色々あってそれが1年半も前倒しになることになり、焦っているという話はどこかで書いた。(正確には独立ではないけど)

 

「自分が組織を率いるとして、明白に足りないものは何か」というテーマを急に眼前に突き付けられたようなものであり、かなり目がクラクラしているのが正直なところ。

 

その一環で「あ、身に着けとかんとマズイ」と思ったのが、超ぼかせば「こまったひとたち」の処し方である。

 

聞けば、迂闊な対応をすると、骨の髄までしゃぶられるという事態になるときたもんだ。この知見に長が無知だと、蒙古襲来みたいな一撃で組織が終わるかもしれない。

 

それは怖いなと思っていた折、このテーマに合致する、ある面白い本を紹介している記事の存在を思い出した。それがコレ。

dennou-kurage.hatenablog.com

 

簡単な書評だけでも、詰め込まれた知識・教訓の多さがうかがい知れる。ぶっちゃけメンタルに悪影響があるような文言がたくさんあるのだろうが、泣き言は言えない。

 

だから勇気を出してAmazonから注文。そしてそれが届いた今、おっかなびっくり開き・・・

 

その辺の小説を遥かに凌駕するスリル・臨場感・没入感に気圧されている自分がいた。

 

読みながらずっと、血の気が引きっぱなしだ。

 

こんな感覚を抱きながら読書するなんて、人生初のことである。もはや戸惑いさえ感じる。もちろん、なんか自分が言われているような気もして、変に落ち込みもする。

 

だからこそ、時々言葉にして吐き出さないと、毒を蓄積していくかの如く体に害が出そうだ。効果の高さゆえに劇薬であり、劇薬ゆえに誤った使い方をすれば身が亡ぶ。

 

それくらいの圧倒的大著、その感想文を今日はしたためてみよう。

 

 

あまりにもリアルな実例。

本書の導入から半分以上は、あまりにもナマナマしく、血の気が引くようなクレームの実例がずらずらと並ぶ

 

謝罪と称して家に来させて、延々と玄関先で立たせたまま説教する、金銭目的で脅し文句を並べながら詰め寄る、担当員を軟禁状態にして延々と不満をぶちまける・・。

 

厄介な人たちによるくらくらするようなモデルケースを、徹底して淡々と書いているバランスがシュールであり、なおかつそこの対比で、ぐいぐいと引き込まれる。

 

自分がそういう人たちに絡まれたらどうなるか考えたが、多分法外な金銭・賠償をむしり取られるか、うつ病になるか、あるいは両方かだと思ってしまった。

 

―しかし、こういう風に完全なる悪意を持ってやってくるとか、あるいはちょっとメンタル的に病んでるところがあるケースは、やはり極めて稀なのだという。

 

大半は、こちらの接客態度・サービス内容・あるいは不備によって、怒りや不満の感情を持ち、それをぶつけている。つまり、こちらに何かしらの非があるというわけだ。

 

そこの可能性も無視して、申し入れの内容を精査することもなく、語気が荒いというポイントだけでクレーマー扱いするのも絶対にダメだと釘が刺されていた。

 

実際僕も、去年一昨年と3件ほど語気の荒いところの処理に駆り出される羽目になったが、1つの理不尽を除けば、こちらに非があったのは間違いない。

 

読みながら血の気が引きっぱなしだったが、これは本当にいい経験だった。なぜかというと、客観的にコトバの内容を考えることの大切さが、身に染みてわかったからだ。

 

言葉選びは慎重に。かといって委縮しない。越えさせてはならない線は、意地でも越えさせない。

 

モンスターに相対しながらも、平身低頭しながらも、身体のどこかに脇差でも隠しているのではないかと思える覚悟を放てるか、どうか。

 

交通事故と同じで、こういう例をゼロにすることは絶対に無理だが、知っておかねばならないケースやパターン、知識は山積していることが身に染みてわかった。

 

頂上が雲に隠れていてずっと見えなかった山から、雲が消えて、代わりに山頂が遥か彼方にあるとわかったような気分である。だが、輪郭はかなりはっきりとした。

 

ただし、この本はすべての答えが書いてある類のものではなく、むしろきっかけとして位置付けた方がイイ。つまり、これで完結させるべき話ではない。

 

だから毎日少しでも、面倒なクレーム例を調べ、自分なりに想定問答するというトレーニングでも始めようかと考えているほどだ。

 

実は最初こそ血の気が引いて、すごく嫌な気持ちになったものだが、最後の方は少し食傷気味というか、お腹いっぱいという感覚だった。

 

やはり僕は、自分がイヤだと思うことも、感覚を開けずに何度も小出しにして経験することで、段々鈍くなっていく性格らしい。

 

それを踏まえても、ここからが勉強の始まりだなと、強く誓うことができる、本当に良いきっかけ、良い本であった。

 

基本にして最上の手段は「正直一番・正々堂々。」

 

本の後半になると、一応クレーム対応の基本的な心構えや技術の紹介もあるのだが、やはりというか小手先で何とかしようとするのは間違いという暗示を感じた。

 

繰り返しになるが、ぶっちゃけ強請って金品をせしめようとか、単にストレスを発散したいだけとか、そういうマジモンの困った人は本当に激レアなのだ。

 

もちろん理不尽と表裏一体なのだが、例えば言葉遣いとか、すると言われた対応が全くないとか、そういう不手際が引き金になっていることが圧倒的多数なのだ、と。

 

それを十把一からげに「クレーマーだ~」とさもめんどくさそうに処理しようもんなら、既存の顧客もこれからの顧客もごっそり失う、と。おお、怖い。

 

だからまずは、ひたすら聞く。不手際を詫びる。ただし、金銭の授受を伴う解決は絶対にしない。対処策まで伝え、感謝で終わる。これが結局王道なのだ、と。

 

もちろん、例えばこの最中申し訳なさそうな顔をずっとしておくとか、メモを取りながら丁寧に効くと言った心掛けはある。

 

だがそれらはすべて、本当に申し訳ないという気持ちがあってこそ、なのだ。基本逆ネジは要らないし、嘘で塗り固めるのは論外。

 

「クレームを宝」にするためには、ごちゃごちゃ言わずどーんと受け止める器量がまずは必須。スポ魂みたいな話だが、結局はそういう類の話なのかもしれない。

 

意外?クレーム対処は、個人技では無い。

 

個人的には目から鱗だったのだが、クレーム対処の基本的な事柄に、絶対に一人では応じないというものがあった。

 

必ず二人以上で面談の場を設け、否を詫びる。こうすることで、相手からの理不尽な要求が出にくくなるし、毅然とした対応もし易くなる、と。

 

去年一昨年と、僕は何故かクレーム処理に基本一人で駆り出されたのだが、今思えば堂々と上司を巻き込めばよかったと感じている。僕は運が良かっただけなのだ。

 

一方、クレーム処理に際し、部下や別の上司を巻き込もうとする人は器が小さいという印象を持っていたが、ある意味理に適っている行動だとわかり、少し印象が変わった。

 

ただし、こういう価値観や文化が、組織を構成する個々人でバラバラなのは、危険だとも思うに至っている。

 

ポカをやらかしたんだからお前が一人で謝れという人もいれば、いや、チームで応対するから情報を集めろ、という人もいる。ごちゃごちゃの文化こそ、やはり危うい。

 

転ばぬ先の杖というヤツだ。なるべく色んな事例を研究し、マニュアル化できるところはそうできるよう、頑張ろうと改めて思った。

 

あのとき僕はどうすればよかったのだろうか。

 

さっきから何度も、去年一昨年とクレーム処理に携わることがあった、という話を書いた。正直、サクッと解決したのもあれば、未だに思い出すともやもやするのも、ある。

 

こういうのを抱えたままだと、精神衛生上極めてよろしくない。しかし愚痴という形で吐き出すのは、それ以上に面白くない。どうしたもんか。

 

―と思っていた折、閃いた。将棋で言う感想戦と同じで、「あの時はこうしとけばよかったんじゃねーの」と客観的に振り返り、忘れればいいのだ。

 

ということで結構ふわっとぼかしながら、僕が食らった例と、今なら思う、こうしとけばよかったという施策を紹介したいと思う。

 

CASE1:「体罰だ!!」

 

未だに実は腹が立つケースがコレ。簡単に言えば、姿勢が悪くぐにゃぐにゃしちゃう子供(小1とか)に対し、「ちゃんと座ってー」的なことで指導を入れたことがトリガーだ。

 

女子生徒とかだとセクハラになるので、例えば棒状のモノなどで突くといった行為が、「道具を使ってウチの子を怖がらせた!どうしてくれるんだ!!」と伝わったらしい。

 

その怒りを受けたのは上司なのだが、その場で僕を交えたクレーム処理の面談をセッティング、「とりあえず謝るんだ」的な指示が出た。

 

―実を言うと、その席は開かれていない。また別の機会(電話か何か)で上司に怒鳴り、「弁護士に相談・・!」とかそんなことを言っていたそうだ。

 

「まだあいつはおるんか!」みたいな電話があと数回あり、あるいは「対応がなってない!」という別のクレームもあり、結局は、

 

①僕がその生徒となるべく顔を合わせないよう”こちらが”配慮すること

 

を条件に、上司が話をまとめた、という感じである。つまり僕は実を言うと、何もしていない。ただ知らんとこでキレられて、憎まれた、というだけだ。

 

・・正直、こういうケースは僕が気にするだけ損する類のモノなのだが、色々と思うところはあった。まず、面談の席は、設けてもらった方が有難かった

 

そして徹底して、「こちらが悪い」という雰囲気を全面的に出すのを心掛けただろう。自分のセリフ、相手の返し、その全てに全意識を集中しながら、だが。

 

尚、ボイスレコーダーもこの場合は用意するつもりだった。烈火の如くキレるタイプは、例えば土下座の強要とか、慰謝料と言った法外な術に出る例を知っていたからだ。

 

そこまでされたら、組織人としてというより、一人の人間として断固拒否なので、その最終防衛ラインという意味合いである。(録音やメモと言った記録残しは基本とされるし)

 

しかし、言った言わないの最たる例である今回は、こちらが最初から立場上不利である。だから、言い訳はせず、ひたすら、気分を害したことを謝るつもりだった。

 

まぁ、王道の流れですな。今思えば、せっかくだから経験しておきたかったなと言う、ヘンな図太さも発生している。

 

―ちなみに。

 

「弁護士を・・!」とかなんとかいう言い回しは、ぶっちゃけ恐喝っぽく聞こえるが、これ自体は何の脅しとしても解釈できないモノらしい。

 

だからこそ、「望まれるのであれば、相談されるのも仕方ないことだと思います」とかなんとか言って、ビビらず毅然と返せばいい、と書かれていた。

wakailaw.com

 

その上でガチの対応があったら、こちらも弁護士に相談しましょう、とのこと。なんというか、冷静だなぁ。

 

そして、何ならこのことをダシに僕をよそへ飛ばせ!といったことも口走っていたようだが、これについても、「となりのクレーマー」曰く、

 

①「人事案件はこちらで決めさせていただきます」

 

②「ご意見として頂戴しますが、そちらはお客様の決められることではございません」

 

という風にきっぱり拒否するのが正しいようだった。それについて「なんだと!」と怒る人がいたら、僕は完全に軽蔑すると思う。

 

ここからはひろゆき氏的な考え方だが、例えば感情的にキレて殴られたり脅迫されたりした際は、被害者としてポイントを稼いで、時間差で勝つという手もあるっちゃある。

 

それは最終手段になるのだが、この一件をやり直せるなら、以下のことを心掛けるかなぁと今なら思う。

 

①当事者として面談の場に出て、ひたすら話を聞きながら謝る。

 

②無茶な要求はきっぱりと断る。(その人の風下に立つことが目的ではない)

 

③"弁護士"や"人事配置を変えろ"というフレーズに過剰反応しない。

 

CASE2:「債務不履行だ!!」

 

こちらは僕に全く関係が無いのだが、飲み屋のネタで又聞きした事例だ。

 

簡単に言えば、集団授業において、生徒制御的に少し荒れ続けたクラスがあったらしい。それについて、

 

「うちの子が集中できないと言っている、つまり適切な学習環境を提供できていない、これは債務不履行ではないか、御社の意見と対応をお聞きしたい」

 

的なことが書かれた、なんと10000字近くの文面が送られてきたのだとか。これが自分に届いたらと思うと、ゾッとしてしまう。

 

こんな風に、法律用語などがびっちり載せられたクレームは、確かに恐ろしいものがある。ただ、類似のケースは他にあるはずだ。だから調べてみた。

 

―すると、どう検索しても、上手くヒットしなかった。意外と、例えば法律用語を大量に混ぜた難解な文を用意し、譲歩などを要求する例は少ないのかもと、驚いた。

 

だが、その謎は解けた。教育における債務不履行とは、極めて解釈が難しいグレーゾーン極まりない分野であり、そもそも先達たる判例も全然ないのが実情だから、だ。

www.justitia-law.com

 

例えば、学校の授業を妨害する生徒がいて、法律的な責任を求めるとしたら、その生徒当人なのか?その生徒の保護者なのか?担当の先生なのか?学校なのか?

 

ここがなかなか難しい。責任に関して、誰に対しても問えるかもしれないし、逆にどこに対しても問えないかもしれないのだ。

 

だから今回の長大な文章についても、内容の正答さとか法律的解釈の是非とかではなく、それほどの怒りなのだと考える方が正解に近いっぽい。

 

やはりまずは面談の場を設けてのガス抜きが必須、というところである。

 

―なお、耳が痛いことを言ってくださった方に対しては、その指摘を基にした具体策を作り、伝え、その上でその内容や労力について感謝で結ぶのもテンプレらしい。

 

実際、どうやら今回の件も蓋を開けてみれば、管理が完全に不十分であり、別の人間が行ってチョイと工夫したら、ウソみたいに教室に秩序が生まれたのだという。

 

以来むしろ、優良な顧客になってくださったそうだと、これまた又聞きで知った。脚色がどっかにあるかもしれないが、大枠は本当にあったことだと思う。

 

こういう事例に、躁鬱とかなんとかいうぶっちゃけ極端で失礼な根拠を求めるのは愚かなようだ。現場のエラーには、日頃から敏感になっておきたいと思わされた。

 

終わりに:「退かぬ!媚びぬ!でも省みる。」

 

この本を読んで、カッコウの鳴き声みたいにサウザーのセリフが脳内に反響した。

 

「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」

 

これについては、前半ふたつはクレームに対する心構えを極めて端的に、かつシンプルに言い表していると思えてならない。

 

言い換えれば、「不当な要求には応じないし、過剰な譲歩も提案しない」という感じで、これが根っこにある人は、本当に強い。

 

―だが、省みないのは大問題だ。でないと、同じことを何度もやらかし、その都度肝を冷やす羽目になる。

 

「退かぬ!媚びぬ!でも省みる。」

 

これをモットーにするくらいがちょうどいいよなと、色々と学んだ結果強く思うに至っている。

 

・・ということで、実は僕の中にしこりとなっていた思い出も、ある種学びという形で吐き出せた今、非常にすっきりもしている。

 

濃く充実した時間でありました。ってことで長尺の記事、今日はこの辺で。

 

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