精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】クソ忙しい最中ですが、「見える化」ってつまりなんなのか考えてみる。 ー身も蓋も無さ過ぎるボトルネックも添えて

忙しくなるとルーティンと関係ないことをしたくなる自分に打ち克つため、ルーティン以外の全てを放棄したら仕事が回らない気がして怖い、病気の中元です。

 

はい。昨日くらいから愚痴り始めている折だが、毎度毎度講習が忙しくて仕方がない。僕が持てるだけのコマをフルスロットで入れるだけなら、まだマシなのだが・・

 

自分が持てない科目を、どう人に割り振るか。丸投げせずに、引継ぎを行ったうえで手渡していくことを徹底しているのだが、それゆえに作業量が膨大になる

 

いわば因数が大量にある連立方程式を解いているような具合で、まずはこんがらがった業務上のねじれをほどくことが先かと、少し冷静にはなっている。

 

―こういう状況下でも、少しはまとまった時間が取れる度に、自分が気になっている事柄、課題に思っている点について、他人の知恵を拝借し、ノートに取っている

 

そして僕自身の目下の課題は、見える化されたシステムの設計】である。

 

この【見える化】という言葉はかなりくせ者で、言っていることはわかるのだが、具体性があまりにも乏しい。どう落とし込んだら良いか、まるで伝わらない。

 

だから一生懸命頭で考える前に類似のケースを調べてみることにしたのだが・・。理想のそれを知る前に、ぶっちゃけ今の状況が不徹底すぎることがめちゃわかってきた

 

具体的な施策に着手するのは年明けになるだろうが、まさにエラーだらけの状況で死にかけている今の考えをまとめておけば、その参考にはなるだろう。

 

ということで今日はそんな、ろくに推敲など重ねられるわけのない、ただの殴り書きで記事を書いてみようと思う。

 

 

見える化】とはなんなのか?

 

「作業量が膨大だ!」「割り込み業務が多すぎる!」「残業続きで定時になんて帰れるわけがない・・」という悩みは、そこかしこでお目にかかることができる。

 

それに対して、あたかも万能の特効薬かのような触れ込みで用いられる解答こそが、見える化を推進しましょう!」的なものである。

 

言いたいことは何となくわかる。恐らく「各人の作業や空き時間などを全て、共有化されたデータベースみたいなのに突っ込んで、可視化すること」みたいなことだろう。

 

「大きな嘘の木の下で」にも、そんなことが書かれていた。「社員の敵は社長自身。人事制度、報酬設計等のルールも、全て徹底して周知させる」みたいな話だった。

 

―しかし、現在の解像度だと、この辺りが限界だ。「どうやって?」という部分が、全然出てこない。端緒さえつかめていない今、内省するだけ無駄だ。だから調べる。

 

4~5個くらい導入例や解説サイトを見ていくと、どうやら僕が考えていた意味と少し異なるというのが分かってきた。

 

見える化」とは、各人が抱える仕事をただ数値や文字に起こすことだけではなく、全体に共有できるよう、マニュアルとして整備し直す点まで含んでいるようだ。

 

例えば僕が単に忙しいというのを喧伝するだけでは、ただの稚拙な可視化である。(それとさえも呼べないかもしれない)

 

それをさらに、例えば新入社員でもできるようにするにはどうすればいいかを考えて、ツールなり制度なりを用いて噛み砕くと、「見える化」になるようだ。奥深いなぁ。

 

共有することで、手間を減らす。属人化を避ける。1つの手間で5の作業を削る。考えれば考えるほど、今の組織に足りない部分がまざまざと浮き彫りになってしまう

 

ということで今からは、見える化】を推し進める際の、僕にとってあまりにも強大なボトルネックについて、まずはゾクゾクしながらまとめてみようと思う。

 

ラクしたいだけの人】に、見える化は達成できない。

 

見える化】のボトルネックとは、それを奨励したい人が多少強権的にでも推し進めようとしなければ、序盤は少し強めの抵抗に遭うということである。

 

シンプルなケースとして、仕事量が10の忙しい人が5人、仕事量が2の暇な人が3人という組織を考えてみよう。この場合、組織全体の仕事量は56となる。

 

この組織に【見える化】を導入すれば、全員等しく仕事量が6になると考えてみよう。すると、全体の仕事量も48に減るし、忙しい人の仕事量も6まで軽くなるのだ。

 

―こう考えると、単に論理によって【見える化】はやるべきだというのがわかるが、問題は今楽をしている立場の人からの目線だと、仕事量が増えることにある。

 

正直今までサボったツケに過ぎないのだが、ここについて猛烈な抵抗を示すことは容易に想像がつく。だから徹底してやろうとしないという行為に出る可能性が高い。

 

結果、やりたがらない人にやらせるロスや、あるいは肩代わりする人の仕事量が増えて意味がなくなるという事態に陥り、【見える化】は頓挫する、と。

 

つまり、この組織で【見える化】が浸透するかどうかは、メンバーの勢力図を見ればもうその時点でわかってしまうということだ。

 

例えば日報によっていろいろ見えるようにしたいのに、全然書かない、書けない人が数名いると、注意するのが面倒なので最初からしない方がよくなってしまう。不思議だ。

 

見える化】とは、やたら忙しい人の仕事と、組織全体のそれを減らすが、既に楽をしている人の仕事は増やす。ここにジレンマがあるわけで。

 

もちろん膝を突き合わせて説明責任を果たすという行為も必要だと思うし、時にはそれを徹底させるのがリーダーの手腕かつ仕事だと説く本もある。

 

「よく考えればやってもやらなくてもいい行動・作業」をどこまで浸透させられるかが肝という話は、識学の解説書にも確か書いてあった。

 

そうだなぁ。まずは僕が預かる部署の中だけでも、この辺のシステムを再設計しようかなと思う。とりあえず僕が一元管理する形で、だが。

 

終わりに:全員にラクさせたい、というわけではない。

 

ここまで書いてきてふと思ったが、要は僕自身、あわよくば自分もラクをしたいと心のどこかで感じているのかもしれない。木乃伊取りが木乃伊になるとはこのことか。

 

だが、するべき仕事をせず、全ての作業を人に任せてふんぞり返る自分を想像してみたが、猛烈な不快感が臓腑に込み上げてくるのを感じた

 

分かって安心したのだが、僕は決して、【ラク】がしたいわけではない。それはつまり、仕事をせずに成果を頂くにはどうすればいいかに心を砕くことだ。

 

僕はしなくてもいい仕事や、削ることができる作業に忙殺されたくないだけである。もっと色々、やりたいことがあるのだから。そういう話なのである。

 

一見、相容れそうにない価値観。ラクしたいのか、もっといろんなことがしたいのか。ここをすり合わせることは、可能なのだろうか。

 

答えは出ないけれど、一旦腹の底に仕舞っておこうと思う。

 

では今日はこの辺で。

 

 

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