精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】忙しいときほど”ルーティンワーク”を重視し、立ち返るべし。

久しぶりにメシを食う暇もなく忙しかった中元です。まぁ、僕以外の人が仕事をぽいぽい投げ渡すからなんですけど。

 

はい。冒頭の一文でチロチロと怒りが見えているが、最近猛烈に忙しい。僕自身が授業をするのにもそうだが、他の講師の動きの手配・調整にも忙しい。吐きそうだ。


こうやって忙しくなってくると、やはり心身ともに追い込まれる。追い込まれれば、不調と言うと大げさだが、色々と調子が狂うところも出てきてしまう。

 

そして実際、自分の心の持ちようが少し歪んでいる兆候が、軽く出始めている。色々経験してきたので、それをもう自覚できている。

 

ただ最近は、ぐったりしているときほど今まで試していないメンタル調整の術を試すようにして遊んでいるため、今回も今までとは少し違う対策を採っている

 

その対策が、今のところ上手いこと機能しているような感じがするため、取り急ぎ今日はここに記事としてシェアしておこうと思う。

 

 

忙しいときほど、人は"アレ"をするようになりますよね?

 

皆さんも自分のことを振り返ると心当たりがあると思うのだが、時間が無いときほど、なぜか普段しないことをしたくならないだろうか

 

定期試験前の部屋掃除もそうだし、例えば朝の身支度の時間が無いときに限って、眉毛を整えたくなるというメンタルもそうだと考えている。

 

この現象そのものは、広義で言えば「セルフハンディキャッピング」という有名なものと同じだ。

shingakunet.com

 

要するに目の前の喫緊の課題から、あれやこれやで目を背けたくなるバイアスみたいなものではないかと思う。忙しさを言い訳に、予期される悪い結果を肯定する感じだ。

 

仮にこれがバイアスということならば、何かしらで生き抜くのに必要な本能ということになるが、何がどうしてこれが生存戦略になるのか、ちょっとわからない。

 

ただこの誘惑、もといバイアスはかなり強力で、その声を無視して課題に取り掛かろうとしても、喉に刺さった魚の小骨の如く、頭の片隅にずっと違和感が残ってしまう

 

だから集中力が下がり、結果としてタスクの進捗も遅々としてしまうという厄介な点があるわけだ。

 

忙しいときほど、その忙しさは自分が勝手に追加した、必要のない業務やネガティブによって膨らんだものではないか、疑ってかかった方がどうやら正しいようである。

 

―これを打破するには、先ほどの記事だと、「10分ルール」という面白いものが紹介されていた。(ケリー・マクゴニガル氏が提案した方法だという)

 

内容はとても簡単で、有無を言わさず10分はそのタスクに向き合い、それでも例えば掃除をしたければ、そうすればいい、というものだ。

 

そして今日紹介したいことを書こうと決めた段階では、僕はこの10分ルールを知らなかったのだが、僕が今試している手段は驚くほど、これに近かった

 

ということでこの10分ルールの効果も踏まえた上で、僕が提案したい「ルーティンワークの重視と、意識的なそこへの立ち返り」について書いていこうと思う。

 

ルーティンだけに集中し、最速で終わらせることで、歪みを正す。

 

繁忙期である今、僕が大事にしていることは、ルーティンワーク以外の作業や思考をなるべく増やさない、というものだ。

 

出社したらまず、あれをして、これをして、それをする。色々なことが頭に湧いてきやすいからこそ、10分程度はまずこういったルーティンワークだけに集中する

 

余計なことをしたいと思ったら、取り掛かる前に書き出したり、謎の仕事を振られたら一旦保留したり、別の人に依頼するよう伝えたり。とにかく、頭の外に出す。

 

そうしてでも、ルーティン死守を最重要課題に置く感じだ。でなければ優先順位を履き違えて、枝葉末節や他者のタスクに忙殺されることになる。それは救いがない。

 

その大切さは、たまたま目にしたこのインタビューでも説かれていた。ルーティンワークを大事にすることは、自分の心を守り、疲れをとるための手段なのだ。

www.sady-editor.com

 

省エネモードにできる部分は、自動化された”流れ”に乗って仕事を終わらせる。時間は余らせて、その分は堂々と休んだりリフレッシュに充てたりする。

 

これの何が悪いのだろうか。ここに申し訳なさや罪悪感を覚えてきたら、あなたは疲れている。また、それに文句を言う人がいたら、即座に距離を取るべきだ。

 

繁忙期はある意味、「メリハリ」の意味するところを強烈に勉強できる絶好の機会だともいえる。去年はストレスがヤバかったが、今年は前向きに取り組みたいと思う。

 

終わりに:プレイヤーが忙しいのは正しい。マネージャーが忙しいのも正しい。暇な方がどうかしている。

 

少しブラック労働を奨励するような物言いになるが、僕はプレイヤーがプレイヤーの仕事に忙しいことは、正しいことだと考えている。

 

授業準備からの大量の授業実施。これはこれで、正解だと思う。もちろん、限度はあるのだが。

 

同様に、マネージャーがマネージャーとしての仕事に忙しいことも、正しいことだと感じている。シフト割などに頭を抱えられるのは、ある意味幸せな話である。

 

問題なのは、プレイヤーなのにマネージャーの仕事も抱えて忙殺されているとか、マネージャーなのにプレイヤーとして多忙とか、そういう歪な状態である。

 

その組織のキャパ以上に仕事がある場合、あるいは誰かが徹底して手を抜いた結果こうなっている場合、そこには必ず【歪み】がある。

 

この歪みを正すには、組織レベルでのテコ入れが必要だが、繁忙期真っ最中にそれをするのは難しい。だから対症療法を取り入れつつ、凌ぐしかない

 

忙しいときほど、余計なことをしたくなる。あなたの抱える仕事の内、何割が本当に必要な仕事だろうか。一度リストアップして、考えてみてほしい。

 

では今日はこの辺で。

 

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村