こないだとある私立高校の問題を解説していた際、ふとこんなことを思った。
「要領が悪い生徒は、このレベルの問題だと点を取れないだろうなぁ」
―そう思ったと同時に、またふと思った。
「そもそも要領が悪いって、なんだ?」
直感的にそのときはそう思ったのだが、改めてじっくり考えてみると、僕は「要領が悪い」という言葉をきちんと説明できないことに気が付いた。
説明ができないものについては、きっと指摘も修正も出来ない。だから本当のところはどういう意味なのか、ちゃんと知りたくなった。
今日は「要領が悪い」の本当の意味について、紐解いていこうと思う。
辞書曰く「要領が悪い」とは何ぞや。
まずは辞書的な定義を掴むところから始めよう。実用日本語表現辞典というのを引いてみると、もはや暴言のレベルでこき下ろされていた。
物事の扱い方が下手であるさま。やりかたが悪いさま。うまく処理できないさま。心得がなく、もたついたり失敗したりする様子などを表す表現。「要領」は上手く物事を行う手段や方法などを意味する表現。
・・・フルボッコであるが、皆が一般的に感じている意味を率直に書いている気がして、しっくりする気持ちは正直、ある。
ちなみに英語で表現すると、「not efficient(非効率的な)」とか、「not well-organized(体系化されていない)」という具合になるらしい。
語源だけではこの辺が限界だろうかと思っていたが、ここまで読んでちょっと閃くことがあった。
それは、「要領が悪い人」と「マルチタスカー」は、同じことを言っているのではないかというものだ。
一気に色んなことを同時にやりたがる人は確かに要領が悪いが、それはつまりマルチタスクで作業を終わらせようとすることに等しい。こう解釈すると、すごく腑に落ちる。
そうすると、ここで一つ仮説が浮かぶ。
「要領が悪い」とは、目先の課題や作業を、整理整頓が済んでいない状態で、同時並行させようとする一連の流れではないか。
となれば、要領の悪さを矯正する術はつまり、マルチタスクを改善する方法と同じという風になる。こう考えると、すごく救いがある話だ。
何故かというと、僕自身、マルチタスクを打破するためにここ数年、散々腐心してきているからである。
てことで続いては、何かの参考になればということで、僕自身が打っている「マルチタスク打破の術」を書いてみようと思う。
マルチタスクを打ち破り、要領を良くしよう。
実は僕自身も、複数の種類からの刺激にすごく弱く、集中が散漫になりやすいという弱点がある。ちなみに、これは恐らく、多動性がちょっとあるからだと考えている。
例えばシャワーを浴びているときに今日しなければならない仕事が頭に浮かんでくると、シャワーの手順を忘れるほど気がそぞろになるし、仕事の案も同様である。
では、これを打ち破るために心掛けていることは何か。かなり泥臭いのだが、徹底していることは2点だけ。
それは、「自分がマルチタスクしていることに気付く」ことと、「目先の行動しか意識を向けない」ことである。
まずは前者についてだが、ここには結構な訓練や努力が必要となる。無意識に沈んでいることをキャッチするため、コツを掴むまでがちょっと長いのだ。
オススメは、「瞑想」である。目を閉じて、呼吸と周りの環境音にのみ意識を向けてみる。流動的に思考が浮かんでは消えるのに任せて、リアクションをしない。
自分が過去の失敗や未来への不安を思い浮かべていると自覚したら、「はい、今に集中」という声掛けを、自分で自分に入れる。愚直にこの繰り返しである。
回数を重ねれば、意識せずともバットを振れたりボールを投げられたりできるようになるのと同じで、ここも反復がカギとなる。
僕の場合は、「あ、こういうことかな?」と手応えを得られたのは、1日15~20分の瞑想を2週間くらい続けた後だったと記憶している。
―余談だが、瞑想が苦手な人は、まずはストレッチから始めてみるといい。コリ固まっている筋肉をほぐすという目的があると、そこに意識を向けるのは結構ラクだからだ。
また、痛気持ちいいという感覚が、意識を強く今へ引き戻してくれるトリガーにもなる。そこに慣れてきたら、ガチの瞑想へ移行するのもいい手だと考えている。
そしてもう一つ。ここはまだまだ修行中の身なのだが、「目先の行動にしか意識を向けない」という心構えを、僕はもっと自分に落とし込みたいとあくせくしている。
端的に例えて言えば、シャワーを浴びているときは、それにしか集中しない。それが完了して初めて、次のステップを気にする。それを丁寧に繰り返すことだ。
明日やればいいことは、明日やればいい。未来の夢は、今日やるべき量にまで細分化したうえで、それを終わらせたらもう考えない。
どんどん先取りをすることは美徳の様に聞こえるが、実を言うと遅効性の毒のように、集中力を蝕んでいく側面もあると僕は感じている。
目先のことが完了しない限り、他のことには手を出さない。言うだけならこの上なく簡単だが、これを徹底することは、やってみるとわかるがかなり難しい。
僕もまだまだ不徹底だ。ただ、たまにそれが上手いことハマる場面も出てくるようにはなってきた。
そういう場合は不思議なことに、あくせくしている場合よりも早く、そしてストレスフリーに、仕事や作業が終わっているものである。
一気に手広く処理することが要領の良さではなく、細分化された作業1つ1つを最速で完了させ続けることが要領の良さなのだ。
マルチタスクに見える人も、実は「完了」を心掛けるべきという教えを説いていることがほとんどだ。中途半端にポンポン切り替えているわけではないのである。
ここで書いた話を、今後は上手いこと生徒に伝えられればいいなと思う。ただそれは、今考えるべき話ではないかな。
ってことで今日はこの辺で。