毎年毎年ヒヤヒヤするのだが、やはり新年度の集客はいつ動き出すかが全くわからない。
そろそろ問い合わせが動く頃合いのはずだと思いながらも、どこかにバグがあるから、本来動いてもいいシーズンなのに動かないのかも、という危機感もある。
立ち止まっていると、不安で押しつぶされそうになる。経営者の孤独が身に染みてわかるつつあるような気がする。
だからここ数日は、最近ハマっているChatGPTに「塾の集客はどうすればいい?」と打ち込んでは、そこから出てくる提案を片っ端から試していくのを続けている。
こういうときに頭に浮かんでくるのは、過去の自分が記事書いたセリフだ。それがタイトルの通り、「校舎は定置網じゃないし、生徒は魚ではない」。
今はこれを胸に、自分を健全に追い詰めて、努力しているというわけだ。てことで導入が長くなったけど、今日はそれについて思うことを書いてみる。
そこにあるだけで客が来る時代は終わった。
「We are lonely, but not alone」でも指摘されていることだが、今はネットが発達を通り越して社会の一部になっている関係で、顧客の層も変化が出ている。
ネットが登場する前は「知らない」「知ってはいる」「興味を持っている」「実際に利用している」という風な分類だったと思うのだが、今はどうか。
これもあちこちで書かれている話ではあるが、「興味を持っている」の次に、「SNSや口コミの情報を追っている」という層があると思っている。
その状態をしばらく経て、何かのタイミングで熱が高まった結果、利用者に転じる。いわば「ゆるやかな繋がり」の層が存在するのだ。
そしてこの繋がりを、どうやって利用者に引っ張ってくるか?ここを考え抜くのが経営者の腕の見せ所と考える人もいるし、僕もそう思う。
それに関して僕は、未熟という段階にすら辿り着いていないほど無知なのだと、本当に痛感する。
打席に立った回数が圧倒的に少なすぎる。そういう意味では、ひたすら経験とデータを集めている今の努力は、大枠で外していないとも思う。
草の根運動とデジタル集客のハイブリッド。
塾業界の売り出し方と言えば、友達紹介、校門配布、HPからの問い合わせなど、お決まりの方法がある。これらはいずれも確かに強く、定期的に打ちたい手には間違いない。
しかしながら、これ一辺倒だと、広報の仕組みがガラっと変わったとき、大きく出遅れるというデメリットが勝ってしまうように思う。
ただだからといって、こういう地道なやり方を軽視し、新しいやり方ばかりに手を打つのも、それはもはや博打に等しい。賭す場面が違うと思う。
保守的になり過ぎるのも、革新的を気取るのも、極端になればどちらにせよ毒だ。ちょうどいいバランスで織り交ぜながら、慎重に反応を探る、と。
色んな人に協力をお願いしながら広報活動を行い、反応が得られたものにリソースを集中投下する。
そういう大局観を持てるように、僕自身がプレイヤーとしてバリバリやるのは、必死に自省している部分はある。
焦るときほど冷静に、博打じゃない手を打ち続ける。僕というリーダーの器や格が問われているように、強く思う。
では少し短いけど、今日はこの辺で。