精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

自制心を鍛えるには、まずは”カウンターパンチ”の意識を持ってみよう。

自制心を鍛えるには、一体どうすればいいのだろう。例えばダイエットのために目先のケーキを我慢する能力は、どうすれば身に付くのかという話である。

 

大袈裟に言えば、僕らはいつだって、自分自身の本能やメタと戦っている。この勝負に負け続ければ、自然と堕落していくのは請け合いである。

 

【心の疲れを取る技術】にも書いてあったが、僕らの脳はまだ、原始時代を生きているとされる。あまりにもライフスタイルが、短期間で急激に変化したためだ。


だからこそ僕らは未知のことには気乗りしないし、なるべく身体は使いたくないし、快楽を感じる何かがあれば無制限に摂取したいという本能が強く残っている。

 

そういう本能という最強の、かつ実体のない相手を抑え込んで、長期的目標のために目先の快楽・欲望を抑える力。それが、大袈裟だが自制心だと言える。

 

―僕自身自制心はぶっちゃけ弱い方だと自負しているのだが、最近はある程度、飼いならすというか、完全敗北を喫することは少なくなってきた。

 

その際に心掛けたことは単純で、いわば「カウンターパンチを放つ」ことである。今日はそれについてのオハナシをば。

 

 

己の欲望に譲歩を求めよ。


欲望に対しカウンターパンチを放つとはどういうことか。ここは具体例を用いて、紹介してみよう。

 

例えば昨日、僕は無性に「ポテチが食いてぇ」という欲望に襲われた。別に今はダイエット中でもないので、押し切られてむしゃむしゃと食っても良かったのだが・・。

 

それだけだと面白くない。だから僕は、自分にこう問いかけた。

 

「わかった。ただし薬局で買え」

 

・・商品によるだろうが、ポテチ一つとっても、コンビニで買うのと薬局で買うのとでは、ざっくり2~30円程度の価格差があることもある。

 

欲望に負けるのみならず、わざわざ割高で買うのは、流石にちょっと自制心が雑魚過ぎだ。だから、一歩退きつつも、こちら側からも欲望に条件を付ける。

 

これが自制心を鍛える最初の一歩だと僕が感じている、「カウンターパンチ」の考え方だ。メタに応じつつも、十全では飲まない。そういう意識である。

 

この考え方は、どうとでも応用が利く。例えば勉強に対して気乗りがしないのなら、「わかった。ただし15分はやれ」と切り返せばいい。

 

また、どうしても晩酌がしたくなったら、「わかった。ただしおつまみは自炊しろ」と条件を付けてやればいいのだ。

 

本当にただの一人遊びに聞こえるが、僕の中ではこの問答は結構有益だと感じている。さらに、面白いことに、カウンターパンチを放つとそれが勝つこともある

 

先ほどの勉強の例で言えば、15分学習に取り組んだら、良い感じで集中モードに入ることができて、そのまま結局45分くらいは続きました、ということもしばしばだ。

 

また、「うーん、近くに薬局も無いし、そこまでして食いたくねぇか」とポテチ自体を諦めることだって多い。

 

欲望とはある意味突発的なものであり、少し間をおいてやれば鎮火することもよくある話のようだ。そしてこの”間”というのは、本当に刹那的な間隔でもいいらしい。

 

自問一つで自制心をコントロールできるとは、本当に面白い話だと思う。今後もどう問いかければ、より望ましい行動に転化できるか、探り続けたいと思う。

 

おまけ:そもそも完全を目指すからしんどいし、自分が嫌いになるんです。

僕自身も長いこと罹患していたのだが、完璧主義者は本当に病気のような厄介さだと思う。正直、メリットよりもデメリットの方が多いのではと思う、思考の癖だ。

 

100点以外の一切を自他に認めない心構えは美徳に見えて、自己重要感とか肯定感とか、果ては人間関係まで破壊しうる、遅効性の毒だとさえ感じてしまう。

 

例えば、現在40点の人が、テストで90点を目指して勉強に取り組んだとしよう。そして結果が85点だったとする。

 

単純に考えれば倍以上の伸びなので、自分に自信を持って良い、素晴らしい成果である。しかし完璧主義者からすれば、届いていないので失敗、以上である。

 

さらに言えば、届いてない時点でその途中の努力全ては徒労だし、達成できなかった自分は無力で価値が無いというところまで落っこちることもある。

 

結果、そこまでズタボロになれば、目標に向けて頑張ることが嫌になる。完璧を求めるあまり、現在地から全く進めなくなるとは、なんと皮肉なものだろう

 

それを少しずつ適切なラインに直すためには、それ相応の施策が必要になる。そして実はさっきのカウンターパンチのくだりは、その施策たるこの考え方を参考にしている。

gyutte.jp

 

簡単に言えば、極端な理想に対し、70%~30%程度の目標を設定し直して、それがクリア出来たらOKという風に考えることと言える。

 

先の例で言えば、90点は最高のゴールだが、別に70点を超えていても素晴らしいよねと思えばいい、ということになる。

 

さっきのカウンターパンチの例も似たようなもので、「ポテチは食わない方がいいけど、めちゃ食いたい、じゃ妥協点はどこか」というのを考える自問なのだ。

 

思考のコリは、何度もほぐしてあげないと変わってこない。それは筋肉や関節と完全に同じだと、僕は考えている。

 

―ということで、よくわからないメンタルの紹介記事になったが、今日はこの辺で。

 

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