情報共有は難しい。よい話はすぐに来るのに、知っておきたい悪い話は、ギリギリまで秘匿され、回ってきた際にはもう火が出ていることが多いからだ。
昨日も少しそれに似た一件があり、かつ僕自身がそもそも報連相という言葉が嫌いであることから、この仕組みの再設計について、今一度頭を働かせている折である。
自分が報連相を嫌う原体験から洗い直し、感情を差っ引いて”仕組み”として活かせる部分は無いかと自問自答する。
そんなことをぼんやり考えながら佐渡島庸平氏のnoteを読んでいると、すごく今の自分にとってヒントになりそうなことが書いてある記事を見つけた。
そしてそこに書いてあった施策をよくよく読み込むうちに、これこそ今の組織に必要で、今すぐにでも導入したくて仕方なくなってきている。
今日はそんなワクワクをベースに記事を書いていく。
機能しない報連相は大体クローズドしている説。
僕が報連相を嫌う理由はどっかで記事にしたが、それを引用するのもめんどくさいので、改めて短めに説明してみる。
それは、ネガティブな反応か、はしごを外されるかという対応を、何回も連続してされたからである。つまりぶっちゃけ、僕個人の感情的な問題なのだ。
しかし、密室空間というか、閉じられた環境を作ると、大抵は立場が上の人の意見が通り、報告を入れた下の人間がバカを見ることが増えてしまう。これは自然の摂理だ。
こういったことが先のnoteで指摘されていたのを読んだ瞬間、「そうそう、そうなんですよ!!」と膝を打ちそうになった。
立場が下の人間からすれば、報連相をすることは、自ら進んで貧乏くじを引きに行くことと等しいのだ。だから上の人間は、それを慎重に、丁寧に扱うべきだ、と。
―逆に言えば、こういった反応を起こさせないことが前提のシステムを設計することができれば、お互いに心理的抵抗が無く報連相を浸透させられるのではと思うに至った。
実はそのための方法には心当たりがある。保守的で自分勝手な行動を取りがちな人を封殺する術として鉄板の、【共有】である。
クローズドな打診があっても、mlで全体に確認を入れる。サシでヘンな申し出をされても、全員が居る場で「あの件ですが・・」と本人に言ってしまう。
クローズドな提案を徹底してオープンな場に引きずり出し、他の人間にシェアしてしまうことが、はしご外しを食い止めるための、最善にしてシンプルな手段らしいのだ。
ちなみに上記の話はひろゆき氏の「論破力」でも触れられていることから、いわばめんどくさいしがらみが大量に増える現代社会において、必須のスキルなのかもしれない。
オープンな報連相のために設計すべきこと。
オープンな報連相のために設計すべきことは何か。ここは問題という形で言葉にするのは単純で簡単だが、それを具体的に考えるのは、大変複雑な課題だと感じる。
あいまいさが必要な部分と、厳格さが必要な部分がベン図の如く重なり合っており、その部分の扱い方を履き違えれば、メンバーの安心・安全が揺らぐからである。
一切の例外を認めず、全ての連絡をオープンにすることは正解なのか。例えば、複雑な家庭環境を持つ生徒の情報を全体にシェアする必要性はあるのか、無いのか。
とはいえ、厳格な基準が無いまま「これはクローズにすべき”だろう”」と各人が曖昧な裁量を持っていると、いずれ仕組みそのものが瓦解すると思えてならない。
これらの相反する部分を折衷するにはどうするか。しばらく考えてみたが、微妙なケースが出る度、アップデートを重ねるしかないと思うに至っている。
「この場合は、どうなのか」という疑問が寄せられる度、「それはオープン」「それはクローズド」という風に線引きをしながら、仕組みそのものを更新する。
いずれはその線引きを定める話し合いそのものもオープンにしたいと考えているが、ちょっとまだ思索が追い付いていないので、特に書かないこととする。
―ということで、早ければ2月くらいからテスト的なLINEグループを作ったり、あるいはSlackなど別のツールを試すなどして、この仮説を検証したいと思う。
面白い発見があったらまた記事にでもしようかな。まぁ、そんときはそんときである。
では今日はこの辺で。