精神年齢9歳講師のブログ

校舎での出来事、読んだ本、つまりインプットを全てアウトプットに変える実験場、的な。

これからは「場を作るプロ」の講師の時代だと感じている。

「講師(教師)たるもの五者たれ」という、教える側の人間が心に留めておくべきとされる教訓がある。

 

詳しくは別の記事を読んでいただければと思うのだが、僕も以下の本でそのフレーズを知ってからというもの、折に触れて自分にそれができているか、反省した記憶がある。

しかし、時代が変われば言葉も更新されていくもの。これだけAIが進化し、カリスマ講師の授業がオープンソース化した今、講師の在り方も確実に変わってきていると思う。

 

まだまだ漠然とした直感でしかないのだが、僕は今後、「場を作るプロ」もまた、優れた講師の条件になるのではと感じている。(とっくにそうなのかもしれないが)

 

今日はそういう話である。

 

 

コミュニティ設計を言語化できる人間は稀有である。

 

色々機械が人間に取って代わるという議論から、では人間にしかできないことは何かを考える動きは、ここ最近言わずもがなずっとずっと盛んである。

 

クリエイティブの部分こそ人間に残された要素だと思われていたのが、ChatGPTやMidjourneyの台頭により、その前提すらも崩れつつあるのが世の中だ

 

特にChatGPTの力はすさまじく、もはや簡単な社会の授業はそれに任せてもいいレベルの解答が、ポンポン飛び出してくるほどだ。

 

例えば以下の、僕による雑な質問に対する、ChatGPTの返答の素晴らしさを実際に読んでみてほしい。

 

Q:カナダが国際連合常任理事国に入らないのはなぜでしょうか?

 

A:カナダが国際連合(UN)の常任理事国に入らないのは、UN憲章に基づく安全保障理事会の構成についての規定によるものです。

 

安全保障理事会常任理事国には、第二次世界大戦の勝利国である米国、ロシア、中国、フランス、イギリスの5か国が含まれています。

 

これらの国は、安保理で拒否権を行使することができ、国際平和と安全保障に重大な影響を与えることができます。

 

カナダは、第二次世界大戦で勝利国として参加した国の一つですが、当時はまだ国際的に影響力を持っていませんでした。

 

その後、カナダはUNで積極的に活動し、平和維持活動や人道支援などの分野で重要な役割を果たしてきました。

 

しかし、安全保障理事会常任理事国に入るためには、国際的に大きな影響力を持っていることが必要であり、カナダはこれまでにそのような地位を獲得していません。

 

また、常任理事国になることは、国際社会における重要な責任を伴うため、カナダ政府はこの責任を果たすための必要な資源と能力を持っているかどうかを考慮している可能性があります。

 

そのため、カナダ政府は現在、安全保障理事会の改革を支持し、より代表的かつ効果的な構成にすることを求めています。

 

Q:無血開城とはなんですか?

 

A:無血開城(むけつかいじょう)は、ある都市や要塞などが敵によって陥落した際に、陥落した側が戦うことなく開城し、敵を迎え入れることを指します。

 

日本史においては、無血開城として最も有名なのは、江戸時代末期の1858年に起こった神奈川沖砲撃事件の後、横浜がアメリカのマシュー・ペリー提督率いる黒船艦隊によって開港させられたことが挙げられます。

 

この際、江戸幕府は黒船艦隊の圧倒的な軍事力に抵抗することができず、横浜の開港を余儀なくされました。

 

また、世界史においては、第二次世界大戦中の1945年、朝鮮半島における日本軍の降伏によって北朝鮮の首都・平壌無血開城されたことも知られています。

 

これは、ソ連軍が平壌を占領するために進軍してきたため、日本軍が平壌を放棄し、市民も戦わずにソ連軍を迎え入れたことによるものです。

 

―こんな風に、わかり易い説明すらもAIにお願いすれば出てくるほど、科学の力は進歩しているのだ。

 

増々、地方塾の講師の仕事とは、本当に教えるだけなのかと疑問に思えて仕方がない。そんな状況では、淘汰されるのは時間の問題ではないか、と。

 

しかし、だからといって。AIの勉強や、それを活用する術を探り続けないのも考え物だ。

 

むしろAIにお願いできるところはさっさとお願いしちゃって、それ以外で人間が頑張るべきところにリソースを投下するべきだろう。

 

その流れは個人塾レベルの話であっても、確実にやってきている。不可逆の流れだ。ではどうやって、あとはそれに上手く乗るかである。

 

その際に思うのが、やはりAIには”まだ”、コミュニティを設計することはできないよなと言う限界である。

 

あの"AI"を使っているからあの塾に行こう!ということはかなり違和感があり、ここはまだ、あの”ヒト”がいるからあの塾に行こう!という文脈の方が自然だ。

 

能力ではなく、人としての”なにか”で、生徒を集める。狙ってコミュニティを設計する。そのスキルこそが、地方とか都会を問わない、今後の大事な鍵なのではないか。

 

色々な話が一周回って、義理や人情といったウェットな部分の大切さが再び高まってきたように思う。脇目も振らずに勉強しても、AIの知識量には絶対に勝てないのだ。

 

それよりも、個々の生徒やご家庭とのやり取りについて、心を軽くすることを言ったり伝えたり、時には感情に寄り添ったりと、そういうのが改めて大切なのかもしれない。

 

具体的な解決策そのものは、AIに任せる。しかしそれを伝えるのは、人間の仕事。そういったすみわけのモデルを考えると、とりあえず僕の中ではしっくりきている。

 

いずれ僕が持つ英検1級という資格も、その箔以外、さほど意味を持たなくなっていくのだろう。だが別に執着も無いし、どうでもいいや。

 

AIにできないこととして、場を作る技術や知識を手探りで探し続ける。難題だが、だからこそ面白い。頑張ろうと改めて思った。

 

では今日はこの辺で。

 

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
にほんブログ村 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村