正月だろうがルーティンは崩さず、起きたら英単語アプリの勉強をして、洋書を読むという不思議なことを続けている。
三週間ぶりに飲酒したら、やはり猛烈に弱くなっており、体調は結構悪いのだが・・。それでも、やはり自動化されたルーティンは、強いですな。
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さて。いよいよ元寇の第二陣、弘安の役の話が始まった。日本史上類を見ない程の激しく血生臭い激戦、その経過を読んでいこう。
1月2日(月) 海戦の連鎖
元寇は艦隊決戦だった。日本水軍は元の軍船を打ち破り太宰府占領計画は消えた | ミライハック
元の艦隊は日本の方々で衝突を繰り返したのだが、実は最初から結構な苦難はハンデを抱えていたのだという。
日本が築いた防塁によって上陸もままならず、かつ司令官が急病で臥せて指示系統がやや混乱をきたし、さらには高温により食料が腐敗する有様だったようだ。
もう待てないとばかりに上陸を強行し、遂に各地で本格的な戦闘が開始された。あるときは海戦が、そしてあるときは陸上戦が、日本中で繰り広げられたのであった。
ちなみによく教科書で見かける↑の図だが、どうやら好戦的な三人組は後世の加筆だと言われているようだ。確かにタッチ、線の太さが結構違う。
歴史そのものは変わらないが、解釈は新資料とか誰かの疑問とかで変わるよなと、そんなことを考える一幕であった。
1月3日(火) 死闘、続く
After Eight Centuries Underwater, the Mongol Fleet May Make Landfall in Japan
海上戦はますます熾烈なものとなっていった。元の軍艦は1つ1つが鎖で連結されており、1つ沈めれば連鎖的に沈むという弱点があった。
それもあってか、特攻覚悟で小舟で軍艦に乗り込み、片腕を吹き飛ばしながら20人以上の首を取った侍もいたそうだ。
燃え上がり、音を立てて沈む軍艦。壊滅的な被害を与えたということだけを考えれば、日本にとって有利な結果に聞こえるが・・・
そこには、共に海の底へ消えた、名もなき侍がたくさんいたことを、知っておかねばならないだろう。
1月4日(水) 神託
夜の間は、陸と海での睨み合いが続いた。元軍が灯す松明は、さながら龍の胴体の如く連なり、異様な存在感を放っていたそうだ。
夜が明けると、文永の役で戦い損ねたことを悔やむ武士が一人、小舟で突貫せんと息巻いていた。狂気の沙汰だ。当然、部下も同僚も止めに掛かる。
―そんな折、白い鳥が舞い降りて、元の艦隊に向かって飛び、大量に積まれた矢の束に止まるという神秘的な現象が起きたという。
それを見た武士は、「神託なり!どうして弓矢の雨をおそれんや!神のご加護があるべし!」とばかりに、猛然と小舟一艘で向かっていったという。
ゾウの群れにアリが一匹突貫するようなものだ。元軍はこの行為を「降伏」とみて、矢を放たず、小舟が近づくに任せたという。
ある意味本当にご加護があったのだ。軍艦に飛び移った彼は、猛然と敵を切って捨てて、己もその陣中に果てたのだという。
死生観。当時の人は死をどう捉えていたのか、現代の感覚とは違い過ぎて想像することすら叶わない。近似値に近付けられるよう、勉強あるのみ、かな。
1月5日(木) 後に続け!
Genko Borui, Defensive Walls Against Mongol Invasion 元寇防塁 | Koimaru's Trips コイマルの旅
軍艦に飛び移り勇猛に戦う武士に続けとばかりに、防塁の向こうから特攻を仕掛ける侍が続出した。
結果として、隊長を打ち取ったり軍艦の一部を沈めたりといった戦果は得られたのだが、多勢に無勢という構図は崩れない。
圧倒的な兵力差を前に、日本側の犠牲も甚だしく、持久戦・長期戦になれば、まだまだ元軍が有利であることは自明であった。
2日目、大きく動くかに見えた戦況は、大局的に見れば膠着したままであった。
1月6日(金) 神風始まる
元寇の神風、本当に吹いた? | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
戦闘が始まって2日目となると、当時は国家事業として、神に祈りを捧げるという役割を担う人々がいた。
日本全土の僧、さらには北条時宗も、必勝を祈願する祈祷や写経に注力したそうだ。祈りが通じたのが、有名な伝説は、ここから始まってくる。
突如海が荒れ、防塁にも雷鳴のごとき音を立てながら、波が打ち寄せ砕け散る。風がにわかに強くなり、海に浮かぶ元軍を揺さぶる。
いわゆる神風だ。船同士が衝突して沈没するか、必死で防塁にしがみつき、日本側の兵に討ち取られるか。
神州を守らんとする神の意思だろうか。科学的にはあれこれ言われる出来事だが、神の力凄まじき、という話である。
1月7日(土) 弘安の役、決す
元寇「文永の役・弘安の役」は実際どんな戦いだった? 神風は? - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
神風が過ぎ去ったのち、海戦が行われた近辺は地獄絵図だったようだ。
水面に浮かぶ元軍の死体は、その上を踏んで歩けそうなほどだったという。あれだけ威圧感を放っていた軍艦も、バラバラの木片と化していたそうだ。
わずかな生き残りとなった元軍は、日本の武士道みたく、死にざまを派手に飾らんとする派閥と、国に帰るという派閥に分かれたらしい。
そして前者は、勇猛な異人と日本の史書に記録されるほどの戦いぶりを見せ、そして異教の地で果てたのだという。
一方後者は、帰国後に死刑に処され、その生涯を終えたそうである。
たった一晩で、弘安の役が決した。まさに神業である。
1月8日(日) 余波
二度も撃退されて黙っているクビライではないが、黙っていないという意味では、圧政を敷かれ重税を課され続けた元の民も同じであった。
三度目の侵攻を計画し、それに伴うさらなる課税に対し、遂に国内で暴動が頻発。対外政策は一旦頓挫し、その対応に追われることとなった。
一方日本でも、一人の侍が天に還ろうとしていた。北条時宗だ。日本がさらなる防衛拠点を築き、その国力を高めている最中、この世を去ったのだ。
神風と共に、色々なものが移り変わり、過ぎ去っていくかのような構図。また一つ、歴史に区切りがついた瞬間であった。
では今週はこの辺で。