精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

【同業者向け】働いててつまんない塾の特徴を、もう書いちゃう。

告知でもなんでもないのだが、大体4月頭を目途に、このブログの毎日更新は止めるつもりだ。たまに黒い何かを書く程度の、裏垢的なブログにすると思う。

 

以降は、実名でオープンなブログを、会社に許可を取って新たに開設し、もっと開けっ広げな塾の様子、塾長としての僕の想いを発信したいと考えている。

 

―つまり、匿名で好き放題書けるっちゃ書けるのは、あと少しの話なのだ。ならば今後の自分のために、結構ダークな記事の1つくらい、投下しておきたいな、と

 

隠すことでもないが、実はここ2年、働いていてつまらないと感じる部分がずっとあった。努力をしても現状は変わらず、不満が一層強化されるというサイクルだった。

 

それを我慢する限界が来たのが去年頭の話で、やはりその種は消えないと悟ったことが、【独立!】とブースカ唱えるようになった契機でもある。

 

ただ偶然が重なり、僕にとっての蓋はそろそろ飛ぶ。とはいえそれが無ければ、絶対に自ら降格を願い出て、時間の余裕を作り、独立の準備を開始していたと思う。

 

―さてさて。そういう愚痴を書きたいからこのページを開いたのではない。同じことを僕がこれからの世代にしないため、記録に残すべく開いたのだ。

 

リーダーになった人間がまず心掛けるべきことは、自分がされて嫌だったことをせず、かつ、してほしかったことを仕組みにしていくことだとどこかで読み、強く共感した。

 

それを脳内に残すと、要らぬ感情が大量に添加されて、本質を見失い易くなる。だからなるべく客観的なスタンスを意識して、ここに書こうと思う。

 

僕にとって「つまらねー」と感じる要因は何だったか。以下思いつく限り、箇条書きしてみる。それについての打開策を添えながら。

 

では以下、本題である。

 

 

①「待っていれば生徒は来る」というスタンス。


僕が引き継ぐことになっている校舎は、控えめに言って実は泥舟状態だ。僕もその片棒を担ぐ側だったので言い訳はしない。現実として受け止める。

 

―だが、そもそもどうして泥舟状態になったのか。これについては色んな原因が複合的に絡み合った結果ではあるが、要はサボり過ぎだと、今は納得している。

 

そこに校舎があれば、それだけで問い合わせが来る。だから要らんことはせんでいい。なるほど、確かにそういう時代もあったのだろう。

 

生徒は魚で、校舎は定置網。そういう風に構え続けた結果、こうなった。今思えば喧嘩しまくってでも、もっと堂々と動くべきだった。

 

「・・・じゃあ、お前が全部悪いんじゃん」と言われそうだが、僕はそもそも、ずっとリーダーではなかった。一社員だ。裁量は限定的で、越権行為だと”叱られる側”である。

 

募集に関して、月並みな努力を再放送の様に繰り返すだけ。そういう場所に、働く面白さは微塵もない。ヘンなところだけ大手の真似をしたら、死を招くだけだ。

 

もっと広報をイベントにしたい。皆を巻き込んで一丸となって取り組みたい。それを面倒だという人は、そもそもチームに入れない。それくらいで良いように思う。

 

僕の交代のタイミングは、新年度の広報活動開始にギリ間に合わない。だが同じ後悔を絶対にしないため、バレないよう裏でこっそり作戦を立てて実行するつもりである。

 

②ハシゴの外し合いが横行している。

 

僕は「責任は俺が取る」という言葉と、「報連相」という仕組みが、相変わらず反吐が出るほど大嫌いだ。

 

その理由は、その言葉を真に受けた結果、ハシゴを外されて矢面に立たされた経験が何度もあるからだ。というか最近も似たようなことがあったため、一層嫌いである。

 

今の組織図的には、誰が何を管理しているか、何の責任を負っているかが、実は極めてファジーである。つまり、とても曖昧なのだ。

 

手柄や実績になりそうなら手を挙げるが、トラブルになりそう、面倒な仕事が来そうとなったら、途端に別の誰かの名前を挙げてほっかむりする。

 

ちなみに僕は「責任者」という言葉も嫌いなので、自分のことをそう呼ぶつもりはさらさらない。できれば名刺にもそう書かないで欲しいくらいである。

 

その理由は、「責任者」とは「責任を負う者」ではなく、「責任を振る者」というイメージが自分の中に付き纏うほど、散々な目に遭いまくってきたからだ。

 

曖昧であることは、ただ単にストレスと猜疑心を生むだけ。身に染みてよく分かった。

 

校舎長を継いだ暁には、誰がこの校舎の責任を負う者なのか、徹底的に何度も宣言し、この曖昧さを破壊しつくそうと考えている

 

チンケなプライドなど、その辺の豚に食わせればいい。誰が何の責任を負っているか、次年度は徹底的に詰める、そんな嫌われ役を担おうとさえ腹を括っている。

 

③遊び心を否定する。


校舎の様子を伝える写真。好成績を取ってきた生徒を称える掲示物。折に触れて実施する、徹底的にワークを詰めきるぞ!的な集団自習。塾で行う、勉強関係ないイベント。

 

これらを「時間外労働!」とか「休日出勤!」という風に否定し、徹底的に何もしない、させない、提案すら拒否という環境は、本当にクソつまらない

 

そういう遊び心を徹底的に切り捨てて、スパルタであることをウリにする塾ももちろんあるのだが、最近そういったところの評判は急激に悪化している印象だ。

 

それよりもむしろ、こういうイベント的なことに対し、熱心に取り組む校舎の方が、明らかに評判が良い。それは駐輪場に並ぶ自転車の数を見ても、よくわかる。

 

そういうのを見せつけられているので、掲示物作成や自習教室とかを、勝手にやったこともある。

 

その都度「いらんことすんな」「無暗に休日出勤とか止めて」という、クソつまらないフィードバックを受けたのだが・・。(生徒は喜んでいたので、ヨシとする)

 

この遊び心については、むしろ僕が大得意とすることである。自分が裁量をもって色々できるとなれば、まさに水を得た魚と言っても良いくらいだ。

 

これに関連して、もっと他の社員や大学生講師にアイデアを求めて、当事者意識を育めるような仕組みを創りたいとも考えている。

 

遊び心は殺さないし、殺させない。何とか耐え抜いた自分の童心に感謝である。

 

④気を利かせた先に地雷がある。


「自分の仕事は自分で見つけろ」というあまり好きじゃない教えがある。そういうのが価値観なのか、僕は「あーしろ、こーしろ」という指示を受けたことがほぼ無い。

 

資料作成といった雑用以外、記憶にある限り、本当に無い。こちらが不安になるほど、何も言われないのだ。

 

だから気を利かせる。掲示物を更新したり、掃除をしたり、大学生講師から上がってきた意見を反映させて、校舎のレイアウトを変えたり。

 

すると一定の確率で、烈火の如く怒られたどうやらそこに地雷があったようなのだ。だがその正体も共通点も、まるで分からないため、ただただ不安でしかない。

 

この問題にどう対処するか。【リーダーの仮面】を読んで一つ心に決めているのが、「裁量とルールとゴールを明確にし、その中で自由にやってもらう」ということだ。

 

つまりそもそも、気を利かせて独断で行った行動を、都度僕がジャッジするという図式に持っていかないのが理想である。

 

良くも悪くも気を利かせないし、利かさせない。そんなご都合主義などクソくらえだ。徹底的に消し去りたい、美徳に見えた甘えだと感じている。

 

⑤そもそも運営に興味が無い。

 

衒学的な話になるだろうが、ここ3~4年はとっとと昇格したくて、より良い講師になりたくて、人生で一番と言っていいほど勉強しまくった

 

コミュニティ論を学ぶために何冊も読んで、現代の広告をテーマにした解説書も読み耽り、ビットコインなどの技術に関する本も読み漁った。

 

英検1級、準1級も取得したし、教員に向けた指導法の心得や実践術も、5~6冊くらい、必死で勉強した。ADHD発達障害学習障害も、とにかく独学しまくった。

 

社長の思考やリーダーシップが必要だと理解した瞬間から、そういう本を読みまくり、自分の言動や考え方を意識的に変えていった記憶がある。

 

そんなことをし続けたので、何冊も校舎に寄贈したのに、家の本棚から本が溢れるほどの蔵書数になってしまった。

 

―それほどコミットした自負があるため胸を張って言えるのだが、僕を使う方々で、僕の50%でもそういう努力をしているように見える人は、一人もいない

 

イベントは”面倒なもの”、学習障害は”甘え”、管理は”勝手にやらせればいいもの”、ファンコミュニティは”詐欺か宗教”。全く話が合わず、悪いがかなり呆れてしまった。

 

そういう人が僕の上にいて、僕を使い、僕の意見を取り合うことなくあしらっていく。一番仕事をしていてつまらないと思っていたのは、ここかもしれない

 

20代後半は色々熱かったのでだいぶイライラしていたが、今はあとちょっとで交代なのもあり、実はかなり割り切っている

 

校舎が抱える問題点にも改善策にも、いくつも気が付いている。だが指示が出るまで、僕は自分から”表立って”動かないよう、意識して自制しているわけで。

 

結果一緒になってサボっているも同然なのだが、それによって本来強く叱られる・責任を負わされるのは、僕ではなく部署の長でしょうと、わざと開き直るつもりである。

 

ちなみにここは改善策もクソもなく、今まで通りの努力を昇進してからも続ければいいだけの話なので、何も難しいことは考えていない。

 

 

・・・ということで、結構ダークなことを書いたつもりではあるが、やはり僕の中で遠慮があるようで、ところどころオブラートに包んでしまった。

 

まぁひっくるめれば、どこの会社でもあるあるな闇が、ご多分に漏れず僕のところにもあるという、それだけのことだ。

 

未来の自分がその芽を徹底的に積んで、種が蒔かれることさえ許さない校舎長になっていることを願って止まない。だから時々、読み返すことにしよっと。

 

では今日はこの辺で。

 

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