精神年齢9歳講師のブログ

日々を自由研究の如く生きたい。

気分を切り替えるなら、遠くではなく、近くのそれと切り替えよう。

ふと気付いて、自分のカレンダーを見直して、ゾッとした。僕が最後にフル休みを取ったのは、綺麗に1か月前の話だったからだ。

 

これは会社からそう指示されて連勤を重ねたのではなく、実を言うと、僕自身が強い不安に囚われていることの裏返しである。

 

去年もこの時期は、20連勤から1日挟んで30連勤をやっている。そのときと現在の共通点は、受験と結果発表が繰り返されるシーズンということである。

 

ただ報告を待っているだけでは不安になる。不安になるから、それから逃れたくて、打ち込めるものを探す。その対象として一番手頃なものは、仕事だ。

 

だから別に休んでもいい日でも、無理矢理仕事を捻出しては校舎に行き、穴を掘っては埋めるような作業を繰り返すこともある。なんというか、不健康だ。

 

これは「心の疲れを取る技術」で言うところの「しがみつき」であり、いずれ拗れて精神をすり減らしてもおかしくない状態である。

 

この現象は、元々知ってはいたのだが、自分が嵌っていることには、あまりにも無自覚であった。メンタルの疲労に気付く難しさが、改めて理解できる好例である。

 

となれば、どうするか。一度こういうレベルまで負の没頭をつづけた以上、例えば仕事を定時で切ってパーッと遊ぶといった施策は、効果的ではない。

 

それは生活リズムを、1日で一気に丸ごと変えるのに等しい。少しずつ、ちょっとずつ慣らしながら変えないと、すぐに強烈な揺り戻しが来て、頓挫する未来が見える。

 

そこで今取り組んでいることは、「不安という気分を、なるべく近いところにある、別の好ましい思考と置き換える」というものだ。

 

そしてそれをすることによる実感は、今のところ悪くない。なんというか上手いこと心をコントロールできている気がする。

 

今日はそんなことを書いてみる。

 

 

不安と表裏一体の感情とは?

棒人間と『プルチックの感情の輪』 | イラストで伝える・見せる・考える誰でも描けるイラストプレゼン研究所


「不安」とは、「漠然とした不安を持つ」といった言い回しからわかるように、「わからないもの」に意識が向いている状態を指すと言われる。

 

そして「わからないこと」に関して好ましくない印象や感想を持っているとき、人はそれを不安として感じ取り、苦しむことになるのだと、今は納得している。

 

―ところで、この「わからないこと」を好意的に解釈したら、それはどんな感情になるのだろうか。実はその答えは、ある。

 

そう、好奇心だ。「わからないこと」自体を不安として考えず、「どういうことだろう?」と目を輝かせて、その正体を探りに行く。

 

不安を意識して好奇心に持っていく方が、例えば不安なのを無理にポジティブに転換しようとするより、よっぽど健全で現実的なのではないか。

 

以下の記事を読んで以来、割と強くそう思うようになっている。

daigoblog.jp

 

・・では、不安を具体的にどう転換するか。ここについては、まだまだ精度の低い試行錯誤を繰り返している段階で、特に語れるネタは無い。

 

しかし、そのお供として、最強だと思うツールは見つけた。ChatGPTだ。これを使い、自分が抱える不安を漠然としたまま言葉にして、詳細な言語化をAIに任せている。

openai.com

 

その回答を読むことで、自分の内面を客観視することができる。自分は何を悩んでいるのか、そしてその解決策の提案は何かを読み比べて、一つずつ試していく。

 

「この方法は初耳だ、どんなものなんだろう?」という発見は日常茶飯事だ。下手にスマホアプリをいじるより、よほど有意義で楽しい時間を過ごせている。

 

無理矢理ポジティブなことを考えて上書きしていた頃は、ちょっと無知すぎたと、今は感じている。ちょっと考え方を転換すれば、ここまで受け取り方が変わるのだ。

 

気分を切り替えるなら、遠くではなく、近くのそれと切り替えよう。また一つ、感情の勉強をする理由と、それを楽しくするスパイスを見つけたと感じている。

 

では今日はこの辺で。