最近軽めの実害を食らった関係で、自分が何について無知なのかを理解する方法をずっと考えている。まぁ、とんでもない難問なのだが・・・。
そのためには例えば「目線を変えろ」という風な助言を受けることが多いのだが、では具体的にどうすることがそうなるのかは、なかなか手触り感を得るのが難しい。
ただ最近、偶然っちゃ偶然なのだが、そのきっかけになりそうな心構えに気付くことができた。それは端的に言えば、「作る側」に回ることだ。
ということで今日は、それを基に記事を書いてみる。
相手の立場になって考えるためには、相手の立場になっちゃえば良いよね。
「相手の立場になって考える」というスキルは、ビジネスとかそういうことを問わず、対人関係の根幹として大切な能力だと感じている。
そのスキルを得るために、例えば物語(小説)をたくさん読むとか、幽体離脱をして自分を俯瞰で見るイメージを考えるとか、そういうのがよく取り上げられる。
つまり第三者視点をイメージできるようになるためには、なるべくそれに近い状況を体験するのだ大切、ということだと思う。
となれば、自然と気づく。それに近い状況をわざわざ持ってこなくても、その状況そのものが体験できるなら、そうした方が圧倒的に経験値の質として上ではないか。
例えば、生徒の気持ちを理解するための努力として、重松清の小説を読むことも否定はしないが、誰かの授業を実際に受けた方が、有意義なのではと僕は思ってしまう。
そのときの”生徒目線で”気になった点を持ち帰り、講師としての自分の授業に反映させていく。そうすれば自ずと、”相手の立場”になれていると言えないだろうか。
これはすごくシンプルにして、ある意味盲点と言える部分である。似たような具体例は、他にも紹介することができる。
僕は一時期お菓子作りが好きだったのだが、その時期があるからこそ、洋菓子は普段、あまり食べなくなった。
理由は、そこに含まれる砂糖の量を、身を持って知ってしまったからだ。砂糖100gという量の異常さは、実際に作るとよくわかってしまう。
作る側になってしまえば、見えていなかったものがハッキリと見える好例だと思う。だからまず、悩む前に体験した方が、色々と効率的だし、かつ効果的だと言える。
【ままごと】は観察力を鍛える絶好の遊び説。
僕は全くやったことが無いが、【ままごと】という遊びを通じて、親の様子を子供がここまで深く観察しているのかと驚く、という話をたまに聞く。
目的があれば観察の質が上がり、それによってアウトプットの質が変わるという、非常にわかり易い例だと今なら思う。
となれば、その目線を意識的に持てば、つまり大人も【ままごと】に似たことを行えば、質の良い経験値を狙って得られるということになる。
まぁこの呼び方は極端なので、例えば「演じる」とか「真似する」とか「勝手にその役割になる」といった解釈でも構わない。
試しに、よくビジネスの世界で言われる、「社長目線」に立つ方法を考えてみよう。そのためにはまず、自分が社長になったという設定で、思索を始めてみるのがいい。
すると、インプットの質が変わる。例えば「社長の仕事」という風に検索し、出てきたその仕事内容をザッピングするだけでも、気になる情報の質が変わる。
固定費用、可変費用、売り上げと利益の違い、人件費エトセトラ。こういった観点を得ると、必然的に内省の質も変化する。
利益を出すことはこんなにも難しいのか。個別授業の利益率はここまで低いのか。非効率的な人員配置はここまでのロスを生むのか。その全てが大切な学びとなる。
こうして、やはり疑似的な部分は残るものの、社長目線に立って”実際に”考えてみることで、自分が何を知らないかが面白いほど浮き彫りになる。
テーマさえ見つかれば、あとはそれを学んでいくだけだ。そしてまた壁にぶつかったら、改めて【ままごと】に取り組めばいい。
最近は一番これが確実で、かつ手触り感のある、第三者視点の獲得の仕方だなと感じている。
―ということで、今日はこの辺で。