突然なんだという話だが、「自問」が持つ力は、想像以上だと思う。例えば自分の脳内で渦巻く思考について、自問一発で観点をガラッと変えられることもあるためだ。
そして最近、また自分にとって凄く効力のある「自問」を発見した。それは、以下の本に書いてあったフレーズの受け売りなのだが、それがまた、すごくイイ。
それこそタイトルにある、「この感情が無ければ、俺はどうする?」というものだ。今日はその効力について、徹底的に紹介したいと思う。
感情の分析が行動に繋がることは稀有なり。
【感情】というのは、「観察力の鍛え方」にもある通り、自覚自体がそもそも難しい。気付けば完全に自分の思考を丸ごと乗っ取られていることなどザラだからだ。
だから最初の内は、自分の感情について、プルチックの感情の輪を眺めたり、仏教的な観点から見つめてみたり、まずはそもそもそれを知覚する努力を重ねた記憶がある。
しかし、感情に関する知識のオタクになっていくばかりで、それを制御するにはどうすればいいのかという本来の狙いに近づいていないことにも、薄々気が付いていた。
そんなときに出会ったのが、「感情を脇に置いておき、行動にさっさと繋げることができるのが、サイコパスの強みたる合理的思考」という話だ。
そしてその思考回路を疑似再現するために紹介されていたフレーズ、それこそが、「この感情が無ければ、俺はどうする?」というものなのだ。
結構これが秀逸だ。行動を阻害するものは大抵の場合単なる感情なのだが、それが無かったらというIFに自然と思考を流す、本当に有能な自問である。
例えば、さっき控えめに言っても単なる八つ当たりを、上司から受けた。感情として、苛立ちが少し、失望が少しという具合で、その辺を自覚している。
だから、自分に問うた。「この感情が無ければ、俺はどうする?」
答えは自明だった。今目の前の仕事に集中する。それだけだ。ぶっちゃけ、感情はそもそも諸行無常、移ろいゆくものである。固執するだけバカバカしい。
感情というつかみどころが無いものを自覚し、それを意識的に引きはがせば、おのずと行動が姿を現すのだ。これは結構、気付いて良かった真理だと思う。
自分が喜怒哀楽、何かしらの感情にジャックされていると気付いた際は、ぜひとも自分に「行動」を尋ねてみてほしい。
【期待】が生むストレス。
ところで、最近もっと意識的に自分の中から消したいものがある。それは【期待】だ。主に他者の言動に対する【期待】。それをできるだけ無くしたい。
というのもやはり、【期待】が対人関係のストレスの原因、そのほとんど全てを占めていると感じるためである。
なぜそう思うのかというと、実はこれまたどっかで紹介した記憶のある、「サイコパス」的な思考をする人の考え方を読んだことがきっかけだ。
特にこの部分の考え方が、少しゾッとするが、至極ごもっとも、その通りだと同意する気持ちもある。
相手を怒るよりも先に「相手は○〇〇に違いない」なんて勘違いして信用してしまった自分の判断ミスが原因だと正しく理解しましょう。
ルール破りがあったのなら、サル以下レベルの相手に「ルールを守るに違いない」なんて期待した貴方が間違っているんです。
ミス等があったのなら、できもしない相手に貴方がノーサポートで依頼するのが間違いなんです。
他人を怒ったって批判したって他人は変わりませんし、何の解決にもなりません。非合理的で無意味な事より、すぐに自分が変わって被害を最小限に抑える努力をしましょう。
どうだろうか。ここからは1mmも他者に対する【期待】を感じない。それでいて、見下しているという雰囲気も、実は感じない。
文字通り冷厳なまでに、等身大の今のその人だけ見ているのだ。(言葉がちょっと強いのは認めるけど)
【期待】しないことの最終地点はここだと思う。そしてこの思考に極めて似ているのが、いわゆるシミュレーションゲームではないかと、僕は感じている。
自分が保持する数値化された戦力を基に、戦略を組み立てて、実行する。そこに感情が入り込む余地はない。ただただ使うのは、情報と論理だけである。
仮にその数値がその戦闘時だけ1.5倍になるということを【期待】したとしたら、あるいは未知のスキルが発動すると予想したら、それはアホの所業である。
これくらい割引いてみることができたら、世の中は本当にシンプルだろうなと、少しワクワクする気持ちがある。
【期待】を割引き、感情を引き剥がし、行動を抽出して実行する。2023年、自分が目指す一つのサイクルは、やはりこれだな。
―ということで、最後は少し話がそれたが、今日はこの辺で。