精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

一時的に感情をオフにするコツがわかった。

僕は引っ込み思案だし、他人に遠慮しすぎだと言われる。そういう面があると自覚しているだけに、言われると凹む。だがどうしていいかも、なかなかわかり辛い。

 

自分に自信が無いからか?それとも経験値が足りていないからか?色んな仮説を立てて、色んな努力を重ねたが、いずれも手応えは無く、指の間をすり抜けていった。


ただ、10年以上も努力してきた甲斐か、僕の引っ込み思案の根源はいわゆる他人への不安や、過度な他者への配慮辺りにあると、そういうのは突き止めていた

 

しかしそこを崩す最後のピースはなんなのか。それは30歳になってもわからないままであった。

 

・・・ただ、ついに、そのピースがはっきりと見えてきたという実感を、最近覚えるようになっている。本当にあっさりと見つかったので、拍子抜けするくらいだ。

 

もちろんまだまだ使いこなせているなんて口が裂けても言えない状態だが、遥かに人生の生きやすさが変わりそうな予感がしている。

 

今日は取り急ぎ、その話を書いてみる。

 

 

行動を起こせないのではない。行動を考えていないのだ。

 

最近、ある勘違いに気が付いた。そのきっかけは、複数の本の内容がヒントになっているのだが、煩雑になるためざっくりと自分の言葉でまとめてみる。

 

その勘違いとは、取るべき行動があっても、不安といった感情が邪魔をして、結果後手に回るというプロセスそのものである。

 

つまり、最初からやるべきことはそこにあり、さっさとそれをつかみ取ればいいという論理は、実は正確ではないということである。

 

今はどちらかと言えば、不安といった感情が邪魔しているのは、行動を考えることそのものでは、という風に感じている。

 

不安があるから行動しないのではなく、不安のせいで行動を考えられていないから、何もアクションができない。そういう話ではないかと思うのだ。

 

行動という宝箱の前に、不安という番人が立ちふさがっているのではなく、不安という番人が守っているものには、実は何も実体が無いのかもしれない。

 

それを打破し、強制的に思考を前に進めるには、どうすればいいのか。つまり、一時的に感情をオフにする方法とは、なんなのか。

 

その方法こそ、実は自問だ。続いてはそれについて書き殴ろう。

 

最強の「If-then」。

 

不思議な話だが、己への問いかけの効果は絶大だと感じている。落ち込む自分を自分で励ますこともできるし、悩める自分にプランBやCを示すこともできる。

 

まさに一人二役。その有益さは、例えばお坊さんがオススメする心を軽くするための教えや方法にも、よく登場することから窺い知れる。

 

その自問の中でも最近僕が練習しているのは、「今抱えている感情や想定が無ければ、自分は何をするか?」というものだ。

 

いわば変形型の「If-thenプランニング」ともいえる。たったこれだけで、本当に余計な感情や不安に振り回されることが、大幅に減ったように考えている。

 

塾の仕事に置き換えて考えてみよう。この時期なので、講師が変わる、日程が変わるといった、あまり入れたくない連絡など、たくさん出てくるものだ。

 

しかしその都度勝手に心中を慮って萎縮していたら、永遠に仕事が進まない。だからまず、自分の不安な気持ちや妄想については、しっかりと向き合う。

 

「変更したら飛ぶかもしれない」「ここで相談を入れたらイヤに思われるかもしれない」という風に。

 

そしてある程度言語化出来たら、先の質問を自分に投げる。「今抱えている感情や想定が無ければ、自分は何をするか?」

 

―すると大抵、「でも他に候補などいないから聞くしかないよね」とか、「でも相談しないと進まないし、嘘ついてもしかたないよね」という風に、納得が得られる。

 

その上で浮かんできた行動を、さっさと実行すればいい。繰り返すが、ただこれだけで、行動を躊躇する回数はかなり減った。悩む時間も削減できた

 

「今このときするべきこと」に対し、本当に向き合うことができる、素晴らしい自問自答だと僕は感じている。

 

こんな風に、行動を起こせないのは、不安が行動を妨げているというより、不安のせいでそもそも何をすればいいか考えられていないから

 

そう思えば、多少は気が楽になるのではないかと、僕は思う。

 

では今日は、この辺で。

 

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