質問があったので調べたのだが、偏差値60以上の高校を目指す受験生は、秋口以降は毎日2~3時間以上の学習を日課とするくらいが妥当(理想)なのだという。
この数値自体は「そりゃそうだろ」と思う点も無いことは無いが、実はこの学習時間を目指すことは、大人でもかなり難しい。
それは単に時間的余裕が無いことが理由というのもあるが、もっと言えば、2~3時間分の勉強をすることは、結構綿密な作戦が必要な、難度の高いタスクだからである。
今日はこの難題について、塾ができるアプローチを、考えてみたいと思う。
時間を目標にすることの罠。
どこかで書いたが、僕は時間を目標にした学習計画を立てたことが、大体大学受験を終えたあたりから1回も無い。自分にはまるで向いていないと悟っているからだ。
例えば、僕が通っていた塾のキャンペーンというか、校舎内の同調圧力で、「毎日6時間は校舎に籠ろう!」というものがあった。
当時は学習方法の知識など全く持っていなかったため、正直6時間もすることが無いというのが本音だったのを覚えている。だから何をしたか。
僕はあまりにも手持ち無沙汰になり、過去の合格体験記や、学習アドバイスをただただブラウジングするという、つまり暇つぶしに多くの時間を充ててしまったのだ。
そのときにきちんとした戦略を持っていれば、正直偏差値で言えばあと5~6くらいは伸ばせていたのではと、ちょっと悔やむ点が無いわけではない。
こんな風に、ただ闇雲に時間を設定しただけでは、それを潰すことが最優先事項にすり替わり、学力を上げるという目的が消えて、手段が目的化する罠があるのだ。
それを防ぐには、やはりある程度の助走期間と、作戦及び環境の整備が必要になる。てことでここからが、ある意味本題である。
僕は「昨日は5時間やりました!」というセリフを信じてない。
少し冷酷に聞こえるが、僕は日頃そこまで勉強をしない生徒が長時間の勉強をしたと報告してきたときは、声掛けとしては「すごいな!」というが、実は半信半疑である。
実際のところは、例えば3時間だらだらとテレビを観ながら、音楽を聴きながら、YouTubeを観ながら、テスト時に提出するワークを埋めていただけだと思っている。
そして悲しいかな、その予測は外れたことの方が圧倒的に少ない。実際、その生徒が言う勉強時間からすればあり得ない程、テストの点が悲惨になっているためだ。
そもそも学習時間というものは、いわば筋トレと同じで、自分の能力の成長に合わせて少しずつ伸びるもの、というより少しずつしか伸びないものである。
だから日頃の学習時間が0~15分の生徒が、いきなり5時間もやってくるというのは、筋トレ初心者が胸トレを2時間やるくらい不自然なことなのだ。
ということでそもそも論だが、まずは毎日15分の勉強とかでもいいけど、それを毎週5分~10分ずつくらい伸ばすという期間は、作った方がいいように感じている。
ちなみに↑のように長くしていけば、3ヶ月もすると毎日2時間の学習時間になっている計算になる。塵も積もれば山となる、その好例である。
大体の中学生はそもそも勉強なんて七面倒なことは家でやらないので、それだけで大きな差をつけることが可能となる。悪くない投資ではなかろうか。
しかし、正直1時間程度の学習であれば、特に工夫もなく、言い方は悪いが適当にワークの問題を解いておけば、勝手に届く時間だと思う。
とはいえその時間を超えてくると、そういうアウトプット一辺倒では、段々としんどくなってくる。集中できない自分が嫌いになり、学習そのものが崩壊しかねない。
ということで僕がオススメしているのが、小難しく言えば拡散思考を利用した学習、簡単に言えばそこまで集中が要らない勉強を取り入れることである。
例えば、教科書を3ページ読んで、目を閉じて内容を思い出して、また3ページ読んで、というのを繰り返す想起学習は、演習とは違った頭の使い方となる。
イメージは、ダッシュを10本やった後に、可動域を増やすためのストレッチを行う感じに似ている。だから無理なく、それぞれに意識を向けやすくなる、というわけ。
他にも、僕なら10分程度の音読を挟んだり、アプリで延々と単語を確認したり、日本史の参考書をザッピングしたりと、そういう演習とは違う時間を意図的に挟む。
こういうのを考えると、塾でできる声掛けは、こういうやり方があるということを何度も何度も説くことと、それが容易にできる環境を用意することだなと納得している。
引継ぎに絡む多忙な時期が終わったら、早速メスを入れてやりたいと思う。がんばるだけで学習時間は増えないことを、まずは僕の校舎の共有言語にする。
はい。ここから先は謎の決意表明が続くだけになりそうだったので、今日はこの辺で。